銀の魔皇_01
ゼルクが目を覚ました時に見えたのは、雲一つない青空と肉さえ焦がす太陽だった。
起き上がり、辺りを見回す。見渡す限り真っ白な砂だけが広がっていた。砂はさらさらとしており、掌に載せてもあっという間に零れ落ちた。
太陽が余りに暑く感じる為、外套を頭からかぶりなおした。
「……誰か」
か細い声で呟く。返答はない。見渡す限り砂と空、太陽しかなく、人影の一つもない。
「誰か!」
二度目の声は大きかったが、響くことなく虚空に吸い込まれた。
返答はない。不安と共に辺りを見回し、歩き始めた。とにかく日陰を探さねばならなかった。外套だけではいつまでも日差しは防げない。酷く喉が渇いた。
何より、何かしらの行動をしていないと不安に押しつぶされてしまいそうだった。
「……!?」
歩いていると、ふと足元の感覚が消えた。太陽の光さえなくなるが、青い空と白い雲だけは見えている。
体がぐるりと宙を反転し、落下していく感覚に襲われる。だが風景は一切変わらない為落ちているかさえ解らない。
「な――なぁあああああ!? に、っあああああああああ……!」
混乱に支配され口からは意味も解らない言葉しか出てこない。
涙目になっていると、今度は水の中に入った。衝撃は殆どない。慌てて口と鼻を塞ぎ、辺りを見回す。
魚などは一匹もおらず、水は酷く澄んでいて冷たかった。太陽の光に晒された体には心地よいとさえ思った。
とにかく水から出なければ窒息で死んでしまう。洪水で死んだ動物や村人のことはまだ覚えている。
だが、天地も定かではなく、どこに行けば水から出られるのか解らない。とにかく適当に泳ごうとすると、次の瞬間には虚空に放り出されたていた。
今度は青空ではない。嵐の模様だった。黒い雲が辺りに広がり、雷が吹き荒れている。
そればかりか地上は赤く輝いていた。どこまでも広がる真っ赤に輝く地、更に赤く輝く河、山は火を吹き、嵐は更に酷くなる。ゼルクの横を稲光が一筋走って行った。
混乱が頂点に達し、最早何の行動さえ起こせない。口と鼻を塞いだ手でさえそのままだった。
「客か。数年のうちに二人も訪れるとは」
雷の音と吹き荒れる風の中、静かな声はなぜだかゼルクの耳によく響いた。
声のした方を見ると、稲光に照らされた銀色の体がある。左腕と右足が無く、当然のように嵐の空に座している。
「……銀の――魔皇?」
「……少し騒がしいな」
右腕を軽く振るうと辺りから嵐が消え去り、ただ真っ暗な空間だけが広がった。思わず辺りを見回してしまうが、何も見えない。
その中で銀の魔皇の姿だけがはっきりとわかる。
明白に人とは違う身体。全身銀で作られたその体はゼルクには解らない道具が山ほど付属していた。左腕と右足は無いが、それを苦にしている様子はない。
顔は虫のようだ、と思った。巨大な目が二つついており、漆黒に輝いている。口と思しき場所は蛇腹状になっており、虫の触角のような器官が額から後頭部に向かって真っすぐに伸びていた。
「銀の魔皇か。確かにお前たちの言葉で語るのならばそうなる」
「……ここ、は……」
「物語風に言うのならば“虚空の牢獄”だ。実際には只、次元の位相をズラしただけの空間だが、俺の権能では次元の位相までは解決できない。つまり、俺はここから出る術を持たない。位相元の空間が滅ぶか、星の終わりまではここにいることになる。空間の実際の大きさは二十メートル四方程度の立方体の箱だな」
「虚空の……え、虚空の牢獄!? 確か……魔皇が……封印された、っていう」
ゼルクの目は目の前にいる魔皇に釘付けになっていた。
ここが虚空の牢獄ならばなぜ自分がここに居るのか、どうやれば抜け出せるのか等、様々な疑問がある。だが魔皇はゼルクをじっと見やると、興味深そうな声を上げるだけで何も語ろうとはしなかった。
「――ほぉ」
低く、聞き取りやすい声は妙に耳馴染が良い。
「なるほど、適合率が九割を超えているのか。理解した。それで、お前は何の用事でここまで来た、ゼルク」
「――え、あ、俺の……名前……」
「お前は俺の腕を身に着けている。情報を抜き出すのはそう難しいことじゃない――のだが」
魔皇は困惑したように右手で顎をさする。
「平和主義者だな、お前は。現状を考えると俺の腕を欲する程では……いや、なるほどな。ウルシュ、それにエルフか。……まあ、確かに旅をするにあたり、あって悪いものでもない、か」
納得したように頷く魔皇。ゼルクは背筋を恐怖が伝うのを感じていた。
何一つ言葉を交わしていないのに、自分のことだけが理解されている。
瞬間、また辺りの風景が変わった。そこにあるのはゼルクがいた寒村そのものだった。彼自身は井戸の前に立ち、集会所と食料倉庫が見えている。広場をシジーを筆頭とした子供たちが走り抜け、傍には井戸端会議に花を咲かせるアリガや他の女性たち。
