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幕間_銅の腐敗戦線

 大陸の東側には、広く『銅の腐敗』が広がっている。腐敗は日に日に広がっており、既に東の土地はその大半が腐敗に飲まれていた。

 銅の腐敗の原因は解っていない。だがそれが人間に限らず、あらゆる生物にとっての脅威であることだけは誰もが解っていた。

 更に銅の腐敗は異形の虫を産み出す。人々はミルミドンと呼んでいた。ミルミドンには人と同じような発声器官はなく、名乗った訳ではなかった。

 ミルミドンは成人男性ほどもある巨大な虫は大体が生白い装甲を纏っており、姿は様々だった。だが虫という特徴にある通り、腕と足は合計して六本であった。それをどう使うかは個体ごとに違っている。

 銅の腐敗は火に弱い。簡単に燃える為、嵐等で落雷が落ちると周囲が煌々と輝くことがる。そうであっても死滅するわけではない辺り、銅の腐敗というものの浸食は根深いものだった。

 大陸中央より東側には共和国がある。帝国を中心とした三国の一つであり、槌の勇者が最東端の辺境国に所属していた。また、ここには『鎧』もある。勇者本人は死んでいるが、鎧自体はここに保管されており、使用されている。

 辺境国の国境には銅の腐敗が入り込まぬようにと掘られた長い河がある。その名を、清水線と呼んだ。

 清水線は銅の腐敗が広がり始めた当時より掘られ、五十年という長い歳月を使って作られている。その河は実に深さ十メートル、幅は五メートルと非常に広い。水は北から南へと流れており、海まで繋がっていた。河口は長い年月をかけ、海の浸食でやや広がっている。

 河には跳ね橋がかけられており、跳ね橋を超えた向こう側には砦があった。この砦こそが最終防衛線であり、砦の前では常に火が煌々と炊かれていた。

 砦の上に立ち、空気さえ汚染されているかのように錯覚する空を眺めて大きく息を吐く女性がいた。砦の前に炊かれた火を継ぐために兵士たちが出ているのが見えた。しっかりと鎧を着こみ、緊急時の武装として剣、更に角笛を携えている。

 火継番が女性に気が付くと、その場で帝国式の敬礼を行った。右手の指先までしっかりと伸ばし、その手を鎧の目元に手を当て、垂直に立つ。彼女は素早く返礼を行い、すぐに手を下ろす。兵士たちもすぐに手を下ろし、火継へと戻っていった。一秒が正に千金の価値を持つ場所なのだった。それを見て彼女はかすかに苦笑した。

「全く、一向に良くならんな……」

 声は低く、聞き取りやすい。真っ白な髪の毛に、漆黒の瞳を携えた女性は人外と言っていい美しさを備えている。

 服装は黒を基調としている。その背中には金で描かれた女神の文様があった。布は戦闘の跡が残っており、薄汚れている。だが機能は全く失われている様子はなく、装甲の如くの織は損なわれていない。その腰元には一本の剣があるだけで、他の武装はない。左の脇には軍帽を抱えている。銅の腐敗を睥睨する黒い瞳には憂いがあった。

「インソムニア=シュヴァルツ様!」

「ン」

 砦から声を掛けられ、シュヴァルツは振り向いた。駆け足でやってくる兵士がいる。

 共和国式の武装は全体的に薄汚れており、傷も目立った。銅の腐敗からやってくるミルミドンの数には限りが無く、装備はすぐに破損する。共和国の日常とはすなわち、ミルミドンとの戦に他ならない。傷のある装備とはむしろミルミドンと戦ったその証でもあり、彼等の誇りでもあった。

「一等兵士のナザリエ、だったか」

「は、先日より共和国軍に所属しましたナザリエです。名前を憶えていただき、光栄で御座います」

 棒を飲んだような姿勢で公国式の敬礼を行うナザリエ。直立したまま左肩に右手を当て、軽く頭を下げた。この最前線においては敬礼は各国のものが採用されている。

 若い男性に見えるが、既に頭髪には白髪が混じっている。苦労しているのが見て取れた。若々しい顔にも複数の傷跡があった。名誉の負傷であったが、一瞬だけシュヴァルツの目には憂いの色が宿る。

