覚醒
ゼルクが蹴り飛ばされる。空中で反転し、燃え盛る樹に足をついて横に跳ぶ。炎が迫り、ゼルクが先ほどまでいた樹を断つ。
炎はどうしたものか。受けきれない。更に技術と経験値において、フラメアはゼルクを圧倒している。詰め切れない。
はっきりと格上の相手に今なおゼルクが対抗できているのは、魔皇の腕の力、それ以外何ものでもない。
魔王の腕の影響で身体能力や反射神経は上がっている。右腕は魔皇の腕が形を作り、その余剰の力が両足と左手を覆って重点的に強化していた。曲がりなりにもフラメアについていけているのが良い証左であった。
フラメアが笑い、剣を構えなおす。折れた剣だが、威圧感は全く衰えない。顔面の前で地面と水平に構えられた剣からは炎が噴き出した。
「その程度か、魔皇」
フラメアの軽口に付き合うだけの余裕はなかった。口元を外套で隠し、決して視線をフラメアから外さないように注意する。
性能だけで言うのならば現在のゼルクは、フラメアよりもやや上と言ってよい。魔皇の腕一本でこの性能であるというのなら、女神が恐れるのも解るというものだ。
だが状況を逆転させるには少し力が足りない。魔皇には予め言われていたが、少なくとも腕が体に馴染み、魔皇の力を引き出せるようになるまで半日以上はかかるという。適合率が高すぎるのも考え物だと言われていた。
時間が足りない。
そう思った矢先、遠くで歓声が上がる。エルフたちが特攻している。
そして周囲にもエルフたちが散っていることに、ゼルクは気が付いていた。援護はしてくれるだろう。登れる樹も、隠れられる樹も、まだ残っている。燃えて灰になろうとここはエルフの領域だ。
「ぬ――?」
フラメアが僅かに視線をゼルクから逸らした。その瞬間に矢がどこからが飛翔する。慌てて回避し、ゼルクが前に出た。
技術ではフラメアに適わない。だが人数でならば勝ち目がある。ここで勇者たちを抑え込めば援軍も期待できるかもしれない。
「あーこれヤバい、ヤバいなー。流石は耳長、森に隠れるとさっぱりわかんねー」
「勇者様弱音吐かないでくださいよ!」
「だから樹を燃やしたんだがまぁ、この森の深いこと深いこと。全部燃やすとなると流石に厳しいし、時間もかかる……でももう混乱も収まって、反撃も始まってる……森もまだ大半が残っている以上、ここは敵地……」
勇者が矢を容易く弾き、ウルシュへと牽制を入れながらぼやく。現状を確認している様子だったが、言葉を紡ぐ毎に口の端に笑みが募っていく。
笑っている。どこかで悲鳴が上がった。大勢の絶叫だ。エルフたちのものも混じっている。背後で戦いが始まったのだと解った。
「うん、つまり大ピンチだ。よし、理屈はできた! ボルト、フラメア! 下がっていいぞ!」
「は――?」
「え、何、ぐにゃんっ!」
フラメアが一瞬戸惑い、勇者の方を見ながらゼルクと距離をとった。ボルトがウルシュに殴りかかられ、鋸で防いで奇妙な悲鳴を上げて吹っ飛んだ。
ウルシュが何かを感じ取ったのか、姿勢を低くしながら口を開いた。口内から咆哮と共に必殺のブレスが解き放たれる。
吐息は光線に近い。触れたもの全てを消し飛ばす炎の吐息だった。
だが勇者は微動だにせず、そっと、刃を横に引いた。
「一刀」
吐き出された炎が霧散する。
「二賢」
二度目の切断。竜の首と翼、腕が一瞬で切り離される。
「三界」
三度目には数十本の樹が幹ごと消し飛ぶ。。
「四斬」
四度目の切断で、樹の背後にいたエルフたちの手足がまとめて断ち切られる。
「五滅――っと」
わずか数秒、踊るように五振り。
それだけで戦場の景色が変わった。
辺りの木々は倒され、隠れ潜んでいた大勢のエルフたちが死んだ。ゼルクは両腕で防ぐことができたのは、間違いなく魔皇の腕の力だろう。
何が起きたのかさっぱり解らない。ゼルクは息を呑み、空を見上げた。。
青空が、広い。
