第24話:サイクロプスは歯磨き粉の味
クロが振り返ると、ルーカスの姿がないことに気づいた。
……彼はどこへ行ったのだろう?
軽く首をもたげてルーカスを探すクロと、ヨナの目が合った。
察したヨナが口を開く。
「ルーカスなら村へ向かった。村人への説明と安全な場所へ避難させるためだ」
その答えに納得したクロが頷いた瞬間、地響きのような重低音が遠くから聞こえた。
サイクロプス達の足音だった。
巨人たちはクロの気配に気づいて、こちらに向かおうとしているらしい。
今のクロはドラゴン姿だ。周囲の木々では茂みのように浅く、クロの巨体を隠しきれない。
当然、あちらに気づかれるのも時間の問題だった。
サイクロプス達がいるところからバキリ、バキバキバキ、と木の折れる音が次々と響き渡り、土煙と共に葉っぱが舞い上がる。
離れた距離にいるこちらにまで、土煙ともに濁った風が吹き込んできそうだ。
穏やかではないその様子に、明らかにこちらを警戒していることがうかがえる。
綺麗好きなクロは自分の鱗が土煙で汚れるのを厭い、翼を大きく翻し土煙を力任せに吹き飛ばした。
その凄まじい風圧で土煙とともに樹木が吹き飛ばされ、サイクロプスたちの姿があらわになる。
灰色の肌をした一ツ目の巨人型魔物、サイクロプス。
動きは鈍重だが、その身丈は2階建ての建物ほどある。
力任せに暴れ回れたら村などあっと言う間に壊滅するだろう。
サイクロプス達の片手には、豪快にへし折られた巨木が棍棒がわりに握られている。
「なんだ、思ったより小さいな。肉も不味そうだ」
クロの声に反応してサイクロプス達が一斉にこちらを見た。
突然の事態に困惑する巨人たちを見下ろし、クロは不敵な笑みを浮かべた。
小山ほどある巨体をもつクロにとって、サイクロプス達は幼子に等しい。
サイクロプス達は自分よりも大きいクロの姿を見てやや怯んだようだ。
「クロ、ずいぶん余裕じゃねェか。木とか大岩とか投げつけてきたら結構厄介だぜ?」
吹き荒れた風が収まる中、クロの横に悠然と立つヨナ。その髪や声には乱れひとつない。
「尻尾で打ち返すか壊せばいい。なあエーギル、こいつらは美味しいのか?」
クロは肩の上にいるエーギルに尋ねる。
俺には世界中の美味しいものを食べ尽くすという野望があるのだ。
「美味しいという話は聞いたことがないねぇ」
「だろうな。じゃあさっさと倒して帰ろう」
サイクロプスの額には鬼を思わせる角が2本生えている。
その中でひときわ目立つのは、長い一本角を生やした体の大きな個体だ。
おそらくあの一本角がボスだろう、とクロは目星をつけた。
「あのボスっぽい奴は俺がやる!あとは任せた」
正直大した敵ではないが、久しぶりに暴れられる喜びに、クロの血が沸き立つ。
力のままに蹂躙する、それが楽しくてたまらないと感じてしまう。
ドラゴンの本能ゆえか。
思わず、喉奥から滾るような咆哮が漏れ出た。
尻尾の先が自然と上がり、小刻みに震える。
クロのそんな興奮を読み取ってか、エーギルは宥めるように優しく声をかけた。
「わかった。でもドラゴンブレスは駄目だよ。火事になったら大変だから」
「ああ」
「いい子だね。ちょっと目を閉じてて」
そう言うと、エーギルはクロの肩から風のように軽やかに飛び降りた。
(目を閉じる?どういうことだ?)