「尊い兵士たちの名はなるべく覚えるようにしている。貴殿は公国からの出向か。亜人との小競り合いはどうだ」

「楽ではありませんな。ですが、こちら程でもありません。亜人共には最低限、理性はありましたから」

 ナザリエは敬礼を解除して応じた。理性か。シュヴァルツはせせら笑う。

「亜人どもにそんな上等なものがあるのならば、今頃自由連邦などという国は無くなっていただろうにな」

「それに関してはどうとも言えませんな。あろうとなかろうと、とは思います。女神さまの偉大さに触れようと、その庇護を受けたいかは別問題でありましょう」

「ほう、貴殿はどうだ」

「私は忠実な公国兵であり、女神さまの下僕に他なりませんな」

 模範回答だった。シュヴァルツは少しつまらなさそうに空を見上げる。特別な回答が聞きたいわけではないが、兵士には常に創意工夫が求められるのであった。最も、只の問答一つにさえ求められるかと尋ねられれば、流石に首を傾げる人物もいるだろう。

「それで、何用か」

「は、シュヴァルツ様に手紙が御座います」

「何?」

 シュヴァルツは眉を潜める。手紙。いい予感はしない。

 だがナザリエの出した純白の封筒には女神の刻印が押されており、更に封蝋は金箔が塗されていた。つまりこれは帝国、しかも女神に連なるものが書いた手紙だ。女神、現王族、インソムニアの妹たちーー何れかが書いたかは不明であるが、少なくともこの封筒はそれらの者たち以外が使っていいものではない。

「持ってきたのは」

「鳥亜人でしたな」

「……急を要するわけか」

 封蝋を丁寧に剥がし、中の手紙を取り出した。均一に書かれた美しい文字を見て、シュヴァルツは少しだけ微笑んだ。書いたのがフラメアだとすぐに解ったのだった。

 しかし書かれている内容は決して笑えるものではない。読み進めるうちに、その顔に厳しさが募っていく。

「カンソール大佐は会議室か」

「はい。いいえ、申し訳ありません。たかが一等兵には解りかねます」

「……鍛冶場に行く。会議室に行き、カンソール大佐に鍛冶場に来てもらうよう言伝を。少なくとも幕僚はいるだろう。シュヴァルツより、次の掃討戦についてのご報告があると」

「承知いたしました。失礼いたします!」

 素早く敬礼し、ナザリエはその場を駆け出して行った。シュヴァルツはもう一度手紙に目を落とし、顔を歪める。

 魔皇の発見。とり逃した。そして上位のソムニア部隊から重傷者も数名。その上、フラメアの武装が破壊されたため次回の交代にはボルトが来る。

 手紙の内容を要約するとそういうことになる。人間兵にも死傷者が出ているのは疑いようがないだろう。その事実が書かれていないのはフラメアの優しさに他ならない。だがソムニア部隊に重傷者が出た以上、間違いなく人間の兵士にもそれ以上の犠牲が出ている筈だった。

 魔皇。

 女神の宿敵にして、人の怨敵。当然インソムニアにとっても宿敵であった。シュヴァルツが産まれたのは帝国ができてからになるが、魔皇についての情報は女神から聞かされている。いつか必ず戦うことになる。その時、インソムニアの力は必要になるのだと。

「……おのれ、よくも」

 シュヴァルツの声は驚く程に低かった。漏れ出た独り言に気が付き、軽く歯を食いしばる。奥歯が微かに軋む音が静かに響いた。

 彼女にとってフラメアは妹に当たる。その妹が傷つけられたと聞いて黙っていられるほど優しくはないのだった。

 軽く息を吐いて空を見上げる。黒煙に塗れた空は透明には程遠く、全く気分は良くならない。手紙を丁寧に畳みなおし、懐へとしまい込む。抱えていた軍帽を目深に被り、言った通りの鍛冶場へと向かった。胸元に込めた怒りは決して表情に出すことはなかった。何れ解放すると気が必ず来ると予感があった。

 ――予感。予感だと。失笑も浮かばないほどくだらない。

 それはもう確定した未来だ。魔皇は必ず女神の脅威として立ちはだかる。いずれ来る未来には力を存分に振るわねばならない。女神様の偉業は、魔皇ごときに邪魔されていいものではない。

 やがて来る黄金の永遠。人間に与えられるのは永遠の安寧と幸福。退屈なき争いと、貶めることのない競争。そして苦痛なき最期。

 シュヴァルツは万難を排し、その未来を叶える為に戦っている。それは戦う為に女神に造られた自分たちの役割だと信じていた。だが、その為に今人間を犠牲にせねばならない矛盾については、常に胸を痛めている。それは彼女が生来持つ優しさに他ならない。無論のこと自らが何ものから造られたかは理解しており、人類の未来が何を犠牲にしているかも知っている。

 そうであっても疑問の一つも抱くことは無く、胸を痛めることすら無い。インソムニア=シュヴァルツの愛は常に女神と、そして人類に捧げられていた。

ちょっとだけ共和国にも触れていきます。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

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