第45話:ネヘブの試練
「──ゆえに、汝に試練を課す。光の勇者を目覚めさせたくば、我と戦え」
ネヘブが杖を突き立てると、地面から霧のような重い闇が滲み出た。
やがて霊廟全体が闇に包まれ、闇の溝がヨナとハリム、クロを隔てる。
石床が這うように動き、円形の闘技場のような空間へと変わっていく。
亡者たちはいつのまにか闘技場を囲む石像になり、無言の観客となった。
「一体どうなってやがる……?」
「闘技場……のようだな」
闘技場の観客席からヨナとハリムの戸惑う声が聞こえる。
闘技場の中央で、クロはゆっくりと翼を広げた。
「拒否権はないってわけか。戦うのはいいが、絶対にエーギルを目覚めさせてくれるんだろうな」
無自覚なのか、その口端からは黒い炎が漏れ出ていた。
「我は約定を違えぬ。汝がこの我に一撃でも与えられたならば、試練は合格とする」
ネヘブはゆっくりと杖の先をクロに向けた。
「──そして、もしこの試練を越えられなかった場合、汝の魂を貰い受ける」
「……随分なめられた条件だな」
ネヘブは答えなかった。
代わりにただ一度、杖をドンと地面に突き立てた。
次の瞬間、ネヘブの姿が掻き消えたかと思うと、クロの視界がひっくり返った。
気づいた時には、黒竜の巨体は横薙ぎに弾き飛ばされていた。
石床が砕け、砂塵が舞い上がる。
「……は?」
(……今何が起きた?)
見えなかった。
何がどう動いたのかすら、わからなかった。
ネヘブは元の位置に立っていた。
すぐに立ち上がったクロが体勢を立て直しながら、それを睨むと──
「遅い」
その一言と同時に、再び視界が反転する。
消えたのではない。見えないのではない。
──ただ、速すぎるのだ。
クロの腹部に衝撃が走り、壁に叩きつけられた。
骨が軋む音がした。
「があっ……!」
重い痛み。この世に生を受けてから初めて感じる、明確なダメージだった。
身に広がる痛みで息が荒くなり、翼が戦慄くように震える。
クロは咄嗟に人姿へと変わり、転がるように距離を取る。
そのまま腹から、黒い隕鉄が深く煌めく巨大なスレッジハンマー──鎚星を引き抜き、低く構えた。
「ずいぶんと脆いな。人姿の代償に、闇神の権能をひとつ失ったのか?」
「ああ。うまいもんをたらふく食いたかったからな」
「……なんと愚かな」
ネヘブの足元が、わずかに沈む。
その瞬間、クロは踏み込んだ。
地を砕くクロの一撃。
石床に大きな亀裂が円状に広がる。
しかし──そこにネヘブはいなかった。
「……っ、後ろか!」
気付いた瞬間にはもうすでに遅かった。
杖が振り下ろされる。
咄嗟に振り向いて防ぐが、受けきれない。
衝撃が腕を貫き、骨が軋む。
そこへ畳み掛けるように来た素早い連撃をいなせず、防御が緩む。
ネヘブはそこを見逃さず、クロの懐に一撃。
「ぐっ……!」
その衝撃をもろに受けたクロはそのまま地に叩きつけられ、床に新たな亀裂が走る。
あれだけ苛烈な攻撃だったにも関わらず、ネヘブは一歩も動いていないように見えた。
「……力はあるが、まだまだ未熟だな」
クロは口中に広がる血の味を感じながら、笑った。
「そうかよ。……なら、もうちょい本気でいくか!」
再び竜へと戻る。今度は迷いがない。
巨大な尾を叩きつけ、空間ごと薙ぎ払う。
一帯の石床がめくれるように砕け散っていく。
だが、ネヘブはその中に立ったまま動かない。
しゃらん、と杖飾りが軽やかに鳴った。
クロの巨木のような尻尾を、杖一本で受け止めていた。
杖がわずかに傾く。
それだけで、衝撃が反転する。
クロの身体が軽々と空高く打ち上げられ、空中で叩き落とされた。
鱗が割れ、鮮血が散る。
「ふぐっ……!」
体を貫くような痛みで呼吸が乱れる。
(重い。速い。そして──正確すぎる)
すべてを見切られている。正直、勝てる気がしない。
クロは倒れ伏したまま動かなかった。
受けたダメージが大きすぎた。
ぼたり、と石床に血が滴り落ちる。
そんなクロを前に、ネヘブは微動だにしない。
