反撃
ウルシュが襲撃したのは司令部だった。森の中を音もなく駆け抜けたのはドリュアードの協力があってこそだったが、それでも竜の巨体を考えれば紛れもなく驚異であった。
燃え盛る炎とエルフたちの絶叫を無視したのは心苦しいというほかない。だがここで敗北すれば尚酷い目に合う。最低限、敵を引かせる程度には損壊を与えねばならない。そうであるのならばやらねばならないのは、防衛よりも攻勢だ。何もかも燃やされようと、防衛だけでは決して勝ち目がない。
背後から咆哮と共に司令部に襲い掛かる。完全な奇襲、そのはずであた。
しかし金色の瞳をした女性の兵士がウルシュの突進を止る。
「ぬっ!?」
「ど、っだぁ!!!」
衝撃で顎が跳ね上がる。咄嗟に腕を薙ぐと、奇妙な音が聞こえた。
無数の虫の羽ばたきのような低い振動音。女性が空中で身を翻しながら、手に持った剣を叩きつける。
「ぐ――ぅぐぁああああ!?」
肉が削げ、血と鱗が飛び散り、今までにない痛みに思わず引いてしまった。
彼女の手に握られた巨大な剣が駆動していた。刃についた飾りが刃に沿って回転している。残像さえ見えないほどの速度。左手にも取っ手が握られており、それは細い鎖で剣と繋がっていた。左手を離すと鎖に引きずられ、素早く剣の鍔へと戻っていく。
削られた右手を見やる。肉が消し飛んでいた。辺りに飛び散っている。高速で回転する鋸、のようなものか。流石に鋸で削られるのは覚えがない。肉が盛り上がり即座に修復されるが、痛みだけは中々消えなかった。
「ああ――っぶない! 下がって下がって! あの巨体で背後とられたの!?」
黄色の瞳の少女は焦ったように叫びながら、左手で剣の取っ手を握る。一度縦に回転させ、一気に引く。再び刃が唸りを立てた。
「竜はインソムニア=ボルトが相手をする! 残ったソムニア部隊は指揮官の護衛に! 指揮官、ソムニア部隊をお任せします!」
それだけ叫んで黄色の瞳の少女、ボルトは再び刃が高速回転する鋸をウルシュへと向ける。
ウルシュは忌々し気に舌打ちを一つ。せめて指揮官の首一つか、その周りの首くらいは持ち帰りたかったが。
彼らは悠々と後方に下がり、指示を出している。決して急いでいないのは、余裕からではない。演出だ。将が慌てふためけば部隊に余計な混乱を引き起こす。人としてはともかく、将としての胆力は認めざるを得ない。
「第二部隊は防衛解除、追撃に移行せよ。第一部隊が索敵を行っている為、情報の共有を行え。燃え盛っているとはいえまだ森の中、耳長共に油断はするな。ソムニア部隊の半数――いや、こちらの方は5人で良い。2人ずつ参謀と幕僚に。残りは輜重の警護に。森を渡ってこれを燃やされては適わない」
「いや、3人は指揮官の警護に回ってくれ。指揮官、前線に出る理由を探されては困ります」
「そういうつもりもなかったのだが。参謀、私と君と、どちらが剣は得手だ?」
「軽装鎧であるのなら弓はどのみち防げませんな。達人であるのは承知しておりますが、奇襲、更に耳長の弓ともなれば防ぐのは難しいでしょう。指揮官が死ねば、暫定とはいえ勇者の称号を持つジオ様に後任をお任せすることになりますが」
後方から聞こえるやり取りまで、竜の耳は逃さない。だが、会話を聞き続ける暇はなかった。
ボルトが狂暴に笑いながら跳ねた。手に持った鋸はウルシュの鱗を削り、肉を抉るほどの兵装だ。小柄の、人によく似た体でありながらその性能は明らかに人を逸脱している。
小柄ながら自らと同じ――いや、竜以上の脅威として捉えたほうが良い。ウルシュはそう考えながら拳を開き掴みかかった。なんであれ小柄であるのは違いない。握り潰して殺すことができればそれでしまいだ。
だがボルトの持つ鋸は余りにも強力だった。掴みかかった右手の親指を即座に切り落とし、体ごと回転させて腕に叩きつけ、そのまま腕へと登る。被っていた帽子を宙を舞う。
「ちぃ! 虫かお前は!」
思い切り腕を振るうと、ボルトも素直に地面に降り立つ。音を立てて親指が再生する。
「うわ、そういうアンタは蜥蜴かなんかか。ああ、そういや竜だっけ」
「光栄だね、世界を支える小型の生物と比肩してくれるとはな!」
言いながらウルシュは強く歯を食いしばった。
鱗が逆立ち、肩口から棘が生え、全身がまるで鎧にでも包まれたかのような出で立ちへと変わっていく。両手に生えた鋭い爪は一掻きで人間など襤褸切れのようにできそうだった。角が複数生え、何本かは前へと伸びていく。もはや姿を隠す必要もないとあれば、全力であった。
