腕は此方へ
「一年か二年に一度はここに戻ってきます。勿論それまでに他の勇者が見つかるのならば、その人にお渡ししてもらっても構いません」
「現れるかねぇ……フィルに引き続きお前で二人目とはいえ、流石にそう簡単に三人目が現れると思えんよ。そしてそいつがここに来るだけの理由があるとも」
ウルシュは笑った。
フィルには確たる理由があった。ゼルクは這う這うの体で逃げ延びて来た。どちらにもこの里に来るだけの理由があった。
だが日々を真っ当に暮らしているのならば、導きの黒い糸のことなど考えもしない。それが当然だとウルシュは思っていた。人間に限らず、あらゆる命はその日の糧を得るために生きているのだから。まずは自らの明日を繋ぐのが当然だ。
「勿論その旅路の途中で力尽きるかもしれませんが」
「戻ってこなければそう思うよ。何、別れは寂しいが常にある話だ。出会いとは別れを前提に成り立っているのだからな――ま、この里の皆に胸を張って顔向けできなくなるような行為は避けるんだな」
「気をつけます」
ゼルクはゆっくりと頭を下げた。その時、さくりと草を踏む音が聞こえた。
振り向くと、セリオンがいた。顔面蒼白になっている。慌てた様子で手帳を取り出し、震える指で開きながら落としていた。慌てて拾い、予め文字が書いてあった頁を開く。
「申し訳ございません、ウルシュ様。提言よろしいでしょうか」
『ウルシュ様、お願いの義が御座います』
エナムとセリオンは異口同音に聞いてほしいと言っている、というのだけはゼルクにも解った。
ウルシュが首を傾げ、それから続きを促した。セリオンとエナムの目が合い、彼女の側が譲った。
「――その魔皇様の御腕、そこに導かれし人、ゼルク様に預けることはできないでしょうか?」
エナムの言葉に、セリオンとゼルクは共に目を見開いた。理由はそれぞれ違う。だが、とりあえずはウルシュは笑った。
「理由を聞こうじゃないか」
「この里の安全の為に御座います」
「本音で言え」
「里長――ああもう面倒くさい! 爺さんたちはそんな腕をよすがに立ってるつもりだが、とっくにどうにかできてる! 爺さんたちは十分に仕事を果たした! 森を開き、住居を整え、この森をエルフの素晴らしき故郷とした! 俺はそれを誇りに思ってる! だが、俺たちは――俺たちの力で立つべきだと、そう思う。腕一本にいつまで拘るんだ!」
エナムの言葉に、ウルシュは楽しそうに笑った。礼儀を守ったやり取りも嫌いではないが、彼としてはこういった砕けた喋り方の方が好みであった。
「エナムの意見は解った。それで、セリオンは?」
「……」
セリオンは驚愕した表情をしながら、手帳の頁を捲った。繊細な文字が書かれていた。
文字は小さいが、ウルシュならば遠くとも問題なく読める。ゼルクもセリオンの方を見てはいるが、手帳の文字など見えなかった。
『ゼルク様に魔皇様の腕をお渡ししていただくことはできないでしょうか』
「なんとまぁ。おい、ゼルク。セリオンもお前に腕を渡したいと言っているぞ」
「……なぜでしょうか……」
「さてな? だが随分と気に入られたな、お前。理由を聞こうじゃないか、セリオン」
ウルシュがにやにやと楽しそうに笑っていた。セリオンが手帳の続きを開く。顔は真剣そのもので、額に汗まで浮かんでいた。
『エルフは人に奪われました。それは間違いない事実であると思います。女神の恩寵は与えられず、それどころか同胞を撃つことまでした。させられた』
『亜人と呼ばれ多くの人間以外のものが憂き目にあっております。それは私も知っております』
『ですがそうであるからといって魔皇様の腕を与えたものを旗印とし、亜人と呼ばれた全てをまとめ上げ誇りを取り戻すというのならば』
『それは侵略というのではないでしょうか?』
『人間と同じことをして、今度は人間を奴隷のように扱うのでしょうか。私は嫌です。どちらであっても』
『戦火の中で生きたものも、復讐の為に生きるものも、きっと辛く、苦しかった分だけ同じものを他者に与えようとします。私はゼルク様なら、もう少しだけ穏やかな世界に生きられるのではないかと、そう思う次第です』
ウルシュは途中でこらえきれずに笑いだした。とても機嫌がよさそうだった。
「ああ、なんともまぁ、若い枝はちゃんと育っているものだな」
嬉しそうに笑いながら、自分の下にある祠を見やるウルシュ。
「というわけだ、どうするゼルク。最終決定権はお前にあるぞ」
「……難しい話をこっちに投げてきましたね、ウルシュさん」
「致し方あるまい。若いエルフが二人、お前に期待している。明日の平和な世界を想像できるのは、戦火と血を知らぬ無垢な命だというのは納得のいく話でもあるしな。和を以て貴しとなす、だったか? 三百年前の勇者たちも唱えていたよ。彼らの倫理観が、亜人と呼べるものたちへの殺戮へ歯止めをかけた」
それが果たして良かったことかどうかは知らんが。ウルシュはそう締め括り、軽く顎を撫でた。
「腕がここにあるといつここが戦場になるかも解らんというのもそうだ。女神の定めた協約では、確か、千五百人以上を有する街を都市とし、そこでの戦闘を禁止するというものがある。例外は魔皇に与した種族がいる都市や、魔皇自身の体がある都市だな。奴の手足が捥げたのは女神も知っているだろう」
女神条約は三百年前の大戦後に制定された世界条約である。戦争の終結、大都市での交戦禁止、貨幣制度、亜人種への扱いなど細かく取り決められていた。
これらの制度は三百年の間、殆ど変化がない程完成度が高い。女神というものの偉大さを語るにおいて、外せないものとなっていた。