冷たい金色の瞳が、ただ静かに見下ろしていた。
ここで俺の命を取るつもりか、とクロは直感した。
幼い時からずっと命を狙われ続けていた記憶が蘇る。
「……なぜそこまでする?皆、俺を殺そうとする。」
クロの口からこぼれたのはそんな疑問だった。
「……かつての我が主人、闇神ベツゴ様と同じ気配が汝にはある。ゆえに、汝を闇神の生まれ変わりと見た」
ネヘブの眼差しが鋭くなる。
「闇神は守護神であると同時に、破壊神でもある。──ゆえに、汝は世界を滅ぼし得る」
「……わからん。そんなにやばい存在なら、さっさと俺を殺せばいいだろ」
「重要なのは、汝がその力をどう扱うかだ。汝はすでに神の因子を一つ持っている」
「神の因子?」
「神に認められた証だ。神に認められるというのは、容易ではないからな──ゆえに、すぐに殺さぬ。見極める」
「安心しろ。俺はこの世界を滅ぼさないし、神になるつもりもない。」
「ほう」
ネヘブの瞳が、細められる。
杖の先がわずかに傾く。
「面倒だからな。俺はずっとぐうたらしたいんだ」
クロは不敵に口角を釣り上げた。
呼吸をゆっくり整える。
息をするたびに、体のあちこちが焼けるように痛む。
翼は軋み、鱗の隙間から血が滲んでいた。
満身創痍だった。
それでも、その目はまだ死んでいない。
ネヘブの立ち位置。
杖の角度、そして、踏み込みの前動作。
───見えてきた。
「……そこだな」
クロは、あえて真正面から踏み込む。
当然のように、ネヘブの杖が動く。
速い。だが──絶対に来る!
クロは一瞬で竜から人へと姿を切り替えた。
その巨体が消えた分だけ、杖の軌道がずれる。
振り下ろされた杖が、クロのこめかみを掠って空を裂いた。
──初めて躱わせた、いや、外れた!
クロはそのまま最高速度でネヘブの懐へ潜り込む。
距離ゼロで鎚星を引き抜き、全力で振り上げる。
「悪くない。だが、遅い!」
ネヘブの肘が素早く動く。
杖がくるりと円を描いて回転し、その先端がクロの腹めがけて放たれる。
次の瞬間、腹に鉛のような衝撃が走った。
あまりの激痛にクロは思わず息を止める。
骨が砕ける感覚に、内側から爆ぜるような激しい痛み。
喉元まで血が込み上げてくる。
それでもクロは、止まらない。長柄を握る手に力を込める。
「──っ、らああああああ!!」
力の限り振り下ろし、杖を叩きつける。
唸りをあげた鎚星の鉄槌が、ネヘブの金杖を砕き、ネヘブの腹部を捉えた。
鈍い音が響いた。
ネヘブの身体が、わずかに揺れた。
ネヘブの攻撃の衝撃を受け止めきれなかったクロは、そのまま地面に叩きつけられる。
「……っは、ははは!どうだ!犬っころ!1発当ててやったぞ!」
仰向けのまま、クロは晴れやかな顔で笑った。
「──よい。試練は終わりだ。汝は、我に一撃を与えた」
クロを見下ろすネヘブの視線が、わずかに柔らぐ。
「──ゆえに約定は果たされる。光の勇者は目覚めるであろう、新たな闇神よ」
ゆえに祝福しよう、そう告げるとネヘブは闇の中から新たな杖を取り出した。
先ほどクロが破壊したものと全く同じ杖だった。
「祝福してくれているところ悪いが、神になるつもりはまったくないぞ?」
「そう言わず受け取れ。これが神の因子。かつての我が主より託されたものだ」
ネヘブは杖を高く掲げ、光り輝く小さな結晶の粒を闇から取り出した。
「くそ、勝手に贈るな!俺は神になぞならん!!これ勝手に俺の中に入っていくんだが!?」
身を捩って抗うクロの言葉をよそに、神の因子がその身へと吸い込まれるように流れ込んでいく。
「一つ目の神の因子を得た時点で、汝はすでにその道の上にある。ゆえに、逃れられぬ」
そんなクロの様子がおかしかったのか、ネヘブの口元がわずかに動いた。
「……それは、困ったな」
闇の泥へと解体されていく闘技場の中央で、クロは目を閉じて呟いた。
その声には、疲れとわずかな安堵が滲んでいた。
遠くでエーギルが目を覚ました気配がしたからだ。




