第47話:オアシスの夜
「この砂漠にこんなところがあったのか……」
地下遺跡の出口から出ると──そこは、オアシスの廃村だった。
どの地図にもなかった場所だった。
澄んだ湖の周りを取り囲むように木々が立っていた。
その木々を砂の海から守るように建物が並んでいた。
もっとも、それは風化によってほとんど形を失っており、基礎部分や壁の一部がかろうじて残っている程度だが。
よく見ると村の周囲には外壁があったらしい。
眠るような静寂の中、砂に埋もれた古い石畳をなぞるように歩いていく。
ときおり、脆くなった石畳が踏まれて乾いた音を立てて砕けた。
「……人が去ってからずいぶん長いみたいだね」
周囲を見回しながらエーギルは言った。
ほとんど更地と化していた広場の中央には井戸があった。
ヨナは井戸を覗き込みながら、口を開いた。
「この辺りは魔物が多いからな。魔物暴走で捨てられた村の一つだろう」
「魔物暴走がひどくなったのは200年くらい前だっけ」
「ああ、大体な。……まだ使えそうなのにもったいねェ。魔物暴走さえなけりゃな」
井戸はまだ生きているらしく、底には澄んだ水が見えた。
しかし、汲み上げ機もバケツもないので水を汲むことはできない。
「この村に何があったのかはわからないけれど、ここはまだいい方じゃないかな。破壊されたような跡がないし」
「……まァな」
魔物暴走──狂った魔物の群れに襲われて全滅した村や国は今や珍しくない。
それを考えれば、確かにエーギルの言う通り、ここはまだいいほうだ。
雲ひとつない空の下で、乾いた風が吹き抜ける。
あいかわらず強い日差しにヨナは目を細めた。
湖のおかげか、住居区域用の魔法陣がまだ生きているのか、不思議とここはそれほど暑くない。
クロは真っ先にドラゴン姿で湖に飛び込み、沐浴を楽しんでいた。
ハリムは学者的好奇心が抑えられなかったのか、廃村の調査へ行ってしまった。
「さっき魔道具でルーカスに座標を送った。キャンプ地点からそれほど離れてねェみたいだ。──明日の朝にはこっちに来るらしい」
「もしかしてラーミル商団も一緒かい?」
「ああ。一緒にデリッツダムへ戻る。赤鱗の死骸の見張りも頼んでいたしな」
「ならクロには荷物運び、頑張ってもらわなきゃね」
「そうだな。ここには何も無ェが、誰も来ねェだろ。お前もゆっくり休め」
「ありがとう、ヨナもね」
エーギルは駆け足で湖へ向かい、沐浴中のクロに声をかけた。
「クロ〜!せっかくだから洗ってあげるよ!」
収納魔法からブラシを取り出して手を振る。
「おお!それはデリッツダムの鍛冶屋で買ったやつだな。よい、許す!」
クロが上機嫌でざばざばと音を立てながら岸へ上がる。
戦いで負った傷や痣がまだ生々しく残っているが、血は完全に止まっているようだ。
「うん。痛くしないようにするけど、痛かったら言ってね」
「ああ」
「……それにしてもクロは大きいねえ。またちょっと大きくなったかな?」
クロを見上げるエーギル。
出会った頃から十分に大きかったが、それでも成長している気がする。
ドラゴンのゆるやかな成長スピードを考えると、クロのそれは驚異的な早さだ。
「成長期だからな!そうだ、鱗いるか?それなりに高く売れると思うぞ」
ブラックオパールのように淡く輝く鱗を一枚剥がして、エーギルに差し出す。生え替わりで脆くなっていたものだ。
「いらないし絶対に売らないよ!クロはもっと自分を大事にして」
即答。まっすぐにクロを見つめて言うエーギル。
「ちえー」
クロは残念そうに鱗をぽいと放り投げる。
「あっ!こら!ダメだよ!」
エーギルが慌ててそれを拾う。
「いるのかいらないのかどっちなんだ?」
「クロが思っている以上にドラゴンの鱗は貴重なんだからね。簡単に捨てていいものじゃないよ。鱗を捨てるときは絶対に俺に言うこと」
「へいへい」
そう言いながら、クロは翼をたたんで寝そべる。
クロはすでに湖に何枚か捨ててしまったが、怒られそうなので黙っておくことにした。
エーギルはクロの体に飛び乗って、クロの体にブラシをかけ始める。
「力加減はどう?鱗の間に砂漠の砂が結構詰まってるね」
「ああ〜いいぞいいぞ。もっと強くしても大丈夫だ」
クロは気持ちよさそうに目を細めて喉を鳴らした。
(今度デッキブラシや洗剤も買ったほうがいいかな。あと、トリートメントとかも)
エーギルはそう考えながら、無心でクロの鱗を磨いた。気になる汚れは水魔法で洗い落としていく。
丁寧にブラッシングされる感覚がなんとも心地よく、クロはいつのまにか熟睡していた。
エーギルもまた、時を忘れてブラッシングに没頭した。
(……こんな穏やかな日はいつぶりだろう。こんなふうにドラゴンに触れる日が来るとは思わなかったな)
クロの全身を磨き終える頃には、すっかり日が傾いていた。
「飯の匂い!」
夕飯の匂いで目を覚ましたクロは、すっかり自分の体が綺麗になっていることに気づいた。
鱗の間に挟まった砂をエーギルが全部取り除いてくれたおかげか、全身がスッキリしている。爪や尻尾の先までしっかり磨き上げられていた。
「エーギルありがとな!」
クロは喉を大音量で鳴らしながら、顎と尻尾をエーギルに寄せる。ドラゴンの愛情表現だ。
「クロが嬉しいなら俺も嬉しいよ。またブラッシングしてあげるね!」
「絶対だぞ!……む?なんだか砂が光っているような……」
足元の砂がうっすらと発光していた。
そして周りを見渡してようやく気づく。辺り一面が青白く発光している。
「ああそういえば、ここは遺跡の近くだったね。──ちょっと向こうを見てごらん」
エーギルがクロの肩に飛び乗る。
クロは言われるがままにその方向を向いた。
高い視点から見渡す砂漠は、淡く青白く光りながら海面のような起伏を描いていていた。
ただし、光るのは遺跡周辺までで、それ以外は夜闇に溶けている。遺跡一帯だけが、まるでスポットライトに照らされているようだった。
世界からここだけが切り抜かれてしまったかのようで、どこか物悲しく、幻想的で美しい光景だった。
「時が止まった夜の海みたいで綺麗だな……これが蒼月の砂漠か」
クロはその美しさにしばらく見惚れていた。
「……なんか灯台みたいだな」
「どうしてそう思うんだい、クロ?」
「ネヘブの神殿はこの辺りだろ。この光はまるでその場所を示しているみたいだなって思ったんだ」
後ろからハリムの声。
「なるほど……死者の魂が迷わぬための灯台か。言い得て妙だ。新しい学説ができるな。……発表できないのが残念だが」
(クロ殿が闇神の生まれ変わりであることを世間に伏せる以上、ネヘブのことも、あの地下遺跡や霊廟のことも、すべて伏せねばならない。まるで──すべてが夢であったかのように)
「ハリムか、どうしたんだい?」
エーギルのその声で、思考の海に入りかけていたハリムは我に返った。
「もうすぐ夕食の時間だ。ヨナ殿から君たちを呼ぶように言われたのさ」
モノクルを掛け直しながら言う。
「おお!今すぐ行く!」
クロの元気な声が夜の廃村に響いた。