ウルシュが咆哮しながら尻尾を振り回し、辺りの樹を破砕する。砕けた破片は一つ一つが人間の頭ほどの大きさもある、巨大な投石となって帝国軍へと襲い掛かった。
「ちっ――」
ボルトは舌打ちしながら跳ね、次々に木片を破砕していく。なるほど。ウルシュはにやりと笑った。帝国軍は脅威だが、弱点としても機能するか。
ならば、と辺りの木々を適当にむしり取り、それを放り投げようとする。大質量による攻撃は防ぐのが難しい。だが目論見は即座に失敗に終わる。腕に何かが撃ち込まれ、切断された。
「ぬ――!?」
「間に合ったか!」
腕の切断面は余りに滑らかだった。近くにボルト以外の戦士はいない。
ならば何が起きたかは考える必要もなかった。勇者だ。剣の勇者とは戦ったことさえある。剣を遠くから振るったのはジオだった。
「ジオ様!?」
「援護! 既に指揮官の許可はとった! 背後も辛いのでコイツを――!」
「背後?」
ボルトが後ろを振り返ると、フラメアが下がってきていた。互いに燃え盛る樹を蹴りながら、灰白色の髪の毛をした男がフラメアと殴りあいながら広場へとやってくる。彼女が蹴り飛ばされ、地面を転がったのが見えた。
「は――メア姉!? なに、苦戦してんの!?」
「ゼ――いや、魔皇か! くは、くはははは!」
ウルシュは歓喜の笑い声を上げながら左手で自らの腕を掴み取り、くっつけて再生させる。それから大仰に口を開き、何度か牙を打ち合わせた。火花を散らす。体内にある燃料を喉をすぼめることで圧縮し、炎の光線としてボルトへと打ち付けた。
だが、ジオの剣が空間を裂き、その吐息を阻む。角が一本、音を立てて地に落ちた。
「魔皇! 勇者の相手を任せる! 辺りの人間も、そこの連中程度ならば俺一人でどうにかなる!」
「――! おう!」
「行かせるとでも!」
フラメアは即座に立ち上がり、駆け出そうとした魔皇の前に立ちはだかる。全身煤で汚れ、服も破れて傷塗れであったが、全く戦意は衰えていない。
折れた剣を構えてゼルクへと向かう。ウルシュが駆け出したが、再び顔の横を切断された。肩口がすっぱりと切られるものの、即座に再生する。ウルシュは一瞬だけ眉を潜め、再び尾を振るい礫を飛ばす。今度は礫は空中で消え去った。
ウルシュは笑みを深くした。ありがたい。此度の勇者は、剣の力を完全に使いこなしているわけではない。ならば十二分に勝負になる。
「避けやがる――流石は伝説に謳われる黒竜だな。経験値が違い過ぎる。ありがたい! リェン! 第三部隊の指揮を副長、ラグナ大尉に任せる! 大尉! リェンに補佐を仰げ!」
ジオは不敵に笑い、叫んだ。隠れ潜んでいた第三部隊から了解の声が上がった。
既に辺りに兵たちは存在していなかった。ソイルは決して無能な指揮官ではなく、戦場を移動させていた。竜の脅威を軽んじていなかった。
燃え盛る炎の只中に残ったのは竜、魔皇、インソムニア二人、そして勇者ジオの四人と一匹だけであった。
「おぉおおっりゃあああああああ!」
ボルトが叫びながら鋸を振りかぶり、低くから突撃する。ウルシュの足を深くまで抉った。だが意にも介さず、竜は勇者へと手を伸ばした。
腕が四つに切り取られる。大きく踏み込みながら更に左手を振るう。あっという間にジオは回避した。ウルシュの右腕が再生する。
「クソ、再生が早すぎる!」
「っだぁああああありゃぁああああああ!」
ボルトが叫びながら足から回転して切り上がる。ウルシュが腕で振り払い、彼女を弾き飛ばすと、回転しながら樹を足場に再びウルシュへと向かう。インソムニア、その全能力の余すことなく使いこなしていた。
「は、いつぞやの勇者に比べれば温いものだ!」
「伝説と比べてくれるなよ!」
ジオは叫びながら再び剣を振るう。角を切り飛ばされながらウルシュは前に進んだ。ジオが剣を構え直し、ボルトが再び鎖を引くと、鋸が更に唸りを上げた。
瞬間、ボルトは体を引く。今までボルトの頭があった空間を矢が通過した。
「――耳長! 潜んでる!」
「はは、いいね、ありがたい! 匪賊討伐くらいしか実戦経験がないんだ、俺は!」
ジオにも矢が飛んでくるが、それを容易く弾き飛ばす。剣と腕、それ自体に意志でもあるかのように動き、容易く矢を弾いた。
燃えていない森にエルフたちが潜んでいる。少なくとも矢が頭に当たれば死ぬ。ウルシュとしては朗報であった。少なくともこいつらはジェルフィスのように、殺せない化生ではない。ああ、あのクラゲどもは燃やせば殺せるか。
第三幕は、すなわち、反撃であった。
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