第五話 お前の名は?
「……陛下?」
側近のアルベルトは目を疑った。
今、確かに見えた。
万年氷のように冷たい皇帝の口元が、ほんのわずかに緩んだのを。
だが、それは一瞬だった。
カイゼルはいつもの無表情に戻る。
「名は。」
静かな声が響く。
レイナは首を傾げた。
「アタシ?」
「他に誰がいる。」
「レイナ・アルフォード。」
「アルフォード公爵家の三女。」
アルフォード公爵が慌てて前へ出る。
「陛下! その娘は出来損ないでございます!」
「礼儀も教養もなく、皇后候補には到底──」
「黙れ。」
たった二文字。
その場の空気が凍りつく。
公爵は顔を真っ青にした。
「ひっ……。」
カイゼルは冷たい視線を向ける。
「余は、お前に聞いていない。」
「……申し訳、ございません。」
額を床へ擦り付ける公爵。
心の中では。
(どうしてあの娘なんだ!)
(クラリスかエレノアを見ろ!)
(あんな出来損ない……!)
カイゼルは眉一つ動かさない。
聞き飽きた。
欲と打算しかない声。
だが。
レイナの心だけは違った。
(なんかこのおっさん、めちゃくちゃ怒ってるな。)
「なんかこのおっさん、めちゃくちゃ怒ってるな。」
「……。」
また同じだ。
一文字も違わない。
アルベルトもレイナを見る。
「おっさん……?」
皇帝の前で実父をおっさん呼ばわりする令嬢など、聞いたことがない。
公爵の顔は真っ赤になった。
「レイナァ!!」
怒鳴りながら掴みかかろうとする。
しかし、その腕が届く前に。
ピシッ。
公爵の足元が一瞬で凍り付いた。
「動くな。」
カイゼルの氷魔法だった。
「陛下……!」
「余の前で騒ぐな。」
「……は、はい。」
公爵は震えながら跪く。
レイナは凍った床を見て、目を輝かせた。
(うおっ! 氷魔法! めっちゃカッコいい!)
「うおっ! 氷魔法! めっちゃカッコいい!」
カイゼルは思わずレイナを見る。
恐怖ではない。
羨望だった。
今まで能力を見せれば、
『恐ろしい』
『化け物』
『さすが暴君』
そんな心の声ばかりだった。
だが、この少女は。
純粋に格好いいと言った。
心の中でも。
口でも。
同じように。
カイゼルは静かに問いかける。
「……お前。」
「余が怖くないのか。」
レイナはきょとんとする。
(なんで怖がるんだ?)
「なんで怖がるんだ?」
「氷魔法なんてすげぇじゃん。」
「暴君って言われてるけど、アンタが本当に悪い奴なら、とっくにアタシも斬られてるでしょ。」
「ちゃんと理由があるから怒ってるだけじゃん。」
カイゼルは息を呑んだ。
心を読む能力を持っていても。
自分を理解しようとした人間は、一人もいなかった。
目の前の少女だけだ。
暴君という噂ではなく、自分自身を見てくれる人間は。
その時だった。
「陛下。」
アルベルトが耳打ちする。
「まもなく妃選出の舞踏会が始まります。」
「……ああ。」
カイゼルは頷いた。
しかし、その視線はレイナから一度も離れなかった。
その姿に、クラリスとエレノアは顔を引きつらせる。
(どうして……。)
(なんであの子ばかり見てるの……。)
胸の奥で、黒い嫉妬が膨れ上がっていく。
それをカイゼルは、すべて聞いていた。