その瞬間、視界が真っ白になった。網膜を焼き尽くさんばかりの強烈な閃光があたりを包んだ。
クロは慌てて目を閉じた。
再び目を開くと、前列にいたサイクロプス2体が光の矢に貫かれて絶命している姿が目に入って驚いた。
後列にいるサイクロプス達は、まだ光のダメージが抜けきらないのか、目を押さえてうずくまっている。
一ツ目なうえに至近距離でくらってしまったのだから、ダメージも相当なものだろう。
(あの一瞬で?殺気が全くなかったぞ……)
クロの前に降り立ったエーギルの手には、いつの間にか青銀色に輝く杖槍が握られていた。
杖槍についた飾りが、風に揺れてチリンと軽やかな音を立てる。
その音を聞いて、クロはハッとした。
着地した時の音すら、聞こえなかったように思う。
エーギルは、音もなく戦いに突入していたのだ。
正直、まだ目が若干チカチカする。
俺の目……ドラゴンの目に、これほどのダメージを与えるとは、とんでもない威力だ。
クロは今更ながらに、自分の主人が『竜殺し』と呼ばれている事を思い出した。
──なるほど、これが竜殺し。そして、光の勇者か。
「エーギルって戦う時、いつもこんな感じなのか?」
「ああ、おかげで楽させてもらってる」
ヨナは腰のホルダーからナックルダスターを取り出し、流れるように拳に装着した。
金色に輝くそれは、単なる武器というより、むしろ精緻な装飾品のようだ。
優美な装飾が隅々まで施され、宝石がいくつも埋め込まれている。
「おお……本当に拳で戦うのか」
「ああ、ギルから聞いたのか。念のため言っておくが、俺は元S級冒険者でな。職業は拳闘士だ」
ヨナが両の拳をコツンと打ち合わせると、ナックルダスターから魔力を帯びた鮮やかな火花がぱらぱらと散った。
宝石だと思っていたそれは、すべて魔力を宿す魔石らしい。
クロが興味深そうにその火花を見つめていると、ヨナはふふんと得意げに言った。
「いいだろ? 特別製だ」
それは、ヨナの故郷のドワーフたちが、彼の為に特別な素材と技術を注ぎ込んで作り上げた、唯一無二の品なのだという。
「なるほど、その石で魔法を発動させるのか?」
さすがドワーフ製。エルフといえば魔法。
実用性と装飾美が見事に両立しているな、とクロが感心していると、ヨナがキョトンとした。
「こいつは特別製だが、魔法は使わねェよ。これで力も魔力も力の限りブッ込むんだ」
ヨナは両手のナックルダスターをギラつかせ、獲物を見定めるようにサイクロプスたちを眺めた。
「なかなか殴りがいがありそうだ」
……思ったより脳筋だった!
エーギルも結構力任せで何とかしようとする時があるし、エルフは割と脳筋種族なのかもしれない。
サイクロプス達が体勢を立て直しはじめているのが、クロの視界に入った。
「おっと、ついうっかり話し込んでしまったな。さっさと掃除をしよう。二人とも耳を塞げ」
クロは息を大きく吸い込んで、サイクロプス達に向かって咆哮した。
ドラゴンの凄まじい咆哮で空間がビリビリと震える。
爆音波で取り巻き達がよろめく中、一本角だけが踏ん張っていた。
さすがボス個体だけあって、なかなかガッツがあるな。
ドラゴンの俺といえども、それなりに防御力が高いサイクロプス達に囲まれては少し面倒だ。
クロは、膝をついている取り巻きのサイクロプス3体を、素早い尻尾の一撃で宙に打ち上げた。
「エーギル!ヨナ!こいつらは頼んだ!」
そう言い放つと、クロは一本角のサイクロプスへ一直線に向かう。
エーギルは高速詠唱魔法を唱え、ヨナの前に数条の光の杭を作り出す。
「ヨナ!」
「おう!ぶち抜くぜ!」
ヨナが魔力を込めた拳で光杭を次々と弾き飛ばし、取り巻きのサイクロプス達を貫いていく。
一本角の前にクロが立つ頃には、大半の取り巻きは光の杭に体を貫かれ、地面に縫い止められた。
運悪く光杭に弱点の目を射抜かれた個体は、黒い塵になって消えていく。
───これが勇者と元S級冒険者の力か。
手慣れた鮮やかな連携だった。横目で二人の様子を見ていたクロはひそかに驚嘆の息を漏らす。
わずか数秒でサイクロプス達は壊滅手前だ。
これほど早々に不利な状況に陥るとは思っていなかったのだろう、一本角が戸惑っていた。
「さて……降参するなら今だぞ、デカブツ?」
クロは一本角を挑発した。お前の敵は俺だ。
「──────!!!!」
一本角のサイクロプスは雄叫びを上げ、巨大な丸太を勢いよくクロへと振り下ろした。
クロはそれを片腕で容易く受け止めたものの、わずかな違和感に顔をしかめた。
硬いはずの鱗が、微かに軋んだのだ。
鱗が軋むなど、これまで経験したことのない感覚だった。
これまで、何があろうと傷一つ付かなかった鱗が軋む。それはクロにとって初めての経験だった。
そのとき脳裏をよぎったのは、ヴァーレンベルク大樹海でユース・ユーキスが告げた言葉だった。
『私の転生スキルは、対象の性質そのものを変えます。クロ様が人化スキルを得る代償に、失うものがあります。』
『……それは?』
『クロ様の鱗が持つ特性「不変」……絶対的な防御力です。人化スキルを付与すれば、その特性は消え去り、耐久力も防御力も低下します。ただし、失うばかりではありません。以前とは比較にならないほどの再生能力を得ますが……以前のように不死身ではなくなる、ということです。』
一本角の怪力で軋む鱗を見て、今までのような無茶はできないとクロは悟った。
久しぶりの戦闘で少し遊ぶつもりだったが、やめておこう。
痛いのは嫌だ。こんな奴、さっさと倒して寝よう。
「ふん!」
クロは片腕で受け止めた丸太を押し返し、宙に浮いた瞬間に尻尾の先で丸太を粉砕した。
丸太を貫いて飛び出した尻尾に一本角は一瞬怯む。
その隙をクロは見逃さず、無防備になった一本角の胸を素早く爪で貫く。
胸に大きな風穴が空いた一本角は力無く倒れ、やがて瘴気の塵となって消えていった。
塵の後には一本角の特徴だった長い角が転がっていた。
「ふぅ……」
鈍臭い奴だったから難なく勝てたが、俊敏だったり硬い相手だったらどうなっていただろう?
