疑問
「じ――爺ィイイイイイイイ!?」
「よせ、エナム!」
真っ二つになったエスターに駆け寄ろうとしたエナムをヴァリスが引き止め、無理やり大樹の陰に引き込む。
それから辺りを見回し、火が燃え盛る森の中でヴァリスは大声を上げた。
「クソ、いきなりこんな火災だぁ――何が起きた! クソ! ナッシュ! ナーッシュ!」
大声で同胞の名を呼びながらヴァリスは辺りを見回す。エナムは息を荒げながら地面を強く何度か叩き、大きく深呼吸をしてむせた。
同時に咳をしながらナッシュが現れる。右手が歪んだが足が無事な彼は、主に伝達や伝令で駆けずり回る役目だった。
「ゲほ、おう、無事だったかヴァリスにエナム。無事な連中集めてるところだ。フィオレンは……もう降りてこれねぇな」
重量に耐え切れず、音を立てて焼けた樹が折れて落ちていく。
火災は益々その猛威を増していた。樹上のエルフたちで無事なものはいないだろう。森に住まう獣たちも今頃逃げ惑っているに違いなかった。家畜として飼っていた幾らかの畜産を逃がせないのが心残りであった。
「里長が殺された。エナムがキツイ、ゼルクと一緒に――」
「――余計な気を回すな、ヴァリス」
ヴァリスの言葉に、エナムが地獄の底から響くような低い声を上げた。
俯いていた顔を上げると、そこに表情というものは一切が抜け落ちていた。ただ黒々とした瞳でヴァリスとナッシュを見ていた。
「ナッシュ、樹上の連中、下せる奴はもう下ろしてくれ。普通にやるぞ。燃え盛っているとはいえ……俺たちの森だ」
「解った。しかし――」
「ある程度動けない連中、100人ばかり俺の方に寄越せ。特攻する。アルバセラスと荷台に載せて逃がせる連中を逃がせ! 急げ!」
「――了解。俺も特攻組に入るぞ、いいな?」
ナッシュは頷き、すぐに駆け出した。燃えて灰になろうと、エルフにとって森は自らの領域だ。森に隠れたエルフを発見するのは至難の業である。奇襲戦であるのならば勝負になるだろう。否、ここで戦って負けるのならばどこで戦っても勝てはしない。
戦況自体は既に敗北していると考えてよい。そうであるのならば少しでも多くのエルフを逃がすために手を尽くさねばならなかった。
そして可能な限り、奴らを。エナムの黒い決意は隣にいるヴァリスにも伝わっていた。
「エナム」
「ヴァリスは奇襲隊を率いてくれ。エルフの戦い方の本領発揮だ。特攻隊以外は全員連れて行ってくれ」
「……解った」
「アルバセラスの御者は俺の隊から出す。動いてくれ」
ヴァリスがその場を去っていく。エナムは疲れたように深く呼吸をし、不快そうに大きく息を吐いた。焦げ臭い臭いと肉が焼けた臭いがいっぱいに広がる。
クソ、クソ。何度も口中で呟く。エスターが死んだ。目前で。自分の祖父であり、同時に育ての親だった。
エナムには父と母の記憶がない。そもそも彼が産まれたのもここではなかった。両親はこの里に留まることを選ばず、他の村で生きることを選択していた。そして奴隷商に捕まり――幼子である彼だけが捕まらなかった。理由は単純であった。彼は両親によって守られたのだった。
何一つ知らぬまま、解らぬままにエナムはこの里で育った。自分の両親について知らされたのは、彼が成人してからだった。既に人間の事を知っていた彼は、人間の全てを恨んだ。
「エナムさん」
「――ゼルク? それに、クラウ。アンタたち、どうしてここに」
焼けた森の奥から、ゼルクとクラウが現れた。愚問か。エナムは嘆息した。
当初の予定では交渉の後、ゼルクの一声で開戦させる予定だった。それは魔皇の所在をはっきりとさせ、帝国軍の目標を散らす予定だった。魔皇の波及については考えていなかったため、交渉は少し長引く。だが長引いても悪いことはない。そのはずだった。
その後の戦闘では地の利を生かし敵の殲滅までもっていく――ないしは、最悪はその場にいる戦力の全滅までは考えられていた。
だが状況は余りにも悪い。彼我の戦力差までは考慮できていなかった。
「……ひでぇ顔だな」
エナムは言いながら、自らの顔を擦って笑った。自分も大概酷い顔をしているか。
ゼルクは鼻血を出しており、涙の痕で頬が濡れている。吐瀉物でも吐いたのか、口回りも汚れていた。当然全身が煤で汚れている。
そういえば育った村が火に巻かれたのだった。こうして大量の火に巻き込まれて意識を失っていないのは、相当苦しいだろうに。
クラウも全身が煤で汚れているが、ゼルク程憔悴もしていない。彼はエルフだった。
「そちらも」
「まあ……状況が状況だからな」
「俺は、どうしますか」
「逃げろ」
ゼルクの疑問に対して、エナムは即答だった。他の道もない。
既に戦況は決している。ここにゼルクが残っていてももうどうしようもない。だがゼルクは軽く頭を振った。
「いいえ、皆さんを守ります。先ほどの連中の話、聞いていましたか、エナムさん」
「ああ、笑っちまうよな」
「あれはダメだ。絶対によくない考え方だ。誰一人、何もかも自分たち以外許さないなんてのは……女神様が全能でも、それは」
「……」
エナムは嘆息し、笑った。立ち上がる。自分よりも遥かに年下の少年がこうして踏ん張っているのに、いつまでも倒れ伏しているわけにはいかない。
襲撃は、次の瞬間だった。
ゼルクの背後から女性の兵士が3名、現れる。全身煤と灰で汚れてはいたが、傷の一つもない。
その中の一人は、その手に炎を噴き出す剣を握っていた。
「――っ!」
その姿に気が付いた瞬間、エナムがゼルクの腕をひっつかみ、倒した。クラウは即座にその場に伏せる。躊躇なく振るわれた炎の刃が彼らの背後を撫でる。
エナム達3人は転がるようにして起き上がった。忌々し気に目の前の女性を睨みつける。更にその女性の背後には2人、女性がいた。
「……ほう、人間? この里に?」
美しい声だった。状況に余りにそぐわない。この声を出す女性が、躊躇なく炎の剣を振るっているというのは、どこか現実離れした光景だった。
「スワロウ」
「そちらの人間です。魔皇の腕が……左腕……ん? なんだこの音……? すいませんフラメア様、多分動き回っててどこにあるかまでは」
「よろしい、十二分だ。それにしても」
フラメアはスワロウと呼んだ方の女性に軽く笑いかけた。優しい微笑だった。
だが即座に消し去り、ゼルクに向かって敵意の視線をぶつけて来た。ゼルクは思い切り歯を食いしばり、怒りと共に睨み返した。
「女神様が寵愛を与えし種族に憑くとは、許し難い。――なるべく苦しませぬよう殺す。動いてくれるなよ、少年」
「――」
その一言に、ゼルクの頭は漂白された。心底から何を言っているのか解らなかった。
炎の森。虐殺されるエルフたち。今なお悲鳴は止まず、またどこかでエルフが殺される。
そんな中、彼女はいったい何を言った。
苦しませぬよう殺す、だと。
「――アンタ何言ってんだ?」
ゼルクは呆然と訪ねてしまった。フラメアに容赦はなかった。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。




