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金の女神

 その都市はあらゆる場所が磨き上げられていた。

 壁面には曇り一つなく、敷き詰められた石畳にさえ塵一つ無いように見える。並び立つ石造りの家には例外なく水晶板がはまり込み、それぞれ家の中が見えないように色とりどりのカーテンが掛けられていたり、洗った服などが掛けられていた。

 そこを行く人々は俯くことなく、朗らかに談笑をしながら歩いていた。中には大荷物を持ちあくせく歩く人もいれば、等間隔に置いてあるベンチに座って本を読んでいる人もいる。だが誰も華美な装飾など施さず、ただ清潔さだけは保っていた。当然、その清潔さの維持には労働力が裂かれている。

 都市全体で清貧という言葉が当てはまるが、無意味に貧しい暮らしは行っていない。

 そして、その都市のあらゆる場所から中央の大聖堂と王城が見えるようになっている。王城も聖堂もやはり白を基調とされており、華美な装飾は無かった。大聖堂と王城には女神の紋章、すなわち、帝国の国章である星の文様が大きく描かれている程度である。

 それぞれ多少意匠が違っている。中央に八芒の星があり、円で囲まれ、その周りを十五本の光芒が覆っている。王城にはその下に王冠の意匠が、聖堂にはその下に盃の意匠が施されている。聖堂や王城の前を通るとき、あるいは朝起きたり夜眠るとき、人々はこの紋章に向かって祈りを捧げた。子供でさえそのようにする。

 聖堂と王城が繋がっているというのは有名な話であり、女神は都市の整備や国の行政に関わっていた。

 大半は人が行っているが、女神にしか行えないものもいくらか存在している為常に声を聴いているのだという。それを羨むものはいなかった。女神は全ての人を平等に見守ってくれていると誰もが信じていた。

 女神が聖堂の下や街に降りてくることは特定の行事を除いて無い。だが実在している女神に祈りを捧げる為、人々は聖堂に集まり祈りを捧げていた。八日に一日の安息日は聖堂での祈りの時間が十分までと定められている程だった。

 誰もが羨む白亜の帝都。帝国首都、アルビオン。

 住まうだけで永遠の幸福が約束されるとまで言われるこの都市は、住まう事自体が一つのステータスとなっている。

 王城はその中でさえ清貧を是とされているのか、余分な装飾は殆どない。柱に精緻な彫刻が彫られている程度のものであった。

 壁面の塗装も単純なものであるが、補修がよくされているのか剥げなどは一切ない。各壁面に取り付けられた水晶板にも特別なものはなく、ただし几帳面に磨き上げられていた。通路に敷かれている緋毛氈も、綺麗にはされているが長い間使われているのが解る。清貧というよりも不要な機能を必要としていないのが解る構造となっていた。

 その王城の上層を、一人の男が歩いていく。脇に資料を抱えた、腰の曲がった男だった。

 目の下に真っ黒な隈を造っており、顔色は決して良くない。疲れた息を吐きながら、白髪の増えて来た頭を軽くかいた。上層であっても基本的な構造は変わらず、緋毛氈も決して新しくはない。彼はそんなことを気にしてもいない様子だった。そんな贅沢に等価値はないと知っているかのようだった。

 上層は窓が少ない。だが光はよく取り込めるよう計算されて造られている。光が差し込んだ先にはクリスタルの置物があり、それが光を乱反射させ廊下を照らしていた。クリスタルの輝きがなくなるころには日も沈み、廊下の壁に備え付けられた蝋燭に灯りが灯されるのだった。

 窓の傍には守衛もおり、防衛に関しては一切手を抜いていない。これは上層ばかりではないが、特に上層は防衛に力が裂かれていた。

 上層を自由に歩けるものは帝国でも僅かしかいない。少なくとも、今現在廊下を歩く人物が奥の部屋に辿り着いた時、そこに立つ2人の守衛は誰何さえ行わず、素早く最上級の敬礼を行った。男は鷹揚に頷き――この態度でさえここに来てから数年の間はできなかったが――守衛は扉を開いた。

 守衛はどれも美しい女性であった。武装は狭い通路に合わせて剣と軽装の鎧のみであった。見えづらい場所に短剣を2本、持っている。人間ではないが気にはならない。能力だけが重要視されている。