今まではどんな攻撃でも気にせず眠れるぐらい頑丈な鱗が自慢だったが、もうそれはない。
(これからは戦い方を少し見直さないとな……)
クロが辺りを見回すと、残りのサイクロプスはヨナとエーギルに倒されて形も影も無くなっていた。
「もうみんな倒したのか」
「まぁね。ところでクロ何食べてるの?」
「一本角の角。結構食べ応えがあって硬めのクラッカーみたいだぞ」
「味についてコメントしないってことはあんまり美味しくないんだね。口直しの果物いる?」
「いる」
正直、歯磨き粉のような味で不味い。パサパサしていて口中の水分を吸い取られる。
クロは早速エーギルが差し出した口直しの果物を頬張った。
「ドラゴンって本当になんでも食うんだな……」
返り血一つない綺麗なエーギルとは対照的に、その隣にいるヨナはサイクロプスの血を派手に浴びて真っ赤に染まっていた。
「なんかすごいことになってるぞ、ヨナ」
クロにはその姿がとても意外だった。
ヨナは返り血一滴すら嫌がるほど、自分の外見をかなり気にするタイプだと思っていたからだ。
全く気にする素振りを見せないところを見ると、意外と大雑把な性格なのかもしれない。
「妙にしぶとい奴がいたもんでな、魔石を取るついでに懐に一発当てた」
血で濡れた髪を荒々しく掻き上げるその仕草がなんとも色っぽい。
彼の手には黒光りする黒曜石のような魔石が握られていた。
「ヨナって見た目に似合わず結構ワイルドだよねえ……はい」
エーギルが水魔法でヨナの汚れを洗い落とす。
コートも特別製なのか、血でどす黒く染まっていたのが、みるみる鮮やかなエメラルド色を取り戻していく。
赤よりも緑が似合うところを見ると、彼もまたエルフなのだなとクロは思う。
「……ところで、お前はやっぱりあの黒竜なのか?ギルから聞いていた黒竜の特徴と一致するんだが」
汚れをすっかり洗い流してさっぱりしたところで、ヨナが唐突に尋ねた。
絞られたコートからばしゃばしゃと水が滴り落ちる。足元の水溜まりには血の色はもうない。
ヨナには、出会った経緯は一通り話したものの、クロの正体についてはあえて伏せていた。
どう答えるべきか逡巡したクロは返答に困り、エーギルの方を見た。
そのクロの意図を察したエーギルは、静かに頷いた。
周囲に人影がないことを確認したエーギルの様子を見て、ヨナの眼差しが鋭さを増す。
「ああ、クロが黒竜である可能性は、かなり高いと思うよ」
「ならどうして従魔にした?迷わず殺すべきだろう。情でも沸いたか?」
「クロは、むしろ被害者かもしれないと俺は考えているんだ。災厄とは黒竜単体ではなく、人為的な事件である可能性がある」
「……どういうことだ?」
ここからはあくまでも俺の推測だけど……、とエーギルは前置きした。
「数百年前からマナの汚染が進んで、凶暴化した魔物が世界各地で増えているだろう?特に、魔物の中ではドラゴンは一番影響を受けやすい」
クロは、マナの汚染について全く意識していなかった。
自分が生まれた頃には、既に汚染されていたのだろうか、と内心で驚く。
ヨナは腕を組み、頷いた。
「ああ、そのせいで昔からいるドラゴンもみんな狂ってしまった。それで、お前があちこちを巡って討伐しているんだろう?」
「そうだ。それなのに、クロは汚染マナの影響を全く受けていない。初めて会った時、クロは初対面の俺を咄嗟に敵から庇ってくれたんだよ。それから、生まれた時からずっと何者かに狙われているようだった」
エーギルの言葉を聞き終えたヨナは、クロをチラリと見たあと顎に手を当てて深く考え込んだ。