遮る枝葉も煙もない、広すぎる空がそこにあった。理解するのに一秒、背筋が冷たくなるのにさらに一秒
「――ヒ」
先ほどまで燃え盛っていた森の中であっても、切り倒された森の中であっても、空はそれほど広くなかった。だが今は余りにも、広い。その事実を認識した瞬間に喉から悲鳴が漏れかけた。
襲われなかったのは勇者たちにも攻撃の意志が無かったというだけである。勇者は自らの剣に満足しており、フラメアとボルトも何が起きたかを受け入れ難い様子だった。
「おいおい、何を驚いている。これは女神さまの神器だぞ」
勇者が胸を張り、朗々と語る。彼の隣で、顔と体を切断された竜が動き出していた。
「竜の一匹――それで死んでないのは嘘だろう」
ウルシュはその体と頭を再生していた。斬れた場所を繋いでいるというのが正しい。致命部位だけ繋ぎ止め、命を繋いでいた。命の証がウルシュの体の下に真っ赤な池を作り出していた。
勇者は余裕からか動こうとしない。そしてフラメアとボルトでさえ呆然としている。彼女らですら見たことのない力の発露であった。
「……なんだそれは、知らんぞ」
「神器の真の力、その発揮――と言っても解らんか。はは、まぁまだ真の力の発揮までは程遠いんだけど。伝説に謳われる勇者の力、たかが竜の一匹殺せないと本気で思ったか?」
勇者は笑いながら剣を構える。よく見ると最初と違い、僅かに剣が光を放っていた。
ウルシュはそれを見て苦々し気に表情を歪め、歯を食いしばった。
「いや……その光は覚えている。なるほどな。制限の解除……つまり、嘗ての勇者たちは」
「そう。彼らに制限なんてなかったという訳だ。あったのかもしれないけど、それも俺たち程じゃない。さっきも言ったけど、伝説と比べてくれるなよ。後はまぁ、当主様より厳重命令が下っていてね。俺は俺の家族を尊敬してるもんで、彼らのいう事は絶対なんだ」
「――」
忌々し気に剣を睨み、ウルシュは嘆息した。諦めの吐息に近かった。
次の瞬間、一切の気配を見せず尻尾を振るい、地面を弾いて礫を飛ばす。
勇者は剣を振るい、それを切り取った。だがウルシュはその瞬間には地を蹴っており、ゼルクへと向かってきた。
フラメアとボルトが何かに気が付いたのか、ウルシュへと攻撃を始めるが、意にも介さない。勇者が剣を振るうと、足が切断された。歯を食いしばりながらゼルクへと飛びつき、その手に握る。
「少し熱いぞ! 堪えろよ!」
「え、あ、何――」
ウルシュが口を開き、自らの前に突き出す。
竜の喉から灼熱の奔流。ウルシュの手はブレスで吹き飛び、同時に首が落ちた。
それでも炎は止まらず、ゼルクの体を押し出して遥か彼方へと吹き飛ばす。自らの体に残った血肉と燃料全てをその光線に替えている勢いだった。やがて吐息が収まった時、その直線状に残されているものは何もなかった。
「ち、逃がした。フラメア、ボルト。残党狩りへと移行してくれ。二人がいればエルフ達なんて大したこともないだろう」
「承知いたしました、勇者様」
勇者の言葉に、異口同音に二人は答え、即座に奥へと向かっていく。
当然彼自身も残党狩りへと赴く予定だった。だがその前に剣を二度振るい、竜の体を寸断しておく。二度と蘇らぬ様に。
それから剣を地面と水平に携え、刃の上をそっと手で撫でる。するとゆっくりと剣の発光が収まっていった。
力の発露はグリーン家に伝えられた秘儀であるが、むやみやたらと使用していいものではない。この強力な武装を乱用する当主は無能とされる。最も、グリーン家の歴史においてはそのような無能が出た記録はなかった。
剣を収め、辺りに転がる死体を一瞥することなく前線へと赴く。
戦況は決したが、やるべきことは残っているのだった。彼は今なお帝国軍の一員であった。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
都合の良いものなんてどこにもありません。




