表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
58/58

第57話:墓守ヴェト


 生気のない空気とは、このことをいうのだろう。 

 先程の雷雨が嘘のような静寂に包まれていた。


 細く痩せた真っ黒な木が、沼に刺さるようにしてまばらに生えていた。

 沼には生き物の気配がまるでなく、曇天を鏡のように映して灰色に染まっている。

 その曇天が地上まで垂れこめてきたような濃霧の中に、クロとギムレットは立っていた。


 足元は真っ黒な泥でぬかるんでいた。


 クロは辺りを見回して、とりあえず泥に足を取られないように小回りのきく人型へ変える。

 

 「なんだここは……?」


 「すぐにわかるさ」


 ふと何かの視線を感じて前方を見やると、風もないのにそこだけ霧が晴れていく。



 「……!?」


 その先に、ぼんやりとカンテラが揺れていた。

 その傍に、灰色の布を被った影が立っていた。


 「愚かな黒竜よ。汝は、許されぬ大罪を犯した」

 影が口を開いた。その声は少年であり、老人であり、女でもあった。


 「そして──やってくれたな、ギムレット」

 影の声には怒りがわずかに滲んでいた。



 その人影はカンテラを片手に、ゆっくりと近づいてきた。

 布に包まれた影そのものが歩いているような、静かな足取りだった。

 揺れるカンテラの灯りが、霧の中にくるくるといくつもの影を映し出していく。

 まるで影そのものが霧の中で行列を作っているようだった。


 それは、無数の死人が列をなしているような、不気味さ。

 または、祈りを捧げながら歩く巡礼者たちのような、厳かさ。

 あるいは、道端で見た名も知らぬ人々の葬列のような、物悲しさ。


 見るたびに印象が次々と変わる影に、クロは奇妙な恐怖を覚えた。


 「悪いねぇ、ご主人様。ちょっと遊びすぎた」

 クロの横でギムレットは飄々と肩をすくめる。

 申し訳なさなど微塵も感じられない口ぶりだった。


 「遊びすぎた、で済むものではないぞ」

 

 近づいてくるその貌は、あいかわらず布の影に隠れてよく見えない。

 カンテラの曖昧な灯りで、輪郭がようやく見える程度だ。


 どうしてこんなに顔が見えづらいのだろう?

 クロが不思議に思って目を凝らすと、エーギルの幼い貌が見えた。

 そして、どこかで出会った村人の貌に。次いで、前世の親友の貌に。

 クロの記憶をかすめ取るように、布の下の影が次々と変化していく。


 「……っ!」

 

 クロは無意識に尻尾をわずかに丸めた。


 「ああ、この方は俺のおっかないご主人様ヴェト様さ。ここで墓守をやってる」


 「……墓守?ここは墓場なのか?」

 

 予想しなかった答えに、クロは思わず聞き返す。


 「そうだ。ここは忘れ去られし神の死のあと──そして、久しいな。世界樹より分かたれし、ロヴェーンの子らよ」


 ヴェトが向き直ったその先には、エーギルとヨナが立っていた。

 

 エーギルとヨナはずぶ濡れだった。さきほどまでクロと同じように豪雨の中にいたらしい。

 そして、二人ともヴェトの変わり続ける貌に目を奪われていた。


 特にヨナは、悲しみとも郷愁ともつかない、初めて見る表情をしていた。

 やがて我に返ると、苛立たしげに首を振った。

 

 「ああ、何が何だか分からねェ……クロ!お前、一体今度は何をやらかしたんだァ!?」

 ヨナの額に青筋が浮かんでいる。


 「ヨナの怒鳴り声を聞くと安心するな……どうやら俺は世界樹の実を食っちまったらしい」


 「お前本当に何食ってんだァ!?」


 「せ、世界樹の実!?クロ!!早くぺッてして!ぺッてしなさい!!」

 

 エーギルは沼の泥で足が汚れるのも構わずに駆け寄り、クロを激しく揺すぶる。


 「今から吐けば間に合うか?……クソッ、食べられて困るならなぜあそこに案内したんだ?」


 ヨナに詰め寄られ、胸元を掴まれたギムレットは肩をすくめる。


 「そもそも世界樹の実は見つけることすら難しいんだが、こいつは簡単に見つけちまった」


 「見つけた時点で止めろよ!お前は森の番人だろ」


 「どうするか見てみたかったのさ。まさか食べるとは思わなかったがね」

 


 無理やりクロの口を開こうとしていたエーギルの手が止まった。


 「世界樹は願いの本質を暴く、か……」

 


 「そうさ。あれを前にしたら誰でもその価値を理解して畏怖するのに、まさか食っちまうとは。──それがそいつの本質って事だ」


 それを聞いたクロは思わず口を押さえた。


 「神になる器ってのはね、力じゃないのさ。何を欲しがるかで決まるんだ」


 ギムレットはそんなクロに歩み寄り、悪魔のようにささやく。


 「昔々の話だ。──あるところに、世界を救った英雄がいた。」



 そいつは正義感の強い男だったよ。

 困っている奴を放っておけない優しい奴だった。

 誰かが泣いていれば剣を取ったし、どこまでも歩いていった。

 王はそいつを英雄と呼んだ。その方が都合が良かったんだろうさ。


 ギムレットは笑う。


 王は言った──『英雄よ、魔王を討て』と。

 愚かな英雄は頷いた。世界を救うためだと。


 ある女王は止めようとした。誰より先に結末を見ていたからな。

 だが王は話を聞かなかった。英雄も行軍を止めなかった。


 そして、正義の名のもとに銀刃が振り下ろされ、魔王の首は落ちた。

 人々は歓声を上げ、王は黄金の祝杯を掲げた。


 ──ああ、誰も知らなかったのさ。

 倒れた魔王が、世界を支える柱のひとつだったなんて!


 そして世界は天秤を一つ失い、英雄は呪われた。

 女王の国は滅び、世界樹と共に森は閉ざされた。

 妖精は消え、俺だけが残った。


 人の王はすべてを語らぬまま、死んでいった。


 ──めでたし、めでたし。



 ギムレットは皮肉げにそう締めくくった。



 ギムレットの()()を聞いたエーギルとヨナの顔は蒼白だった。

 

 「今の話は……まさか」


 「だから俺は、あんたが哀れで仕方がないのさ」


 ギムレットはエーギルを一瞥すると、クロに向き直った。


 「なあ、お前は闇神の生まれ変わりなんだろう?こんな世界、いっそ壊してくれないか」


 それは遊びに誘うような軽い口調だった。

 かつて親友を食い潰し、同胞を滅ぼした世界。

 ギムレットの灰色の瞳は、昏く沈んでいた。



 「世界を滅ぼす権利はお前さんにある」


 「……断る。残念だが、俺は神にならない」


 「──それは許されぬ」


 墓守が口を開いた。


 「世界樹は既に限界だった。汝が実を食ったことで、滅びは決定的なものになってしまった」


 クロは眉をひそめた。

 

 「……どういうことだ?」


 「汝は新たな世界樹の依代となった。すでにその根を汝の中に下ろし始めている。このままでは世界樹は汝の命を吸い尽くすだろう」


 

 それを聞いたクロの顔が引きつった。


 「ちょっと待て。俺は死ぬのか?」



 「ああ、死ぬ。そして、汝の死と共に世界は崩壊する」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