第22話:旅立ちの準備
「行き方は昨日聞いた通り、デリッツダム経由ルートでいいんだな?」
ヨナは地図でそのルートをなぞりながら言った。
その言葉にエーギルが頷く。
「うん。この方がクロが目立たないだろうって、こないだ会った旅人に教えてもらったんだ。」
ラルツィレからベテルシアへ向かうルートは、大きく分けて2つある。
ひとつは、ドワーフ王国「デリッツダム」を経由してまっすぐ向かう最短ルート。
デリッツダムは険しい山岳地帯の中にあり、それを超えた先にベテルシア聖王国がある。
人の足ではとても険しい道だが、クロの翼で空を飛べば、難なく越えられるだろう。
山脈にはドラゴンが多く生息する。
その区間ならばクロがドラゴン姿で飛んでも、他のドラゴンと紛れて目立たないはずだ。
そして2つ目は、街道沿いに周辺国を通過するルート。
山を避けるため遠回りになるが、平地で道が整備されていて歩きやすい。
往来が多いぶん検問所も多く、手続きに時間を取られる可能性もある。何かと面倒事も多そうだ。
──王都まで一直線で飛べればいいのに。
クロはぐうたらなので、少しでも楽な道を行きたいと思ってしまう。
「なぁ、ヨナ。王都までは直接飛んで行けないのか?そうすれば一番早いだろ」
ヨナが本部と連絡を取れるなら俺の事も先に伝えられるじゃないか、とクロは提案した。
ヨナはゆるゆると首を横に振る。
「今は色々と不安定な時期だ。ベテルシアは、空からの奇襲、特に竜騎兵による攻撃を警戒している。帝国との戦争が起こるかもしれねェんだ」
隣国のエルキアシュ帝国は、竜騎兵が特に強いことで知られている。
エーギルは、クロに向かってこう言った。
「もしクロが帝国の竜騎兵と間違えられたらどうする?」
「むう……分かった、飛ぶのは諦めよう」
クロは少し不満そうだったが、納得した様子で椅子に座り直した。
「ごめんね、クロ。向こうで食べたいものを好きなだけいっぱい食べていいから」
エーギルがよしよしとクロの頭を撫でる。
クロは少し機嫌を直し、表情が少し和らぐ。
「デリッツダムか……エーギルからドワーフの国だと聞いたぞ。何かあるのか?うまいもんとか」
クロはとりあえずデリッツダム出身のヨナに尋ねてみた。
ヨナは唸るように少し考え込んだ。
その様子からしてグルメはあまり期待はできなさそうだな、とクロは悟った。
「うまいもんというと、干し肉と酒ぐらいか……まぁ名産品ってほどじゃねェな」
「あそこはどちらかというと食べ物よりお酒かも。でも武器や工芸品の質はとてもいいんだよ」
「それだけ聞くとなんか汗臭そうな所だな……」
クロは露骨に肩を落とした。
「はっはっは!汗臭ェのは間違いねェ。でも面白ェもんならあるぜ、最近列車ができたんだ」
「ほお列車?」
クロが身を乗り出すと、その横でエーギルがのほほんとした様子で言った。
「そうそう。確か50年前にできたんだっけ。凄いよね」
さらっと”50年前”を最近と言ってしまえるエルフの時間感覚に、クロはおののく。
この世界は、本当に種族の寿命感覚がそれぞれ大きく違うんだな。
「エルフの時間感覚こわ……」そんな言葉が思わず口からこぼれた。
そんなクロの様子を見て、ヨナは不思議そうに首を傾げた。
「お前ドラゴンなんだから、俺たちとそれほど変わらねェだろ?ヒューマンみてェなことを言うんだな」
「しょうがないよ、クロはまだ200歳くらいみたいだし」
エーギルがそうフォローすると、ヨナは目を丸くした。同時に納得したようでもあった。
「意外とまだ幼いんだな、500歳くらいかと思ってたぜ」
クロは二人のそのやりとりにまた驚いた。
彼らからすれば、200歳なんて子供みたいなものなのか。
「話を戻すが……この列車はベテルシアとデリッツダムの協業で、2国を繋ぐものになってる」
ヨナが蒸気機関車が描かれたレトロなイラストが描かれたビラを懐から取り出した。
クロは文字はまだ読めないが、雰囲気からして列車を宣伝するものらしい。
この世界のことだから、きっと魔法で動く仕組みなのだろう。
列車のイラストの隣に簡単な地図が描かれており、ベテルシアとデリッツダムをつなぐ赤線が目立っていた。
ヨナはそれを指差しながら言った。
「昔は歩いて一週間かかっていたのが、こいつに乗れば2日くらいで行けるんだぜ」
「そりゃすげえな!そいつに乗れるなら乗りたいな。面白そうだ」
クロは前世で電車に乗ったことはあるが、こういう列車には乗ったことがない。
とにかく乗り物に乗れればその分楽できるし、座席でぐうたらできるのが良い。
ああ、この世界って駅弁あるのかな?もしあったら全制覇してやろう。考えるだけでワクワクする。
列車に興味津々なクロの横で、エーギルはヨナに尋ねた。
「ねえヨナ、ドラゴンって列車に乗れるのかな?」
「身分証があれば乗れるが、ドラゴン用の身分証なんてねェぞ」
「ドラゴン用がなきゃ人間用ので俺の身分証を作ってもいいぞ!」
クロは食いつくように言った。
遠慮なく俺の身分証を作ってくれ。そうでなきゃ人姿を得た意味がない!
