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望まれた姿

 剣を脇に構え、炎を噴き出し恐ろしい速度で迫る。

 ゼルクには一切反応できなかった。ぼんやりと言葉など紡いでいる場合ではなかったというのに。

 ゼルクの目には飛び出たフラメアが剣を振り落とそうとするところまでは見えていた。

「――え」

 その瞬間、意図せぬ動きで体が地面を転がった。鈍い音が響く。刃が肉と骨を断つ音が鮮明に辺りに響き、どこかで枝が落ちた音が聞こえた。

「ク――」

 ゼルクの代わりに体を断たれていたのは、隣にいたクラウだった。ゼルクを突き飛ばし、フラメアとの間に入ったのだ。

 代償としてクラウの体は左肩から肺まで断たれており、剣は未だに深く体に突き刺さっている。彼の顔はゼルクには見えなかった。フラメアの表情は憤怒に染まっていた。

「……貴様」

「ゼルク、逃げ――」

「亜人の血など、剣が穢れるわ!」

「――ぐ――ぁ」

 悲鳴は上がらなかった。吹き出た炎は一瞬でクラウの体を包み込み、音さえ燃やして消し炭にした。

 燃え盛るクラウの体を呆然と見ていた時間は数秒以上だった。助けられたと認識するのにも同様の時間がかかった。その時には既に2人の女性兵士がゼルクへと向かってきていた。エナムが折り畳み式の弓から矢を放つ。手馴れた射撃は2人の動きを止めるには十分だった。

 クラウだったものの体が倒れて崩れる。何もかもが燃え尽きたわけではない。だが左肩から肺まで断たれ、腕が完全に炭化する程燃やされた生物が生きているとは考えづらいだろう。倒れた体からは燃え切らなかった血液がどろりと流れてくる。

「え……」

 ごろりと転がるクラウには顔さえ残っていなかった。焼け爛れて僅かに肉が残っているだけだった。

 大木を燃やすような火力の炎だ。生物の体など、それこそ炭しか残るまい。

 後ろから体を引かれた気がした。エナムだ。速く立て、と言っている。

 鼓動が余りに早い。それに合わせて耳鳴りがやかましいのに、あらゆる音が聞こえるほどに耳は鋭敏だった。体は妙に熱い癖に、鉛でも詰められたのかと思うほど手足の動きは鈍い。視界は妙に狭まっていて、只燃えて残ったクラウの死体だけが鮮明に映っていた。硬質なものがぶつかる音が体内から響いている。歯がぶつかり合っていると気が付いたのは、暫くしてからだった。

「くらう、にいさん」

「は、さすがは魔皇。汚らわしい亜人を盾に取るか。人に敵対しながら希望などと、よく詠ったものだな」

「……」

 ――何も言えなかった。

 喉が塞がれたように、声も、息も出なかった。

 ただ、燃えて崩れ落ちるクラウを、見ていることしかできなかった。

 クラウとの付き合いは長かった。思えば父親よりもずっと。父の死さえ看取ってくれた彼は、ずっとゼルクの事を気にかけてくれていた。

 兄のように、父のように思っている相手だった。村でのことはその大半をクラウが教えてくれていた。

 薬草の採り方を教えてくれた。薬草粥の作り方も教えてくれた。村を逃げる時に守ってくれた。村を出てからもずっと、ずっと。

 思えば。

 ゼルクが燃えた村から逃げ出したとき、彼が平静を保てていたのは、クラウが傍にいたというのが大きい。

 それが、今、目の前で燃え盛って死んでいる。只の死体となって転がっている。傾ぐ体を支えると、その手にクラウの流した血液が付いた。ゼルク、いいかい、血は非常に汚い。誰のであってもそれは同じだ。素手で触ったら手を洗わないといけないからね。なるべくなら血が付いた服は捨てた方が良いんだが。

