開戦_01
少年が出て来た瞬間を、誰もが見逃した。
準備は粗方終わっており、エルフたちは既に各樹上で待機している。他のエルフたちは普段の日常通りの営みを送っているように見せている。ただし、どうしようもなく緊張は隠せていなかった。それら全てのエルフが、その少年が現れた瞬間を目にできなかったというのならば、それは驚異的な話であった。
広場の入り口に現れたのは、漆黒の髪の毛をした少年だった。目つきが悪いが、表情は穏やかなものだった。軽装の鎧を着ており、純白の外套を羽織っている。その手には剣が一本だけ握られており、他の武装は見えない。鎧の下や外套の下にはそれこそ他の武装があるのだろう。
少年ぐるりと辺りを見回し、剣を一振りする。虚空を切り裂く風切り音は鋭く、彼の腕前を物語っている。
その場にいた誰もが目を見開いた。隠れ潜んでいるゼルクでさえ驚愕に声をあげそうになった。
剣が振るわれると同時に、空間が切り裂かれた。そうとしか見えなかった。虚空を切り裂いたその向こう側に、ゼルクの全く知らない光景が映っていた。
そしてそこから大勢の人間が乗り込んできた。殆どが軽装の兵士だったが、中には鎧など全くつけていない女性の兵士たちも居る。少年が剣をしまい込み、全体へと声を張り上げた。
「101大隊、全隊状況!」
「第一部隊、到着報告! 異常なし!」
「第二部隊、同じく異常なし!」
「第三部隊、同じく異常なし!」
「ソムニア部隊、配置完了。欠員無し」
「指揮官代理、101大隊ジオ=イツマ=L=グリーン。全軍敷設完了、報告を上げます」
ジオと名乗った少年は、最も先頭に乗り込んできた男性へと向かって何やら不可解な行動をした。
右手を胸元にあて、左手を腰に添える。まっすぐにその男性を見て声を上げていた。
「兵員、全員異常無し。現在地点、敵性なし。装具点検については」
「よろしい。特務軍曹、第一、第二部隊で視座確保。第三部隊、装具点検。ソムニア部隊は周辺及びに輜重警護を願います。インソムニア=フラメア及びにインソムニア=ボルト、ジオは交渉への共を」
全員から了解の声が上がった。特務軍曹と呼ばれた男性は踵を返し、白い女性が二人男性の傍に出る。それを確認し、男性は前に出た。
女性の二人、どちらかがフラメアでどちらかがボルトなのだろうか。少なくとも少年はジオと呼ばれていた。そうであるのならばまず間違いないだろう。
純白の女性。瞳の色と髪型だけが違っていて、後はよく似通っている。後ろにいる、軽鎧さえつけていない女性たちともよく似ていた。
「本隊、セラフィア帝国、首都アルビオン所属、巡検第101大隊。女神様よりこの地に魔皇の遺骸、すなわち腕が存在するとの神託を賜り、調査のため来訪した!」
先頭を歩く男は朗々たる大声で言い放った。外套の上からでもはっきりとわかるほど、鍛え上げられた長身。
端麗な顔立ちをしているが、整えられた口ひげはしっかりと存在感を示していた。黒い髪の毛と赤い瞳。武装は何も持っていない。だが威圧感ははっきりとある。何も知らずに見れば英雄とさえ思う偉丈夫であった。
しかし瞳は冷たい。余りにも温度を感じない。明白にそこに住まうエルフたちを見下していた。
「下った神託に従い本隊の逗留を認められたい!」
一応エルフたちに合意を得ようとはしているものの、声の調子は全くの正反対であった。断れば即座に切り捨てる。そう告げていた。
その声を聴いて、日常生活のフリを続けていたエルフたちはそそくさと下がる。前に出たのはエスターとエナムの両名のみであった。他のエルフたちは方々に散らばり臨戦態勢に入っている。
エスターがゆっくりと頭を下げて、上げる。顔に張り付いた笑顔からは、友好的という以上のことを読み取れなかった。
「こちらの里長を務めております。エスターと申します。貴官は何ものでしょうか」