ゼルクも少し知っているが、詳しくは知らない。寒村に住まう少年に必要な知識でもなかった。当然この里には腕がある為、条約の対象外となる。
「……あ、もしやエナムさんの守る為というのは」
「お前が持っていけばこの里が戦場になることは無くなるだろ」
「はっきり言われた……」
「腕一本にいつまで拘ってるのかってのも本当にそう思ってるよ。俺ら触らされるんだけど何の反応もねぇし。使える奴が持って行った方がいいだろ、こういうのは。金にもならねぇ只の危険物だぞ。無料で処分してくれるならこっちとしてはありがてぇ」
エナムは明け透けに物を言う。それら全てが同胞を、そしてこの里を守る為という意識があるのが透けて見えた。その為か多少の暴言も全く嫌にならない。
「あ、触るんですね」
「一応子供の頃にな。導きの黒い糸が見えなくても反応があるかもしれないってか細い可能性にかけて」
「まあ実際には反応は何も無いんだが。さて、ゼルク。どうする?」
どうする、と言われても。ゼルクは困った顔をしていた。口を一文字に結び、端を歪め、両眼を閉じて困惑していた。
「エナムはお前を利用する腹積もり、と考えてもいいだろう。セリオンの主張は明日の平和な世界の為に、だな。ま、その礎が面白くないと言えばそうかもしれん。ああ、安心してもいいが、お前が死んだからといって腕までなくなるわけではない。俺でも壊せなかったこの腕がそう簡単に壊れるものかよ。まあ回収できるわけでもないだろうが、なくなったからと言って俺が何かを言うつもりはない」
「……旅に出るだけでも結構な決断だったのですが……」
「くははははは! なら俺からも簡単に背を押そうか。片腕は不便だろ。それにこれをつけていけば、多少の毒を食っても大丈夫だ。右足を持って行ったフィルは銅の腐敗の地で元気にやっているらしい。アイツだけ何喰っても大丈夫なんだとさ」
「ああ、他の竜――ランさん? に聞いたんですね」
旅をするにあたり、食事や水は重要だ。肉など手に入ることなく、魚を釣るのさえ難しい。薬草と毒草の見分け方さえゼルクはまだ中途半端だ。水を得るのさえ簡単とは言い難い。
魔皇の腕をつければそれらの問題からは解放される、というのは中々魅力的な誘いだった。無論のことそんな個人的な要望だけで持っていくつもりにはなれないものの、心揺れる誘いなのは間違いない。
「……ん、あれ。ウルシュさんとしては持って行った方がいいんですか?」
「理由は解らんが、俺の翼が切られてから俺の命も零れ続けている。治りもせん。後五十年も持てばいいほうだ」
絶句したのはゼルクだけではなかった。辺りの木々がまた揺れ、中には枝の上に座っていたエルフがその姿を現してさえいた。相変わらずどこにいるのか全く分からなかった。本気で森に隠れたエルフを見つけ出すのは不可能に近い。
だがウルシュは全く変わらない様子と口調で淡々と言葉を続ける。
「それまでにこの腕を託せる相手を見つけたいと考えていた。エルフたちがこれほど育っていると解ったのは嬉しいよ。腕などなくとも、この里のエルフは十分にやっていけるだろう。何を縁に立つか、ではない。何を力に立つか、だ。そしてこれを持っていけば、ゼルク、お前が生き延びる可能性は高まる。俺の命が尽きるまでの間、世界の面白い話や、お前の決断を聞かせてもらえるのならば、それは悪い取引じゃない」
「……なるほど」
「ま、フィルと同じようにか細い糸を辿って来たお前だ。何も渡さないまま旅立たせるのも気が引けるさ」
ゼルクは衝撃を隠しきれないままに頷いた。最後にウルシュが笑ったのは冗談だと解っていた。
三者三葉の思惑がある。そこにゼルクの決断はない。だが誰もが断れば別にそれで構わないとも思っている。つまりここからはゼルクの決断にゆだねられていた。
「……解りました」
ゼルクは暫し悩んだ後に、諦めたようにため息をついた。
皆の言葉の意味はよく解っている。過酷な旅路になるかもしれない。魔皇の腕のことがばれてしまえば、女神から逃げることも考えなければならなかった。
だがそれはこの里も同じことだ。いつ、どうなるかも解らない。むしろこの里は常に危機に晒されていたのだ。
「貰っていきます。――ただ、本当に戻ってこれるかどうかは保証できませんよ、ウルシュさん」
「そうだな。腕も女神に奪われるかもしれん。それならばそれで、致し方ない」
言いながらウルシュは自らの体で覆っていた祠を軽く掃い、粉砕した。脆いわけではないが、竜の膂力に耐えられるほど頑強なものではないのだった。
「いいんですか」
「何も祀るものがないのだ、壊して構わん。――セリオン」
壊れた祠から、銀色の腕が出て来た。
どう見ても人の形を取り戻そうというものには見えない。そうでありながら芸術品であった。
指先は鋭く尖っており、手の甲や肘の辺りにはプロテクターがついている。腕の半ばで千切られており、よく解らない様々な線が飛び出ていた。
セリオンがそっとそれを拾い上げる。かなり重たそうだった。そもそも半ばから断たれているにも関わらず、ゼルクの腕よりも長い。
それをゼルクの前にまで運び、差し出す。
「……」
ゼルクは大きく息を吐き、ゆっくりとその腕に手を伸ばした。
銀色の腕に、手が触れる。
触れた瞬間、ゼルクの意識が暗転する。体が倒れた、という衝撃さえ彼には感じられなかった。
それがこの里の終わり、その始まりだった。
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