「――っ――っ!」

 呼吸が荒い。胸が苦しい。視野が狭まる。おかしい。ああ、これは夢だ。きっとあの腕を取り付けられてからまだ起きていないんだ。

 何もかも燃えてしまって、もう誰も助からない。なんて、なんて酷い悪夢なのだ。酷い臭いがした。思わず吐き戻した。

 死体に幾ら縋りついても光景は全く変化しない。煌々と燃え盛る炎の熱量も全くなくならず、どこかで聞こえる悲鳴は常に鮮明だ。

 心臓の鼓動は弔鐘を告げるように鳴り続け、顔面は白を通り越して鉛色となっていた。誰かが自分の名前を呼んでいる。頭をかきむしり、顔面をかきむしる。ゼルクを止めるものはいなかった。誰かがその体を引っ張り転がすと、顔面の前を炎が通り過ぎた。

 炎の先に、剣を携える美しい女性がいる。

 誰だかは解らないが、その女性を見た瞬間にゼルクの中で何かが爆ぜた。

「うぁああああああああああああああああああああああああああああ!?」

 顔面を引っかいていた手が強く頬の中に沈み込み、指の軌跡に赤を描く。周囲に響く絶叫が自分のものだと気が付くのに、暫くかかった。

 何も映していなかった瞳が突然像を結ぶ。自らが瞳だけの生物になったと錯覚するかのように周囲の何もかもが明らかになった。自らを引っ張る誰かを弾き飛ばし、不自然な体勢のままに突然ゼルクは弾けた。

 フラメアは落ち着いたままに剣を振るう。横一線に薙ぎ払われたそれはゼルクの首を断つ。そのはずであった。

 ゼルクが左手でその剣を受け止める。血の一滴さえ流れなかった。フラメアが驚愕する暇さえなく、ゼルクの拳が彼女の顔面に突き刺さった。

「は――!?」

「フラメア様!」

 フラメアが殴られ、よろけるのと同時に、彼女の後ろにいた二人が飛び出してくる。同時に、ゼルクの背後からまっすぐに体を狙う一矢。切りかかってくる二人を悠長に相手していれば心臓を射抜かれる。かといって矢を下手に避ければ二人はゼルクの命を絶つだろう。ゼルクの体勢は崩れており、矢は完全な奇襲。どちらにしても彼女らの勝利は疑いようがない。

 ゼルクは倒れる体を支えようとしなかった。殴り抜けたその体制のまま前に転がる。そして地面に手をついた瞬間、その手を起点に体を振り回した。女性の一人の足を払い体勢を崩す。同時に向かってきた女性に対して土を投げつけ動きを一瞬だけ止めると、ちょうどそこに矢が飛来し、彼女の肩に突き立った。

 足を払われ体勢を崩した女性に対しても容赦はない。遮二無二に剣を振るってくるのを軽く弾いて、右手をその瞳に突き入れ、殴り抜けた。

「ぎ――ぃあっ!? ああああああああ!」

「スワロウ!? おのれ、貴様!」

 炎の剣を振りかざし、フラメアが迫ってくる。ゼルクは距離を詰め、フラメアが付きだしてきた剣を今度は左手でつかみ取った。血の一滴さえ流れず、炎が手を炙ろうと意にも介さない。

 フラメアは一瞬だけ困惑する。馬鹿な、ありえない。この剣は女神様の与えてくれた特別なもの。準神器とさえ呼ばれるこれを受け止めることなど、不可能に近い。

「また、守られた。また死んだ。まただ。また殺されたまた奪われた、お前たちが、お前たちが、お前たちが」

 ゼルクは静かに口の中で呟いていた。接近したフラメアがようやく聞こえる程度の音量であった。誰かに聞かせるための言葉ではなかった。

 だがフラメアが素早く剣を引こうとした瞬間に、ゼルクは大きく口を開いた。

「よくも俺の家族を!」

 剣が握りこまれ、半ばから圧し折れる。フラメアの顔に初めて動揺が走る。クラウを切った時にさえここまではっきりとした動揺は見せなかった。

 腰に構えた拳が踏み込みと共に振るわれる。顔面に突き刺さった一撃はフラメアの体を大きく吹き飛ばした。空中で体ごと回転し、彼女はどうにか着地する。頬が腫れ、鼻から血が噴き出ていた。憎々し気な瞳でゼルクを睨みつけている。

