第23話:禁断の果実
昼食はクロの要望通り、ラルツィレ一と名高い肉料理専門店へ。
厳選された上級肉を惜しみなく使った料理の数々は、どれもすべてクロを唸らせるものだった。
「ああ……もし俺が世界を滅ぼすなら、この世界がどんなにクソでも、まずは世界中の美味いもんを食べ尽してからだな……」
満足げなため息をつきながらクロは言った。
フォークの上で宝石のように輝く肉は、どんな金銀財宝よりも眩しい。
一口一口が幸せの塊だ。食材も、料理人も、素晴らしい。
こんなにも素晴らしい世界を失うなんて、あまりにももったいない。
本当にこの世に生まれてきて良かったと、心の底から思う。
クロは最後のひと口を噛みしめ、フォークとナイフを丁寧に置いた。
「ごちそうさまでした」
それを見てエーギルは首を傾げた。
「あれ、もういいの?いつもより量が少ない気がするけど……」
「いいか……本当にうまいもんは、少量でも満足度が桁違いなんだ」
恍惚とした表情で、クロは胸に手を当てながら語る。
ヨナは苦笑いを浮かべながら、クロの背後に目をやった。
クロの背後には、山のように積み上げられた皿がある。
少量と言いながらも、店の倉庫すべてを食べ尽くす勢いだったのだ。
「これが少量ねェ……全くドラゴンの胃袋はおっかないな。店を貸切にして正解だったぜ」
◇◇◇◇◇◇
腹を満たして、買い出しを終えたら、あとはギルドで手続きをするだけだ。
気がつけばすっかり日が傾いていた。
日没まであと少しという時間帯にも関わらず、広場の市場はまだまだ活気に満ちていた。
エーギルとヨナが旅に必要なものを買い求める傍で、クロは気になる食べ物を片っ端から買った。
「あいつ、あんなに食べたのにまだ食うのか……」
「あれはクロにしてはかなり少ない量だよ。きっと他のお客さんのために買いすぎないようにしているんだ」
市場の人々と楽しそうに談笑するクロを、エーギルは優しい眼差しで眺めていた。
ヨナはそんな彼の横顔に何か言いたげだったが、一呼吸おいて「つくづく本当に変わったドラゴンだなァ」と呟いた。
夕陽に照らされる市場は、いっそう暖かな雰囲気を醸し出している。
市場を訪れる客たちは、みな夜ご飯のために買いにきているのだろうか。
この世界の家庭料理はどんなものだろうか。
クロは、今しがた買ったばかりの新鮮な果物を頬張りながら、エーギルとヨナと共に広場を歩いていた。
果物屋の店主が1個多くおまけしてくれたので、クロは上機嫌だ。
この紙袋の重みは、幸せの重みだ。
何よりも食べるのが大好きなクロにとって、新しい食べ物を味わうことは、最高の娯楽だった。
ぐうたら眠ることも好きだが、こうして色々なものを食べ歩くのは、新鮮で面白い。
これこそ、クロが長年求めていた幸せだった。
市場の喧騒を背に、広場を抜けてしばらく歩けば、大通りの先にギルドがある。
エーギルがギルドの扉を開くと、何やら慌ただしい雰囲気だった。
クロはパンを頬張りながら、周囲をゆっくりと見渡した。
とにかくただ事ではないことだけはわかる。ギルド内は緊張感に包まれていた。
奥の方には、急遽集められたと思われる様子の冒険者たちがいた。
彼らはみな死を覚悟した表情で、それぞれ武器を手に取り準備を進めている。
予想外の重い雰囲気に、エーギルとクロは戸惑う。
かなり切羽詰まった様子のギルド職員が、ヨナの姿を見るなり駆け寄ってきた。
「どうした?」
ヨナが尋ねると、ギルド職員は息も絶え絶えに答えた。職員の顔は青ざめている。
「緊急事態です!南の森でサイクロプスが数頭目撃されました。村を襲う恐れがあります。今すぐ討伐に向かわなければ……!」
サイクロプスは背丈が建物よりも高い、一ツ目の凶暴な巨人型の魔物だ。
魔物等級はAランク。
その大嵐のような巨体と怪力には、並みの武器では到底太刀打ちできず、討伐には相当な実力と対策がいる。
そんな怪物どもに暴れられたら、村は間違いなく壊滅してしまうだろう。
窓の外では夕日が沈みかけていた。
強く吹き付ける風が窓ガラスをカタカタ揺らしている。
「A級メンバーは全員出払っているだと?タイミングが悪いな……」
ヨナはそう呟くと、クロを一瞥した。隣のエーギルが頷く。
ヨナは出陣の準備を進めていた冒険者達の前へ歩む。
彼の堂々とした足取りでヒールが床を打ち鳴らす音が、ギルド中を静寂へ導く。
気がつけば、クロも自然と食べる手を止めていた。
視線が一斉に集まる中で、副ギルドマスターは力強く堂々とした声で告げた。
「お前たちが出る必要はない。俺たちが行く。」
