幕間_祭りの夜の失踪
ミールは孤独を感じたことが無い。
父であるファウラは優しく、母であるメルウはいつも共にいてくれる。弟のマイトはミールにない健康な体をもって産まれたが、姉に対して暴力をふるるったことは一度しかない。
仲睦まじい姉弟にありがちなことに、年に数回はどうしようもなく喧嘩をしてしまうが、マイトは姉に一度だけ手を出したことがある。以降は決して手を出さなくなったが、その際は父母にもこっぴどく怒られていた。それをミールは嘲笑うことはなかった。弟のことを好いていたのだった。
彼女は昔から体が弱かった。病気などはかかりづらいが、走り回るとすぐに息が切れてしまう。食も細く、体力も中々つかない。内向的になるのは必然と言えた。
幸いだったのは、それで村で蔑ろにされることが無いということだった。特に同年代のアエリアとゼルクはミールに頼ることも多かった。
同性のアエリアはミールと違って元気に走り回れたが、遊ぶ時にはミールを優先してくれることも多かった。手先が器用でなかったアエリアの服を縫うことも多かったし、共に縫物をすることもあった。
ゼルクは穏やかで優しい少年だった。父を失った頃はふさぎ込むこともあったが、基本はよく周りを見て、周りとよく話す少年だった。何より暴力に訴えることは全くない。彼とて村の年頃の少年だ。狩りをすることもあった。だが何事もなるべくならば話し合いで解決しようとする。ミールはそんなゼルクの話を聞くのが好きだった。
ミールが特に好んだのは勇者の物語だった。
村長の方針で識字率は高かったため、本は誰でも読めたが、村の皆に本を読む時間は少なかった。寒村においては子供であっても仕事が多い。体の弱いミールも、朝には畜産の世話をせねばならなかった。だがそれ以外は彼女にもやれることは少なかった。時間のある彼女は村長から医師の手解きを受けたりしていた。
ミールは村で十分に幸せに過ごしていた。日の出前に起床し、畜産の世話をして朝の間を過ごし、午後からはエルフのオーラや村長であるオットーから薬草や医療についての手解きを受けていた。子供たちと遊ぶ日もあるが、走り回れるほどの体力はない。オットーやエルフたちも決して暇ではない為、手が空かない日は本を読んで過ごしていた。
だから彼女は想像もしていなかった。
突然村を離れることになるなどと。
村を離れることになると告げられたのは、祭りの朝だった。
ただ、それが祭りが終わったすぐ後になるなど、想像もしていなかった。
――祭りでの舞は大成功だった。
終わり、舞台から降りて舞台脇に用意された椅子に座ると、一斉に疲労が襲ってきた。冬の寒い日だというのに汗だくだった。舞は過酷であり、二刻以上も踊ることになる。それでも余りに楽しみにしていたこの舞台を、彼女は毎日のように練習していた。
本番となると緊張感が全くの別物だ。それは解っていたが、実際に踊ってみると実感する。ここでは寒いでしょうと言われ、集会所に案内された。そこで温かい白湯と甘いお菓子を出され、一息つく。それからすぐに服を着替えた。服装が貴重なのは間違いないが、それ以上にミールの体調が懸念されていた。
温められたお湯が用意され、手拭いを浸して体を拭いていく。顔や首といった箇所を拭くと、酷く心地よかった。
大仰に息を吐いて、用意された白湯を飲む。着替えは特別に暖かいものを着せられた。寒い冬の夜だ。毛皮で分厚く造られたコートを羽織らされる。
再度大きくため息をついて、立ち上がる。甘い菓子と白湯が余りに美味しかった。
「よく頑張ったわね、ミール」
メルウが言いながら髪の毛を丁寧に梳きながら労いの言葉をかけた。ミールは嬉しそうに頷いた。
家に戻って休みましょう。母はそう言った。その顔と言葉に僅かに憂いが含まれていることに、ミールは気づかなあった。高揚していたというのもあるが、疲労もそれなりにあった。家まではマイトが共をしてくれた。
舞は祭りの締めだ。舞の終わりと共に皆帰路へとつき、明日に備えて眠る。祭りの翌日も仕事は多かった。最も、流石に明日はそれほど朝早くから動き始める、ということはない。それでも畜産の世話をする大人たちは早朝から働き始める。
マイトの背中に揺られながら家に帰り、与えられたベッドでゆっくりと眠る。そして明日は、またゼルク達と一緒に過ごすのだ。ミールはそう楽観的に考えていた。村から離れる、とそう父に告げられていたが、それがいつかなど彼女は考えてもいなかった。
変化は真夜中に起きた。
扉が開かれ、起こされる。起こしてきたのは父であるファウラだった。真っ暗な闇の中で蝋燭だけを持っている。顔は殆ど見えないが、焦っているのか呼吸は荒い。
「ミール、起きたか?」
「え、おとう、さん……もう朝……?」
ミールは言いながら明り取りの窓を見やった。板が嵌っているが、朝日らしきものが差し込んできている様子はない。
「こっちだ、来い」
「え、何……?」
「いいから、急げ!」
「え……え……?」
手を強く引っ張られ、ベッドから無理やり引きずり起こされ、そのまま外へと駆け出す。裸足に凍り付いた地面は酷く冷たく感じた。
そのまま抱えられて馬車へと乗り込まされる。馬車は鉄板で補強されている箇所もあり、頑丈そうだった。見覚えがある。この村にやって来た、知らない行商の馬車。
