第6話 境界の外
数日後。
管理端末に表示されたその数値に、ナツは目を疑った。
【対象ID:Y-441】
【幸福指数:12.3】
【異常継続期間:31年】
ありえない数字だった。
Latticeが統治するこの世界において、
幸福指数は常に90%以上に保たれるのが義務だ。
通常なら即座に矯正対象、あるいは社会隔離対象になるレベルの絶望。
しかし、この「Y-441」と記された老人は、
なぜか31年もの間、システムに削除されず生存し続けていた。
それは管理の「隙間」に咲いた、毒のような、あるいは祈りのようなバグだった。
アーカイバー・ナツは、管理局からの特命を受け、
初めて自ら現地調査へ向かうことになった。
都市の外側――「境界群」と呼ばれる、管理の光が届かない場所へ。
統合管理社会の外側。
感情制御を完全には受け入れなかった人々の区域。
都市とは違う空気。
整いすぎていない音。
人の声。
笑い。
怒り。
泣き声。
ナツは立ち止まる。
「……生きてる」
その時だった。
後ろから声がする。
「近づくな」
技術管理士イオだった。
彼は監視任務として同行していた。
「ここは危険区域だ」
「危険?」
ナツは周囲を見渡す。
子どもが走っている。
誰かが歌っている。
誰かが言い争っている。
「どこが?」
イオは答えない。
代わりに低く言う。
「僕の母は、ここで死んだ」
沈黙。
イオは続ける。
「感情制御が完全じゃなかった時代、
暴動に巻き込まれた」
「だから僕は、
混乱をなくしたい」
ナツはその言葉を受け止める。
ここにも痛みがある。
都市にも、
境界にも。
ただ形が違うだけだ。
その時、
ソラが現れる。
旧文化研究の継承者であり
対象ID:Y-441張本人だった
「どちらも間違ってないよ」
イオが振り向く。
ソラは静かに続ける。
「混乱は人を傷つける。
でも静けさは人を止める」
「じゃあどうすればいい」
ナツが問う。
ソラは空を見上げる。
「揺れながら生きるしかないんだよ」
その言葉は、
風のように境界に落ちた。
その夜。
ナツは境界の子どもたちと出会う。
ひとりの少女が、
地面に花を描いていた。
不格好な花。
「それ、何?」
ナツが聞くと少女は言う。
「AinoHana」
「知ってるの?」
少女は頷く。
「おばあちゃんが教えてくれたの」
そしてこう続ける。
「“これを描くと、忘れないものがある”って」
ナツはしゃがみ込む。
「何を忘れないの?」
少女は少し考えてから言った。
「誰かを好きだったこと」
その瞬間、
ナツの胸の奥が揺れた。
ここにもAinoHanaは届いている。
都市の外側にも、
境界の中にも。
それは“制度”ではなく、
もっと小さなものだった。
そして再び、内側へ
ナツは都市へ戻る途中、
静かに考えていた。
レイの合理。
ミオの感情。
イオの恐れ。
ソラの歴史。
すべてが、
正しさだった。
そしてそのどれもが、
完全ではなかった。
ナツは気づく。
AinoHanaとは、
正解ではない。
これは“選択肢”でもない。
もっと小さなもの。
誰かが、もう一度人を信じるための、
最初の一歩。
それが花という形をしているだけだった。
そして物語は、再び光の花へと続いていく。
未来へ咲く花へ。