 彼女たちは女神が造ったとされる存在であった。ソムニア。特に美しい女性の姿をしているのは、女神がそちらの方が良いと判断しているからだった。

「おはようございます、メグリ国王陛下」

「おはようございます、女神様」

 部屋に踏み入ると、一層部屋が明るくなったように感じる。

 明り取りの窓は大きく広げられ、風が吹き入ってくる。テラスに繋がる大きな吐き出し窓だけが閉じられている。丁寧に編まれたことだけが特徴のカーテンが風に大きくはためいた。高い場所にある為、風は常に入ってくるのだった。窓を閉めれば風は一切入らず、断熱性も優れている為、冬季には必ずと言っていいほど閉じられる。

 女神は扉の前に佇んでいた。丁寧にメグリに頭を下げ、ゆっくりと頭を上げると微笑んだ。それこそ誰もが見惚れる美しさであった。男性であれば例外なく、女性であっても半数が虜にされ、残りの半数を自暴自棄にへと誘う笑顔であった。

 鮮やかな金の髪の毛は腰元まで伸びており、光を吸収し、あるいは反射し、月光の如くに色が変化する。どれほどの金もこの美しさを表現できないと職人たちを悩ませている。肌には一切のくすみが無く、白磁の美しさを保っている。健康的な赤色の唇が白い肌によく映えていた。少しばかり高い鼻も、鮮やかな金色の瞳も、彼女の美しさを補強するものに過ぎない。

 白を基調とした服装は薄手ではあるものの、そこに性的な厭らしさというものは一切なかった。最早獣欲さえ抱くことすら烏滸がましい美しさは、天より授けられた芸術のようでさえあった。

 いや、実際にそうなのだ。メグリは微笑んだ。彼女こそが人に与えられた希望そのものなのだ。

 女神は装飾品を二つ身に着けている。首から下げられたネックレスと、左手の中指につけられた指輪。どれも女神が降臨して以来身に着けているものだが、これらは人間の社交界に大きな影響を与えている。少なくとも帝国ができてからの三百年間、それらの装飾品が社交界の話題にならなかったことはない。

「本日も顔色が良くありませんね。ちゃんと眠られましたか?」

「昨晩寝入ったのは結局日付が変わった後でしたからな。仕事が全く減りません」

 メグリは笑いながら執務室の奥へと歩を進め、自分が使う机に資料を置く。女神が顔を曇らせた。

 執務室も質素なものであったが、広い。おかれている家具がどんなものであっても気にならないような量の書類や書物が置かれている。床には何も落ちてないのは清掃の際、床に落ちているものは必ず机にあげておくようにと指示がされるからだ。余分な書類は一カ所に纏められ、これは一週間に一度処分される。

 中央には巨大な机が置かれており、世界地図と呼ばれるものが広げられていた。

 人間が描いたものではなかった。女神が直接執筆したものであり、書き直しが容易にできるように小さな紙を複数枚つなげてある。どれほど正確かは解らないが、女神の描いたものを疑うような人間は帝都には存在しない。地図の上には水晶板が置かれており、汚れや破損から守っていた。

 壁には巨大な刻計がかかっている。時間は正確に刻まれていた。

「さて、今日の予定ですが」

「はい」

 メグリが女神に確認をとる。女神は淀みなく応じた。

「現在は八時五分です。九時より十時まで会見となります、本日は四件。本来ならば十一時まででしたが、本日より剣の勇者――グリーン家の皆さまが演習を行うため十時半までこちらの視察に。グリーン家の皆さまは本日より、七日間演習訓練を行っていただきます。また、後日となりますが、共和国への増援の検討を後に行います。執務室に戻り次第、十一時半まで行政官と都市整備計画についての打ち合わせ。十二時より会食となります。グリーン家当主様とブルー家当主様が相席する予定です。午後は十三時より十五時まで亜人区の視察が入っております。十八時までは書類整理ですね」