全てが平和で、何一つの不足なく、平和に過ぎて行ったあの日々がそこにあった。
「な――に、が」
「ゼルク? どうかしたの?」
「……」
掛けられた声に、ゼルクの頭は完全に漂白された。
振り向くとそこにアエリアがいた。ミールとマイトも不思議そうにしている。
ゼルクは口を二、三度開いては閉じるを繰り返し、だが何の言葉も紡げない。目の端に一杯の涙を溜め、思わず駆け出してアエリア達を抱きしめた。
アエリア達が困惑しているのが解った。彼女たちの反応さえ自然そのものだった。いつの間にかゼルクの腕さえ治っていた。
紛れもなくここはゼルクが暮らしていた村だった。
「どうしたの、ゼルク」
アリガが話しかけてきた。涙目でそちらを振り向いた。母が優しく頭を撫でてくれていた。
「怖い夢でも見ていたのかしら」
「――夢」
夢。
夢か。ああ、そうだ。全てが悪い夢だった。そうに違いない。
「――はっ、ははは」
眼を閉じて、涙を拭い、乾いた笑いを零した。
それならばどれほど良かったか。
ミールとマイトは村を去らず、村が火に焼かれなければ。あの日々の中で、ただ過ごせていれば、どれほど。
そう思った瞬間、村の全てが火に巻かれ、無数の死人が辺りに転がった。ネガトが蹴り飛ばされる。アエリアが殴られた。炎に巻かれて次々に死ぬ。死ぬ。死ぬ。死ぬ。
直接的な死体は殆ど見ていない。
けれどあの日、少しずつ声が聞こえなくなっていったのだけは、よく覚えていた。
「――よしてくれ、これ以上は、もう」
「そうか」
ゼルクの懇願に近い言葉と共に、再び暗い虚空に投げ出される。
「……こんなものを見せて、アンタ、何をしたいんだ」
「お前が俺の腕を求める理由が解らん。一つ一つ追体験してもいいが、この記憶がお前の中で一番強く色づいていた」
「……ああ、つい数か月前の話だ。何もかも失った」
「ならば、復讐を考えないのか」
復讐。その一言がゼルクの脳裏にこびり付く。考えないのか、だと。考えなかったわけがない。
燃やした連中は許せない。全部、全員殺してやりたい。力があればと何度も考えた。炎の悪夢に巻かれる度に、絶叫と共に目覚める度に、喪失感と焦燥感、そしてどうしようもないほどの怒りが胸を焦がした。
「お前は、奇妙なほどに、それを考えない。考えないように押し込めている」
「……」
「力があればできるのか」
「……」
「許せるか」
「――許せない」
「だが、憎めない」
「ああ、そうだ」
ゼルクは涙に滲む視界で魔皇をしかと睨みながら、応じた。
「殺せばきっと、悲しむ人がいる」
「なるほど、想像力が豊かだな」
魔王はそれだけ応じて、軽く右手を振った。続けての場面は、森だった。クラウとハーラと共に歩いた森だった。
「他人の立場になって考える。よく聞く言葉だが実行するのは容易では無い。人間であれば猶更な。であれば、奪われたお前の気持ちはそのままか?」
「……それは過程の一つだと聞いた」
「ウルシュか」
風景がまた切り替わる。ウルシュと共によく語らった森。そこには黒竜ウルシュもいた。
「確かにその通りだ。あらゆる生命は奪い、奪われながらより多くを産む。それが原初の呪いだ。生きよ、などと、誰が言ったのやら」
魔王はそこで初めて笑ったようだった。嘲笑するように息を一つ吐く。当然、笑顔を浮かべているかは解らない。
それから懐かしむように首を振り、虚空を見やる。ぼんやりと呟かれた言葉には、確かな親しみが込められていた。
「ウルシュめ、賢者の真似事か。とはいえ逃げたことを肯定できるのは長命、超越種の美点だな。短命だが、増えることが生存戦略という生物もいる。お前は力を振るわず平和を語る旅に出るというわけだ」
「……」
「それが新たな悲劇の火種になることもあるぞ」
「……他人の選択にまで責任は持てない。大体、俺の言葉で誰かの未来を左右できるなんて思い上がってない。クラウ兄さんとハーラさんが俺を連れて逃げてくれたことだって、彼らの責任にするつもりはない。あの二人は、俺を生かしてくれた」
「全くだ。他人のことにまで責任は持てん。だが責任を持たねばならん相手もいる。家族だとか、兄弟だとかな。血の繋がりってのは想像よりも厄介なものであるらしい」
「……今の話に関係あるか?」
「いや、只の脱線だ。お前の言葉を肯定した、そのつもりだった。そもそもお前の家族は全滅している。柵も何もない、自由な旅路だ」
何気ない魔皇の言葉に胸が抉られる衝撃を受ける。そうだ、父も、母も死んだ。母の死は確認していないが、あの村の大人たちは全員殺されていた。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
銀の魔皇登場です。当然左腕と右足がありません。