「確かにこいつは狂っていないな……で、その『何者か』ってのは?」
「残念ながらまだ特定できていないけれど、神紋付きの下級天使だった。証拠なら、これを見て」
エーギルは懐から薄汚れた布切れを取り出し、ヨナに差し出した。
興味を惹かれたクロがその布切れに顔を近づける。
「なんだそれ?……うわ、ばっちい!なんでこんなもの取っておくんだよ」
それは、クロとエーギルが初めて出会った日に襲ってきた下級天使の衣の切れ端だった。
「これは……土神の神紋、か?」
その布の切れ端には、確かに土神の神紋の一部が刺繍されていた。
神紋は特別な染料で染められ、限られた者しか着用を許されない。神紋入りの衣を入手するのは、かなり難しいことなのだという。
「手がかりは大事だからね。黒竜に関する伝承は世界のどこにもなかったし、クロと出会ってから、その違和感が強くなったんだ。もしかしたら、災厄そのものの認識が間違っていたんじゃないかって」
「……ってことは、災厄ってのは黒竜を倒せば済むような、単純な話じゃねェってことか」
「ああ。俺が神託で見た災厄は、あくまでも一部分に過ぎない。まずは、全ての真相を知る必要があると思うんだ」
「そうだな。それに、下級天使がいるってことはそれを使役する奴がいる。……つまり、他にもクロの存在を知る奴がいるってことだろ。不思議なことに、この地域で今までクロの存在に関するギルドへの届け出が全くねェんだよな」
「届け出?」
首を傾げるクロにエーギルが説明した。
「もし危険度の高い魔物がいた場合は、誰であれギルドへの報告義務があるんだよ。特にドラゴンに関する情報は、ギルドを通して俺に必ず共有されるんだ。これでも竜殺しだからね」
「ああ。しかも報告を怠ると魔物秘匿罪になる。結構な重罪だぞ。全く、きな臭ェな……場合によっては、教会と対立する可能性もあるのか」
ヨナは面倒くさそうに大きなため息をついた。
「よく分からないけど、教会まで絡むのか? 困ったな、面倒臭そうだ」
クロは心底うんざりしたように、長い首をだらりと曲げて言った。
「それを、お前が言うか?」
「ははは……まあ、これでヨナもなんとなく分かったでしょ? クロは、見た目は怖いけど悪い奴じゃないって」
「……ん。」
エーギルの言葉に、ヨナは力強く頷いた。
「だから、真相を突き止めるためにも、クロとこの世界を守るためにも、クロを従魔にしたんだ。もちろん、友達として気に入ったっていうのもあるけどね。万が一の時は、俺が責任を持ってクロに手を下す覚悟だよ」
「お前がそこまで言うなら俺は何も言わねェ。悪くねェ判断だと思うしな。……おいクロ。お前、ギルに殺されるかもしれねェんだぞ?いいのか?」
「うむ、こいつになら殺されても構わん」
クロは迷いなくきっぱりと答えた。
戦い以外の形で命を落とすなら、見知らぬ誰かに殺されるより、エーギルの方がいい。
「殺されるとかそういう話はあんまりしないでほしいな……クロにはこの世界のことを好きになって欲しいんだから」
エーギルは肩を少し落とした後、まずそうならないよう頑張るけどね、と明るく笑った。
「ま、大体の事情はわかった。誰にも言わねェし、俺の方でも秘密裏に調べておく」
ギルの事よろしく頼んだぜ、とヨナがペシペシとクロの脚を叩く。
「えーっ、俺が頼まれる側なの!?」
情けない声を上げるエーギル。
「いやぁお前、油断すると普通に死にかけるだろ。こいつ、時々メシを忘れることがあるから、ちゃんと食べさせてやれよ」
「そいつは困るな。わかった、その時は従魔の俺が責任を持って主に食わせよう」