ギルド内がざわめいた。
「ギル、クロ、仕事だ。サイクロプス退治に行くぞ!」
「え、俺?」
クロは思わず食べかけのパンを落とした。
まさかこんなことになるとは思わなかった。
これから出発に向けてホテルでのんびりするつもりだったのに……。
「食後の運動の時間だ。クロ、お前の強さを見せてくれ」
ヨナは悪戯っぽく笑ったが、その目は真剣だった。
それを聞いたクロの尻尾はゆったりと大きく揺れた。
尻尾の黒鱗が照明の光を拾って、舌舐めずりをするように艶かしく紫色に光る。
その紫色に、ヨナは一瞬、悪魔と契約を交わしてしまったかのような気持ちになった。
「晩飯は奮発してくれ」
クロはそう言うと落としたパンを拾い、汚れを払って口に放り込んだ。
「晩御飯はなにがいい?お昼とのバランスを考えると魚か野菜かな」
ギルドを出る間際に、エーギルが尋ねた。
「いや、魚と肉だ!」
クロのその無邪気な言葉に、サイクロプスへの恐れは一切なかった。
サイクロプスの出現報告があった南の森は、ラルツィレから馬車で半日かかる所にある。
早速馬車を手配しようと身を翻したヨナを、エーギルが引き止めて小さな声で言った。
「クロに乗せてもらった方が早いよ。30分くらいで着くと思う」
今は一刻も争う緊急事態だ。クロの翼で向かうことが決定した。
クロのドラゴン姿で騒ぎにならないよう、クロ一行は街を離れ、飛び立つのに最適な草原へ向かう。
どこまでも続く広大な草原と田園。その地平線に件の南の森が見える。
南の森はヴァーレンベルク大樹海に近いので、魔物が頻繁に出るらしい。
そのおかげでかつて小さな農村だったラルツィレは、多くの冒険者を引き寄せ、現在では活気あふれる街へと発展した。
(……そういえば俺がいた森もあの辺だったな。)
クロはふと思い出した。
どこにでもあるような森だと思っていたが、ただの森じゃなかったようだ。
(今思えば、俺は本能でマナが濃いところを感じ取って、そこを寝床にしたというわけか)
昔、近くにあった神殿の柱を勝手にむしり取って、寝床の飾りに使った事があった。
あれは何の神殿だったのだろう?壊しちゃいけないものだったのだろうか。
百年以上前のことになるが、エーギルに言うべきだろうか?
クロがそんなことを考えていると、エーギルから声がかかった。
「クロ、ここなら元の姿に戻ってもいいよ」
「お、いいのか?」
クロは遠慮なく黒霧を纏って人化スキルを解き、ドラゴン姿に戻った。
人姿の維持は難しくないが、それなりに魔力を使う。
数日ぶりにのびのびと翼と尻尾を伸ばした。
深く深呼吸をした。久々のドラゴン姿は開放感があるな。
初めて見るクロのドラゴン姿に、ヨナとルーカスは絶句した。
黒霧の中から現れた、山岳を思わせるほど巨大な黒竜。
あまりの巨大さに、一瞬夜が来たかと思ったほどだ。
クロが皆と目線を合わせるために頭を軽く下げると、エーギルがそっと手を乗せた。
「デカすぎんだろ……ギルがずっと人姿を取らせていた理由がわかったぜ」
「ええ……しかも四眼のドラゴンなんて初めて見ました」
「ヨナ、君の鑑定ではどう出てる?念のため見てほしい」
エーギルが言うと、ヨナはクロを見て眉間に皺を軽く寄せた。
「種類までは分からねェが、間違いなくこいつはS級。サイクロプスが可哀想になるくらいだぜ」
「鑑定スキルというやつか?」クロは目を輝かせてエーギルに尋ねた。
「そう、ヨナは物から魔物までいろんなものを鑑定できるんだ」
エーギルに撫でられたクロは気持ちよさそうに目を細める。
ヨナの目には明らかに警戒の色が滲んでいた。
それはそのはずだ。闇の魔力に満ちた黒曜石を思わせる巨大な角に、ぎらりとこちらを鋭く捉える紫色の四ツ眼。巨大な体躯の禍々しい黒竜。闇そのものを思わせる漆黒の鱗は、神話に出てくる破壊神を彷彿とさせる。
これを前に警戒するなと言うほうが無理な話だ。
「どうみても明らかに邪竜だぞ!しかも魔力量が異常だ。光の勇者の従魔がこいつでいいのか?」
エーギルは頷いた。
「うん。最初はびっくりしたけど、慣れると可愛いよ」
特にご飯を美味しそうに食べる所が可愛いんだ、と聖母の如く優しく愛情に満ちた顔で語る。
「流石竜殺しは言うことが違いますね」ルーカスは皮肉っぽく言った。
エーギルのクロ語りが長くなりそうな所を、絶妙なタイミングで遮った。
「おいエーギル、そこは格好いいとか威厳があるとか言え。俺、ドラゴンぞ?」
クロは不満そうに鼻を鳴らしつつも、エーギルを尻尾でくるりと巻き上げて自分の肩に乗せる。
エーギルと出会って以来、クロの肩は彼の定位置になっていた。