「はい」

 女神の言葉を聞きながらメグリは頷いた。大体は頭に入っている予定の通りであった。

 国王の仕事は非常に多い。予定など分刻みが当たり前であった。最も、これでも女神が手伝ってくれている分は楽である。秘書の役割も行ってくれるほか、書類の整理、行政の相談、都市計画――多岐に渡って女神は協力してくれていた。

 だからといって時間は有限であり、王の仕事は正に星の数ほど存在する。日毎に減ることなど殆どなく、彼の仕事を補佐する者も大勢いたが、上層の執務室にまでやってくるものは殆どいなかった。

 九時までは女神と共に書類の決裁や修正、問題点の洗い出しであった。既に処理された書類を読み込み数字や問題点確認し、問題があれば斜線で消して修正を行っておく。主に食料の嘆願や物資の流通、病や治水の問題について話し合うことが多い。優先度の高さは間違えないよう気を使っていた。

「ああまた読みづらく書いてある……これはやめろと言ったはずなのに」

「習慣は中々変わりませんよ」

「全くですね」

 メグリは軽く嘆息した。彼は既に十年以上国王をやっているが、行政書類や貴族の書類という、態々回りくどく書いてあるものには慣れなかった。元々彼は小さな商家の跡取りに過ぎなかった。数字には強く、読み辛く解り辛い書類を簡易的にまとめ、見やすく、読みやすくすることを是としていた。

 書類は解りやすく簡潔に。それこそ幼年初等学校――とは言わないが、十五歳までの子供を集める中等学校を卒業した生徒が読んでも解る程度の書類にせよと貴族に伝達している。これは王の業務を減らす方針でもある。

 だが十年経過した今も、幾らかの貴族の家は回りくどい書き方をする。ただしその理由に、事実を湾曲したり、誤魔化す意図があるとは考えていない。書類は女神も見るからだ。

 つまり理由は明白だ。メグリは嘆きたくなった。理由が只の見栄、そして視覚効果にしかないとわかったからだった。書類を書類らしく見せる為の。時間の有限さが解らない愚か者がまだ残っている。勇者家の出す書類は簡潔で非常に読みやすいのだけがありがたい。

「ん、女神様。食料が届いていないと嘆願が。南の村ですね、送ったはずですが、如何でしたか」

「間違いなく送っております。ただ、あの辺り、匪賊が出没しておりました。届いていないかもしれません」

「ぐ……どこの匪賊だ……? 討伐隊の編成と、食料の輸送の再検討を――」

「ソムニアの隊を出しましょう。十名ほどいれば討伐は一月程で済むはずです。小隊長を一人、お願いできますか? 補佐官は無論いても大丈夫です。食料は同時並行で輸送すれば問題ないかと」

「承知しました。軍については明るくないので、グリーン家の皆さまがいるのがありがたいですね。無作法ですが……ああ、いえ、後で演習中に尋ねたら……怒るでしょうか」

「まさか。その程度では怒りませぬ。軍事に関しては我々よりも仔細に理解しております」

 メグリは少しだけ笑った。女神も同じように笑った。商家の一男が僅か十年で王をやっていること自体が異常ということには気が付いていない。

「――雪のせいで少量だが洪水報告。おや、疫病も出た……? ……なるほど、担当者が倒れたそうです。今日中には担当を替えれるよう手配します。療養は……移動する方が危ないでしょうね」

「ああ、その地区の疫病は……洪水とは別でしょうね」

 そうなのですか。メグリが尋ねると、女神は立ち上がり地図の一部を指さした。メグリの位置からは見えないが、女神の言葉に淀みはない。

「この地域では二年前に水源汚染がありました。当然湖は綺麗にしましたが、それと因果があるかと思われます。井戸の移設を行うよう指示を出してください。井戸に汚染ありと言えばわかっていただけるはずです」

「承知しました」

 メグリは頷いた。結びつきを一瞬で読み取る女神の力に驚くことはなかった。人を超越していることくらいは解り切っていたからだった。

 九時の十分前になると女神が知らせてくれた。仕事が始まるのだとわかった。憂鬱になるが、女神に対してため息などつけるはずもない。笑顔で頷き、まずは謁見へと向かった。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

仕事がものすごい多いです。喜んでやれる仕事ならばいいのですが。

白亜の帝都のビジュアルがどれだけ伝わるかは私の力量次第です。

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