「そこまでして乗りたいのか?お前は本当に変わったドラゴンだな……乗る時、絶ッッッ対にドラゴン姿にならねェと約束できるか、クロ?」
もし何かあったら責任を取るのは俺とギルだぞ、と凄むヨナ。
「ああ!」クロは尻尾に力を込めながら強く頷いた。
実際ヴァーレンベルク大樹海を抜けてからはほとんど人姿だったし、余裕だ。
ぐうたらできるなら何だっていい!
「俺からもお願い!俺も乗ってみたい!」
追い討ちでエーギルの輝く笑顔を受けたヨナは、眉間のしわを深めてため息をついた。
子供二人を相手にしているような気分だ。
「はぁ……おい、ルーカス。」
ヨナがその名を口にした瞬間、その男はまるで影のように静かにヨナの隣に現れた。
クロは驚きで思わず持っていたジュースを落としそうになった。
ルーカスと呼ばれたその執事は、サファイアのように艶やかな青髪がとても印象的だ。
彼はヨナの前にさりげなく新しいコーヒーを置きながら、彼の指示に耳を傾けている。
ヨナの指示を聞き終えて静かに頷くと、青髪の執事は一礼して部屋を出ていった。
クロはポカンとしてしまった。
あの青髪で相当目立つはずだが、なぜいままで気に留めなかったのか。
そう思うほど、ルーカスはまったく気配がなかった。
さっきだって、不気味なくらい足音や物音を一切立てていなかった。
あれが執事というやつか……?彼の静かな佇まいは、まるで深海の幽霊のようだった。
そんなクロの心を読んだかのように、ヨナはまだ湯気が立つコーヒーを傾けながら言った。
「あれは俺の執事だ。今回の王都行きにも連れて行くからよろしく頼む」
「どう見ても只者じゃないだろ……何者なんだ?」
「ルーカスはただの執事さ。デリッツダム発の便の手配を頼んでおいた」
「よかったねクロ!」
クロの列車に乗りたいという希望が通って、エーギルは自分のことのように喜んだ。
それからはヨナの護衛に関する書面契約を交わしたり、出発に備えて詳細なルートや休憩地点などの打ち合わせをした。
色々と小難しい話が続き、クロにはとても退屈なものだった。
いつの間にかウトウトと居眠りをしてしまった。気がつくと、周囲は静まりかえっていた。
書類や地図で埋まっていたテーブルは、いつの間にかさっぱりと片付けられている。
「ふがふが……もう終わったのか?」
いつの間にか自分にブランケットがかけられていたことにクロは気づく。
きっとエーギルがかけてくれたのだろう。
「待たせてしまってごめんね、クロ。お腹が空いたろう?」
エーギルはクロを優しく撫でながら言った。
(よくエーギルが俺の頭を撫でてくるな……俺を子供か何かだと思ってないか?いや、子供なんだったか)
ヨナが座っていた向かいのソファを見ると、無人だった。
あいつはもう帰ったのか。クロがそう思った矢先に、ドアが開く。
入ってきたのはヨナだった。その後ろには、あの青髪の執事ルーカスが控えている。
「あれ、ヨナ?お前もう帰ったんじゃないのか?」
「失礼だな。おいギル、もう少し従魔の躾を頑張った方がいいんじゃねェか?」
「あははは……きっと寂しかったんだよ。ね、クロ?」
「そんなわけないが?」「んなわけねェだろ」
見事にクロとヨナのセリフが被り、エーギルは笑った。
「まあクロが起きたんならちょうど良いな。昼飯食いに行くぞ!」
ヨナの言葉に、クロの眠気はきれいさっぱり吹き飛んだ。
「昼飯!?」
しかし、馬車が向かったのはレストランではなく仕立て屋だった。
