誇り
里の広場は静かだった。だが、その静けさの中で、エルフたちは着実に備えを進めていた。
地上には何もない。普段通りの木の道具、使い古された小さな屋台や腰掛けだけが並び、まるでただの朝の準備風景のようだった。苔むした遊具さえ仕舞われていない。
だが、視線を上げれば、木々の上には弓を持った者たちが音もなく配置についていく。隠れ潜むのが上手のエルフたちも、準備が忙しいのか流石に身を隠しきれていなかった。矢筒は目立たぬ様幹に隠されている。
敵がどこから現れるかは分からない。だが、最初に彼らが見るのはこの広場だ。そう想定されていた。
武器は石で作られた短剣や剣はあるが、大半は弓だった。鉄器は最低限のものしかない為、武装としては私用されていない。鏃も石が削られたものだった。
ゼルクは中央で指示をだすエスターとクラウの下へと行く。クラウが指示役に選ばれていることに驚いている。中央広場の大きな机のの上に図面が敷かれていた。以前に彼が里のエルフと共に、大きな紙に何かを描きつけていたのを、ゼルクは覚えていなかった。
「クラウ兄さん!」
「ああ、ゼルクか。無事――右腕も、戻ったのだね。喜ぶべきだが……」
クラウが微かに笑った。苦笑いに近い。状況を考えるのならば歓迎できることばかりではない。
セリオンが二人に頭を下げて挨拶をする。それからゼルクを見て、頭を下げた後、少し戸惑ったように右手をとった。軽く握り、笑ってその場を去っていく。彼女なりの別れの挨拶なのだとわかった。
「――彼女は」
「うん?」
「近くの避難所に逃げる手はずになっている」
「……近くの?」
クラウが少し言いづらそうに言った。ゼルクが眉を潜めると、続けてエスターが告げた。
「襲われやすい避難所、のことです」
「……」
「負けてしまった後も、捜索隊は出されるでしょう。周辺は根こそぎ――の筈です。で、あれば、近場でありながら多少隠された場所に少数、エルフを置いておきます」
「満足すればそれ以上の捜索は行われないだろう……ということだ」
ゼルクは言葉を失っていた。エスターのいう事も、クラウのいう事も半分も理解できなかった。
いや、嘘だ。解っている。冷徹な決断だ。だが必要な判断でもある。僅かでも未来に可能性を。ウルシュの基本戦略は少数を殺して大勢を生かすことだと、魔皇も言っていた。その戦略を拡張したに過ぎない。
ゼルクは何度か口を開いては閉じるということを繰り返し、最後に歯を食いしばって自らの顔を両手で叩いた。痛みと衝撃で混乱が一瞬だけ収まる。
「あ、の……俺を」
呼吸が上手くできず、胸を叩きながら言葉を放つ。しっかりとエスターを見据えて。
「俺を……俺だけをここに残して、皆で逃げて、ください」
「ゼルク、それは」
「それだけは絶対にしませぬ、ゼルク様」
エスターはしっかりとゼルクの目を見据えながらそう言った。言い放ってから、悲しそうに笑い、目をそらす。
「貴方は……善い人です。とても大事に育てられたのでしょう」
「……」
「正直なところ、なぜ貴方が、とも思いました。いつの間にか、我らは魔皇様の腕を継げるものを探すのではなく、その希望に縋っていたのです。魔皇様の力を継ぐものが現れれば、嘗ての誇りを取り戻せると――エナムとセリオンに諭されました」
嬉しそうにエスターは語る。浮かべる笑みは、疲れ切った老人のそれだった。
「いつまで魔皇様の腕に頼るのかと。自分たちの力で取り戻せたものが山ほどあったはずだと。その証拠がこの里であると言われましてな。あの小僧がはっきりとそう断言してくれました。全く持って、愚かしい。我々は我々の力でやれたことが多くあったはずなのに、目もくれず……」
「――エナムさんが」
「セリオンに小突かれながら、手紙を渡されましたよ。平和な時代を想像できないなら武力は不要です、と。そう、その通りだと、思ってしまいました。儂の考え方では……結局は不幸を拡大するだけでしょう。いや、きっと大勢のエルフがそうだった。我らに取って魔皇様の腕はやがて来る未来の為のものでしたから」
自嘲気味に笑うと、それからゼルクを見据える。その瞳には先ほどまでの悲しさなど欠片もなかった。
ですが。そう前置くと杖を強く握り、しっかりと立つ。
「手を取り合い、それでも、どうしようもないのならば我らは武器を取って立ち上がらねばなりません。そしてここに魔皇様の腕があったと解ったのならば、奴らは容赦なく殺すでしょう。ここから逃げたとて同じです。奴等ならばエルフという理由で殺し始めるかもしれない。むしろ我らは千載一遇の機を逃すこととなる」
「――好機を」
「ここで勝ち、立ち上がり、エルフとしての名を取り戻すという好奇です。力の誇示ではなく、意志の証明として。それを足掛かりに他の種族にも呼びかけましょう。魔皇様の腕やその力に頼らず、我らは我らで立ち上がるべきだった」
エスターは大きく息を吐きながらゼルクに手を差し出す。ゼルクは何となく右手を差し出すと、しっかりと握られた。
皺だらけの老人の手だった。だが使い込まれたその手は、鍛え上げられているのがよく解る。
「ゼルク様、魔皇様の腕を受け取っていただいたこと、光栄に思います。我らは戦います。戦わねばなりません。ですが――貴方様にこそ、ここでの争いは関係ありません。お逃げください」
「……俺が逃げたらもっと酷いことになります。魔皇、様は確かにそう言った。森を焼き払ってでも奴らは腕を探すだろうと。逃げるにしても……俺が腕を持っていると見せてからです。被害を抑えたいなら、勝つしかありません」
ゼルクの言葉に、エスターは笑い、右手からそっと手を離した。
クラウが軽く息を吐く。無駄に緊張していた。口論をしている余裕はないのだ。それからゼルクに厳しく言い放った。
「全く、ゼルク。エスターさんが頷いていたらどうするつもりだった」
「俺一人なら逃げる算段は……まあ、なんとかあるよ。魔皇様も力を貸してくれるし」
右腕を見ながらぼやく。夢の中では散々殴られ、叩きつけられたが、一応鍛えてくれてはいた。
とはいえ現実に戻ってからはまだ魔皇の声は聞こえていない。腕は自在に動くが、魔皇の力が扱える自信はなかった。最も、それも時間の問題だ。
「……ま、命を安く見ていないならいい。それよりも、ゼルク、お前にもやる気があるなら手伝ってもらうぞ」
「勿論大丈夫。あれ、クラウ兄さんが指示を出すの?」
「まさか。森の構造について新参の私には解らんから、エスター老の手伝いさ。オーラから教育を受けていたと言ったらありがたいとまで言われてな」
「オーラ爺さんの……」
「あれで若造の頃から前線で暴れまわる類の指揮官でしてな。大隊を率いても面白いのでは、とまで言われておりました」
エスターが懐かしむように笑った。それで会話は終わりだった。準備にかける時間のほうが重要であった。
やがて、二時間という時間は瞬く間に過ぎ去っていった。
戦いの始まりは、一人の少年がその地に降り立ってからだった。
――その日の幕は、残り三幕。
最初の一幕は、問答からであった。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
さぁ、いよいよ始まりです。