「クロはかっこよくて可愛いよ!」
「ドラゴンに可愛いなんて言葉は似合わんだろう」
「クロは可愛いから必要だと思う」
真面目な顔でそう返すエーギルの言葉に、そういうものか?と首を傾げるクロ。
二人の緊張感のないやり取りに、ヨナは肩の力が抜けるように大きく息を吐いた。
そんな主人の横でルーカスが咳払いをした。
「おっと、そうだった。俺は悪いドラゴンじゃない。保証するぞ!」
クロとエーギルは息を合わせて大きく頷いた。
「主人が主人なら、従魔も従魔だな。人姿もだが、お前は本当に見た目と中身が釣り合わねェ」
「ええ、普通ドラゴンは気難しく怒りっぽいものです。怒らないのですか?」
「俺は心が広いからな。それに俺はこいつを気に入っている。親友だ。」
「俺とクロは従魔契約を結んでるから大丈夫!」
「それだ。そもそも、エルフは従魔契約を結べねェはずだろ。どうやったんだ?」
エーギルと同じエルフである、ヨナは訝しんでいた。
エルフは、魔物と従魔契約ができない。マナ濃度が特に高いエルフの血は、魔物を狂わせるため禁忌となっている。ましてや、マナに敏感なドラゴンなら劇薬だろう。故に、血の契約を通して行われる従魔契約はできない。
「まあそこは聖痕の力でね」
エーギルは聖痕のある右手を差し出した。その黄金色の輝きは、旅立ったときから失われていない。
「……なるほど。血を使わず、その聖痕の力で契約されたということでしょうか」
ルーカスが納得したように言う。
エーギルとクロはさもそうであるかのように頷いた。
ヨナが納得の表情を見せ、エーギルはホッと息をついた。
なんとかヨナとルーカスを納得させられたようだ。
早速クロは二人を背中に乗せ、南の森へ飛び立った。
「おお……マジでドラゴンの背中に乗れるとは思わなかったぜ。確かにこれならすぐ着くな」
「ええ。誠に快適な空の旅でございます。」
眼下に広がる空からの風景に、ヨナとルーカスは驚嘆の声を上げる。
「帝国には竜騎隊ってのがいるんだろ?俺以外にもドラゴンに乗る機会はあるんじゃないのか?」
「ねェな。ドラゴンは基本的に凶暴で、人に懐くのは稀だ。それに竜騎隊のドラゴンは主人しか乗せねェ」
「そうなのか?」
「ええ。竜騎隊のドラゴンはクロ殿と比べるとはるかに小柄です。乗り心地も大きく異なるかと」
「ふふん。クロは最高でしょ?」エーギルは我が事のように嬉しそうだ。
「はいはい。俺が最高なのはいつものことだろ。……見えてきたな、報告があったサイクロプスはあれか?」
サイクロプスは巨大なので、空上からでもよく見えた。
森の中を、8頭のサイクロプスが群れを作って歩いている。
その先には、ギルドで危惧していた通り、村があった。
「ああ、あれだな。サイクロプスから少し離れた所で降ろしてくれ。なるべく村が騒ぎにならねェよう、静かにな」
クロはヨナの指示通り、少し離れた所で着陸した。
静かに慎重に森を歩きながら、サイクロプスの群がいるところまで進んでいく。
先陣を切って歩くクロたちの後ろで、ヨナとルーカスが難しい顔で額を突き合わせていた。
「ますます本部にどう報告したらいいか、分からなくなっちまった。王都でも一波乱起きそうだな」
「そこがまたエーギル殿らしいのですけどね。エーギル殿は不思議と種族問わず色々な者に好かれる」
「俺はあいつが選んだ奴なら大丈夫と思っていたが、流石に邪竜は予想外だったぜ」
絹のような金髪をワシワシとかき乱しながらため息をつくヨナ。
ヨナはギルド本部への連絡用水晶を握りしめ、考え込んでいた。
「ルドバキ教の件もありますしね。今の所まだ接触はないようですが……」
「今見る限り従魔との仲は良好なようだし、嘘をついているようには見えん。……だが慎重にな」
「承知いたしました。」
◇◇◇◇◇◇
光の勇者のエルフ、エーギルは黒竜討伐という使命を背負い、数百年前から孤独な旅を続けていた。
そんなエーギルがドラゴンを従魔にしたという噂が流れた時は、ギルド本部は一時騒然となったが、すぐに噂は収束した。
なぜならエルフは魔物と従魔契約を結べない──禁忌だからだ。
しかし後に入った、ラルツィレ支部副ギルドマスターのヨナからの報告に、ギルド本部は動揺に包まれた。
──光の勇者エーギルが、ドラゴンを従魔にした。闇属性、魔物等級S級相当と思われる。
その知らせは、湖に投げ込まれた石のように、世界中に広く動揺をもたらした。
森を歩くクロとエーギルはまだ何も知らなかった。
彼らの出会いは世界を大きく揺るがすものであったことを。