「おいおい、なんで俺が仕立て屋に連れてこられたんだ? 昼飯は?」
クロとエーギルの身体を2人の針子が採寸している。
テキパキとした手捌きで見ていて気持ちいいが、採寸なんて滅多にされたことがないので、クロは少し緊張してしまう。
しかもこの仕立て屋、とても高そうな店である。
店内の空気すら重厚で、煌びやかなシャンデリアが頭上で煌めいている。
高そうな調度品も、大理石の床も、木製のマネキンも、すべて鏡のようにピカピカに磨き上げられている。
大自然の中で育った野生児ドラゴンのクロにとって、どれも無縁のものばかりだ。
尻尾をどこかにぶつけたらどうしよう、とクロは今から気が気じゃない。
ヨナは二人が採寸される様子を横目に眺めながら、カウンターで職人と何やら相談している。
エーギルは少し申し訳なさそうに言った。
「ごめんねぇ、クロ。こうしないと面倒くさがって来てくれなさそうだったし」
「まさか、俺がこんなところで服を仕立てることになるとは……」
クロはため息をついた。堅苦しいのは苦手だ。
今は人姿とはいえ、ドラゴンの俺がこうして服を仕立てるなんて、考えたこともなかった。
「……言っておくが、ここは王族御用達の店だぞ? お前みたいなドラゴンが来るような場所じゃねェ」
ヨナはそう言いながら、ニヤリと笑った。
王族御用達と聞いて心が揺らいだクロは、自分の尻尾をそっと後ろに隠した。
……まあ、せっかく作るなら、格好いい服にしてもらおうか!
「エーギルの服ならまだわかるが、どうして俺のも作るんだ?俺のは適当でいいぞ」
「さっき打ち合わせの時に話したんだが……本当に寝ていたんだな」
ヨナのその言葉に、クロは何も言い返せない。
「くっ……!」
「王都に着いたら、きっとすぐに王様に謁見することになる。会食もあるかもしれないから、今から準備しないと間に合わないんだ」
採寸が終わったら美味しいところでお昼食べようね、と宥めるように付け加えるエーギル。
クロは驚いた。王都での従魔登録が、どうして王様との謁見に繋がるのか。
「クロ、お前は竜殺しと呼ばれた勇者の従魔なんだ。しかもドラゴンだぞ? 王国中、いや世界中が注目するだろうな。下手なことをすれば、国中を巻き込む大騒動になるかもしれねェんだ」
ヨナは真剣な表情で言った。
「困った、面倒臭いな。ただ登録するだけじゃダメなのか?ドラゴン姿に戻って喋れないふりをするとか」
クロは知恵を絞ったが、いい案が浮かばない。
「多分難しいと思うなあ。王国の監視役たちはもう気づいていると思う」
「そういうこった。あっちはお前の食費を出してくれているんだ。挨拶しておいて損はねェぜ」
クロは重いため息をつく。
ちょうど採寸が終わったようだ。針子に服の希望を聞かれた。
クロはこの世界のファッションについて何も知らないので、「とりあえず動きやすさ第一に」とだけ答えておいた。
横を見ると、ヨナが色々な布地のサンプルを捲りながら、針子に色々と細かい要望を出している。
作るのはエーギルと俺の服なのに、まぁなんと熱心なことか。
たぶん、政治的な思惑も絡んでいるのかもしれない。
その隣で退屈そうに腰掛けているエーギルと目が合うと、おいで、と手招きされた。
クロは素直にエーギルの方に向かった。
「あと少しで終わるよ。お昼は何が食べたい?」
エーギルのその声にはクロへの労いの気持ちがこもっていた。
肉!とクロは即答した。
絶対そう言うと思っていたよ、とエーギルはくすくすと笑った。