第52話:その残照は煉獄のごとく
「──これは、俺の罪だ」
傾き始めた日を背に、エーギルは山の上で力なく呟く。
その山は、幾重にも積み重なったドラゴンの死骸だった。
死骸からははらわたが零れ落ち、溢れた血は大河となって大地を這う。
血の大河は草原を横切ってどこまでも続く。
透明な夕日が、すべてを赤く染め上げる。
「俺は、全てのドラゴンを屠らなければいけない」
それは自分に言い聞かせるような言葉だった。その声には悲しみと疲労が滲んでいた。
──あと何百年繰り返せば、この悪夢から解放されるのだろうか。
血海の上で、赤く濡れた槍がきらめく。
エーギルの体は返り血で真っ赤に染まっていた。
戦いを終えたばかりの体はまだ熱く、その熱で返り血が生臭くにおい立つ。
槍を握る手に自然と力が籠る。
「──屠らなければいけない?お主は相変わらず真面目だな」
エーギルの前には、懐かしいドラゴンが立っていた。
「屠らなければいけない、のではなく、屠るのだ」
その灰色の巨大な老竜は、冷然と言い放つ。優しくさえ聞こえる声で。
「……オルフェグ」
エーギルは懐かしそうにその名を口にして、死骸の山から飛び降りた。
槍を握る手は緩めていない。
「誓いを忘れていないようで何よりだ、エーギル」
オルフェグと呼ばれた老竜は、エーギルを見つめた。
やがて、ゆっくりと目を細めて穏やかに喉を鳴らした。
それは、久しく会っていない親友や家族へするような挨拶だった。
恐ろしく生臭く、それでいて懐かしい光景に、エーギルは胸の奥を鈍く抉られる。
エーギルはそれが何がであるか、すでに気づいていた。
それゆえに、言葉にならない感情が込み上げ、喉が震えそうになる。
燃え盛るような夕焼け空が、青空を侵食しながら広がっていく。
夕日を背に、老竜はひとりの竜殺しを見据える。
「───ところでなぜクロを殺さない?あの小僧だけが特別だと?」
その言葉を聞いた瞬間、陶酔にも似た郷愁が、さっと冷めていくのを感じた。
オルフェグのその声音には、どこか拗ねたような響きがあった。
──我こそが特別なのだがな、と。
「ああ、君は特別だ。けれども、同じようにクロも特別だ」
「ほう。ならば、誓いを破り、槍を折るか?」
「いいや」
エーギルは即座に否定した。
「この世から竜を絶つ──それが我の願いだ。そして、お前はそれを叶えると我に誓った」
オルフェグは長い首を高く掲げ、エーギルを睥睨する。
死骸の山を成していたドラゴン達がゆっくりと動き出した。
屍たちは血の涙を流しながら、尾を引きずるようにしてエーギルを取り囲んでいく。
その尾が血の大河を掻き乱し、引き裂かれた赤が波のように広がっていく。
やがて、ちぎれた大河はエーギルを囲む血海へ変わっていく。
「お前はあの島で我々を皆殺しにした。それなのに、あの小僧は例外だとでも?」
深い苔色のドラゴンが口を開く。その声は屍のもの。
「ならば、我らの死は何だったのだ?」
煉瓦色のドラゴンが憎々しげに唸る。その声は屍のもの。
「私たちとの約束を忘れてしまったの?」
血を失いくすんだ青色のドラゴンが今にも泣きそうな声で訴える。その声は屍のもの。
「それとも、我らのことなどどうでもよいと?」
茜色のドラゴンが怒りを露わに牙を剥く。その声もまた、屍のものだった。
エーギルは唇を強く噛み締めた。
ガルヴ。シエルダ。ドゥーグ。レヴァーン。そして、エルディオ。ヴェスカ。ラグドー。フィレス……。
(忘れるはずがない。みんな、みんな覚えているとも……)
エーギルの目に深い哀惜の色が浮かぶ。
「疾く、疾く、疾くあの小僧を殺せ」
「あの幼子は凶星となる」
「手遅れになる前に」
「そしてすべてのドラゴンを屠れ」
「お前だけが世界の希望なのだ」
屍達がエーギルを責めるように唸る中、オルフェグは厳かに口を開いた。
「──そう。この世に竜ある限り、この世界は滅ぶ運命にある」
オルフェグの顎から漏れた業火が、エーギルの頬を撫でた。
血の海が、煉獄へ変わる。
「そして竜ある限り、俺は生きることも、死ぬことも、許されない──だろう?」
煉獄の中、光の勇者は老竜を見据えて静かに微笑む。
右手の聖痕が、業火に呼応するようにじくじくと疼いた。
エーギルは、この悪夢が許せなかった。
どれもエーギルの知る彼らであり、彼らではない。
エーギルを苦しめるためだけに歪められた、偽物の世界。
それはエーギルにとって侮辱に等しい行為だった。
火花混じりの熱風が、エーギルを煽るように吹きつけた。
「わかっている。……ああ、わかっているとも!」
エーギルは煉獄の只中へ、槍を強く突き立てる。
次の瞬間、目を灼くような閃光が世界を呑み込んだ。
燃え盛っていた炎が、白霧へ変わっていく。
エーギルの横顔には、怒りと疲労の色が浮かんでいた。
聖痕の力で、幻覚を力任せに打ち破ったのだ。
「……まったく悪夢とはいえ、悪趣味な幻だねギムレット?」
返事はなかった。
ただ白い霧の向こうから、くっくっくっと笑い声が聞こえるだけだった。
エーギルの傍には、ヨナが倒れていた。
その額には脂汗が滲んでいる。きっと全員が悪夢を見せられているのだろう。
クロが近くにいないということは、意図的に引き離されたと考えていい。
「俺はこの森が嫌いだなあ……早くクロを探してこの森から出ないと」
エーギルはふだん、何かを嫌いだとはっきりと口にすることはない。
エーギルはヨナを抱えて歩き出した。