靴はそのまま放り込まれた。マイトとメルウも乗っている。だがマイトはぐったりとしていて、メルウは不安げに震えていた。明らかに普通ではない。
「ぜ、全員乗りました」
「お父さん……っ!?」
「よし、出せ」
酷く冷たい声が馬車を走らせ始める。馬車の中にはディアゴと呼ばれていた男性も乗っていた。後は傭兵らしき男が一人。流石に六人も乗ると馬車は狭い。だが速度が出ているのは、車をけん引する馬が二頭いるからだった。
馬車の中は静かなもので、車輪が回る音と地面を走る音だけが響いている。ミールは馬車から身を乗り出して、離れていく村を見ていた。灯りのない村は夜闇の中に沈んでおり、月光に照らされて僅かな影しか見えない。祭りは終わり、既に誰もが家に帰っていた。当然、こうして村を出ることを誰にも見咎められることはない。
「ヴェリス。どれくらいで戻れる」
「素人四人乗せてるからな。サリアまで二週間はかけたいところですけど」
「ダルクとアロウはどれほどもつ」
「その気になりゃぁ村に近寄らないようにして二、三月は持ちます」
ディアゴの問いかけに、傭兵は淀みなく応じた。ディアゴは少し考え込んだ後、続けて言葉を紡いだ。
「私はそのまま行く。手配を頼むぞ」
「はいはい……あれ、そーすっと……五人か……?」
「問題があるなら人を雇ってもいい。金は出そう」
「ん……ま、どうにかします。ああ、只聖水使う可能性だけは」
「知る者もおるまい」
ディアゴと傭兵の会話を、ミールは少しも理解できなかった。不安からマイトへと近づくと、マイトは寝入っていた。呼吸は落ち着いているが、ぐったりとしている。少なくともミールがこうして起きているのに、マイトは全く起きていないというのが姉である彼女には不思議でならなかった。マイトはミールよりもずっと寝つきも、寝起きもいい。
明らかにおかしな状況だった。震えながらマイトへと縋りつく。
「でぃ、ディアゴさん……」
「ああ。ファウラ。よくやってくれた。これから暫く強行軍になるが、付き合え。約束の金貨は街のほうで支払おう」
「え、ええ」
「スレン、交代は一時間ごと、休憩は二時間ごとに十五分だ。それでいいか?」
「夜が思ったより深いです。距離、稼げませんが」
「いいよ。馬の水だけ確保しとかないとな」
約束。金貨。これまで全く出て来なかった単語に、ミールが様々な感情をない交ぜにした表情でファウラを見やる。
ディアゴはそれ以上何も語るつもりはない様子だった。馬車は闇夜の中を只管に進んで行く。ミールが意を決して口を開いたのは、それからさらに暫くしてからだった。
「お、お父さん。今、の……」
「貴方、今のは何ですか」
ミールの声に、メルウの言葉が被った。自然と強くなっている。
「メルウ、いい仕事が見つかったと」
「ええ、聞きました。ですがこんなに急に出て行くとは聞いていません。それに、こんな逃げるように」
「ディアゴさんはアルター商会の重鎮だ。一緒に行った方が話に早いと言われたんだ。急な話なのは謝る、だが急げばそれだけ稼ぎのいい仕事が貰える」
ファウラが一瞬だけディアゴを見るが、ディアゴは一瞥さえ返さなかった。メルウは厳しい目をする。
「……だからといって……」
「金貨を千枚だぞ。これで……これでミールにも、マイトにももっといい暮らしをさせてやれる」
金貨、千枚。それは果たしてどれほどの大金だろうか。ミールには解らなかった。
ミールはそんな父親を見て、更にマイトに縋りつく。そんな父親の姿は見たことが無かった。
ぎらぎらとした欲望に取り付かれた瞳。寒い夜だというのに、月光で額に浮かんだ脂汗が反射した。
ファウラとメルウの言い争いは際限なく加熱しそうになるが、割って入ったのはディアゴだった。
「ファウラ、メルウさん。それくらいにしておいてください。余り騒がしくすると、獣たちが寄ってくる可能性もある」
「ディ、ディアゴさん……」
「急な話になったのは私の方から謝罪させていただきます」
ディアゴは只管に冷たい声で言葉ばかりの謝罪を行った。ファウラとメルウはディアゴを見て、互いに押し黙る。言いたいことはあるが、互いに言葉を発せられないでいる。
「ですがファウラさんを商会に招いたのは私です。責められるべきは私ですな。契約金として金貨千枚をお支払いするお約束をしておりましてね。街に辿り着きましたら、仕事と共に。流石に大金ですので、私の承認が必要となります」
「え、ええ、でも……なぜそんな大金を」
「あの村には価値があります。そこと繋ぎをしてくれるだけで、ファウラさんには十分な価値がありますよ」
ディアゴはそれだけ言って黙った。それ以上言う事を持ち合わせていないのだった。ファウラとメルウも押し黙る。何せよ、既に村のは月光でその姿が見えない場所にまで来ている。
ミールはそっとファウラを見やる。見たことのない顔をしていた。けれども優しい父親なのは変わっていなかった。だからこそ恐怖が総身を支配していた。今はその恐怖を拭ってくれる相手は、ミールの傍には誰もいなかった。優しい友人は、全て闇夜の向こう側にいた。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
これにて【白紙の日々】完結となります。
それではまた次回、お会いしましょう。