「本官はソイル=L=イツマ=グリーン、勇者である。帝国軍少将、及びにグリーン軍総長をしており、この隊の指揮官も行っている」
「ご丁寧に。魔皇の腕、ということでしたが、この森を探すのは骨が折れましょう。ご要望とあらば我らエルフも女神さまの御威光に従うのも吝かではございません」
エスターの言葉に悪意は一切混じっていない。だがソイルと名乗った指揮官は一切表情を波立たせず、薄ら笑いのままに応じた。互いに全くの鉄面皮であった。
「不要だ。そちらが持っているという事は既に解っている。大人しく差し出せば無事は保証しよう。ただし貴公らには魔皇の波及を受けている可能性が示唆されている。一人残らず、女神様提案の神聖検査をさせてもらう」
「無いものを差し出せと言われても難しくありますな。検査については、さて、我ら全員となると相当の時間がかかると思われますが、如何致しましょうか」
エスターは笑ったまま応じながら杖の位置を軽く変える。重心の位置を変えただけであった。
「何よりここは二千名以上を収容する都市に御座います。女神様自身がお決めになられた協約によって、ここでの戦闘行為は禁じられております」
「例外がある。魔皇だ。体の一部であっても」
ソイルはやはり表情を波立たせずに応じた。
「ここに魔皇の腕は存在すると、女神さまがそう仰せになった以上、ここでの戦闘行為は禁じられていない。無抵抗で降るのならば女神様の御威光に触れる機会も与えよう」
「争いに善悪は問いません。愚問ですからな。ですがここには非戦闘員も多数ございます。女神さまの決定により非戦闘員であっても殺すというのならば、それは恥ずべき非道ともとられかねませんが」
「正道と非道など、状況次第ですな。それにその基準は女神さまが定めるもの」
ソイルは臆面もなく言い切った。エスターの隣にいたエナムの顔が面白いくらいに歪む。エスターも困ったように言葉を紡いだ。
「……最低限の人倫さえ基準ではないのでしょうか」
「人倫であるのならば我々も考える。常に」
その言葉にはエスターも驚いたようだった。エナムの顔がまた面白いくらいに歪んだ。
「人が人たる道、帝国に居られながら天に坐す我らが女神さまの教えは絶対的に尊重すべきものである」
その言葉にはただ自分たちの正しさを肯定する響きだけが含まれていた。ソイルの両脇にいる三名は微動だにしない。それは彼らにとって常識以外の何ものでもないと、その証明に他ならなかった。
「が、それらは諸君らとは何の関係もないことではないか?」
「……爺、そろそろ口を出してェんだが。頭痛くなってきた」
「いや、これは、全くだ」
エスターが苦笑いして嘆息した。いやはや全く持って、人間というのはここまで傲慢になったか。その思いが強かった。
三十年の後には全世界を制覇しているであろう、女神の庇護を得た人類。単に技術力や種族の問題とは捉えず、神に選ばれた特別な種族故の宿命であると信ずる者たち。特別珍しくも難解でもない、ありふれた信仰だ。エルフにも似たような信仰は存在している。長く生きるものこそが特別優れていると信ずるものは然程珍しくなかった。
当然人類以外、彼らが亜人と呼ぶ者たちと価値観を隣接させるには、互いに大陸ほどの距離を歩み寄る必要がある。人類に歩み寄る意志などなく、エルフたちにもそのゆとりはないことを考えると、関係の修復は絶望的であった。
帝国、いや、三国が亜人を酷く扱っているとは知っていた。だがそれも極めつけだ。意識さえせず人類は種族を差別している。そうであるのならばソイルの言葉も当然であった。そもそも交渉する相手と見做していないのだった。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
どこまでいっても平行線。