 その瞳を受けながらゼルクは実にあっさりと、なんでもないかのようにフラメアから視線を外した。倒れ込んでいるエナムへと近づき、その体を引き起こす。

「エナムさん」

「え、あ、おう?」

「後ろに回られてる。何かするつもりなら急いで。後は、できれば早めに逃げて」

 ゼルクの瞳には何も映っていなかった。エナムを見ているようで、何も見ていないようだった。ただ底のない闇だけが広がっていた。

 その瞳に気圧されたわけでもないだろうが、エナムはすぐに駆け出した。それを見送り、ゼルクは横に軽く跳ね、炎の剣を回避する。フラメアの奇襲であった。続けざまに振るわれた剣を左手を突き出して防ぐ。

「――なんだと?」

 フラメアが訝し気に眉を潜めた。完全な奇襲だった。勇者であっても殺せる自信がある。それを既に二度、ゼルクは回避していた。そもそも視線を外すことさえ、戦の場ではありえないというのに。

 ゼルクとしてはそれどころではない。かなり気持ちが悪い。口元を拭うふりをしながら深く呼吸をする。

 自らを中心として全方位が見えている感じがあった。魔皇の権能だ。即座に理解する。夢の中で散々に使わされたものだった。

 自らを中心とした箇所からの全方位観測の能力。単独で戦う魔皇には必要な能力なのだという。まあ他にも使う場面は多い。使えるようになっておけ、と言われていた。

 夢の中でなら空間にいるのは魔皇だけであったが、現実においては別物だ。色々なものが見えすぎる。無数の悲鳴。燃える炎。まさに燃え堕ちる大樹。倒れるエルフたち。帝国兵士の声も聞こえていた。

 それら全てを泰然と受け止めるには、ゼルクは余りにも若すぎた。だが今、この時に関しては問題ない。全てを受け止めて尚、ゼルクの感情にはさざ波一つ立っていなかった。もっと大きな激情が総身を支配していた。

「俺が間違ってた。奪ってくる奴らにゃ何言っても無駄だった」

 ゼルクが静かに呟く。どこかで何かが爆ぜる音が聞こえた。

「力は絶対にいるんだ。誰にも侵せないような力、何もかもを滅ぼせる力なら尚いい。勇者、帝国、女神と盲目的に従う奴隷たち。なんで自儘に振舞えるかって、ずっと疑問だったけど――お前たちには、それを許されるだけの力がある、ってだけだったんだな」

 滔々と言葉を紡ぎながら、ゼルクは頬から流れる血を乱暴に拭う。

「力には力しかない。そもそもこいつらの辞書には友愛だとか交渉だとか、そんなもんは端から無いんだ。だから」

 燃え盛る炎の中、あらゆる平穏の楔を失ったゼルクは、胸の内に渦巻く感情の儘に声を吐き出した。

「俺が、魔皇になるよ」

 胸の奥で何かが軋む音がした。

 痛みでも悲しみでもない。もっと底の方で渦巻く、黒い何か。それと同時に何かが繋がる感覚がはっきりとわかる。

 ――待たせたか、小僧。力を示せ。ただし左手を中心にしておけ。

 確かに聞こえた。夢の中で聞いた声と同じだった。

「魔皇になって、国を興す。その国で、世界を支配する。やってやるぞ。お前たちが奪うのならば、お前たちを幾ら殺してでも!」

 ゼルクははっきりとそう宣言した。今や胸の底で黒く渦巻く『何か』は燃え盛る灼熱となって彼の全身を包んでいる。周りの炎でさえ彼の放つ圧力に近寄れず、倒れ伏す二人は未だに立ち上がることもできない。

 フラメアがその言葉を受けてか折れた炎の剣を構えなおす。裂帛の気合をもってして彼女はゼルクの圧力を跳ねのけ、叫んだ。

「正体を現したな、魔皇!」

「お前たちが望んだ姿だろう!」

 フラメアが剣を振るう。折れて尚、剣はその威容を失わない。

「魔皇現出! 勇者様をここ――」

 フラメアの剣を弾くと、再度振るわれる。彼女はその脅威を認め、指示を出そうとした。

 その瞬間、炎の唸りを断ち切るように、巨大な咆哮が森を震わせた。

 空気が一瞬だけ、静まり返る。次いで、爆発のような音圧が全身を叩いた。炎を回避しながら、にやりと笑う。聞き馴染のある咆哮だった。どうやらまだ勝敗は決していないらしい。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

書いててショックを受けますが、こう平然となくなることがあります。

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