第十話 私のそばに来い
夜風が二人の間を静かに吹き抜ける。
カイゼルはレイナを見つめたまま口を開いた。
「レイナ。」
「ん?」
「お前、公爵家で幸せか。」
突然の問いに、レイナはきょとんと目を瞬かせた。
(幸せなわけないじゃん。)
「幸せなわけないじゃん。」
迷いのない返事だった。
「父にも兄にも姉にも嫌われてるし。」
「使用人みたいに働かされるし。」
「まあ、慣れたけど。」
(期待するだけ無駄だしね。)
「期待するだけ無駄だしね。」
カイゼルは静かに目を伏せた。
「……慣れるものではない。」
「え?」
「家族とは、本来そういうものではない。」
レイナは苦笑する。
「アンタが言う?」
「人間嫌いなんでしょ?」
「そうだ。」
カイゼルは即答した。
「余は人間が嫌いだ。」
「だが、お前は違う。」
レイナは首を傾げる。
(初対面なのに変なこと言うな、アンタ。)
「初対面なのに変なこと言うな、アンタ。」
思わずカイゼルの口元が緩む。
「笑った。」
「……そうか。」
「うん。」
「今日だけで二回目。」
カイゼル自身も驚いていた。
自分がこんなにも自然に笑えるとは思っていなかった。
「レイナ。」
「なに?」
「公爵家を出ろ。」
「……へ?」
「そして、私のそばへ来い。」
レイナは固まる。
(いやいやいや、話が飛びすぎ!)
「いやいやいや、話が飛びすぎ!」
「今日会ったばっかじゃん!」
「構わん。」
「余は決めた。」
「お前をあの家へ帰すつもりはない。」
真っ直ぐな瞳だった。
打算も駆け引きもない。
レイナは頭を掻きながら笑う。
「アンタも結構、本音で生きてるじゃん。」
その時だった。
「陛下!」
聞き覚えのある声が庭園に響く。
アルフォード公爵だった。
クラリスとエレノアを従え、三人は急ぎ足で近付いてくる。
公爵はカイゼルの前で深く跪いた。
「陛下。恐れながら、レイナを連れ帰らせていただきたく存じます。」
「この娘は礼儀も教養もなく、これ以上陛下のお時間を頂戴するような者ではございません。」
レイナは呆れたようにため息をつく。
(はいはい、いつものやつ。)
「はいはい、いつものやつ。」
公爵はレイナの腕を掴もうと手を伸ばした。
その瞬間――
パシッ。
「……っ!」
カイゼルがその手首を掴んだ。
「誰の許可を得て、レイナに触れようとしている。」
静かな声だった。
しかし、公爵の顔から一瞬で血の気が引く。
「へ、陛下……?」
「余はまだ、レイナとの話を終えていない。」
「ですが、その娘は私の娘で――」
「だから何だ。」
カイゼルの声が、公爵の言葉を遮る。
「レイナが嫌がっている。」
「それでも無理やり連れ帰るつもりか。」
公爵は言葉を失った。
レイナも少し驚いたようにカイゼルを見る。
(アタシの気持ちを優先してくれた……。)
「アタシの気持ちを優先してくれた……。」
その一言を聞いた瞬間。
カイゼルは心の中で静かに誓う。
――もう二度と、この娘をあの家で泣かせはしない。
その決意は、まだ誰にも知られていなかった。




