決断
エナムとの再会は早かった。翌日、ウルシュの下へと向かう森の入り口に立っていた。
ゼルクの姿を認めると、僅かに眉を潜めて軽く頭をかいて近づいてきた。
昨日と同じく簡素な格好をしている。貴金属のアクセサリなどで着飾ってもいない。
やはり美しい男性だった。クラウと付き合いが長いゼルクでさえそう思う。エルフ特有の模様は少なく、銀髪は丁寧に整えられている。
とりあえず2人で黙って見つめあっていると、エナムは再度頭をかいた。気まずそうにしている。昨日のことも考えれば当然と言えた。ゼルクとしてもどういう顔をすればいいか解らないし、どうやって口火を切ったものかと悩んでいる。
ややあって、エナムが口火を切った。
「……昨日は悪かったな」
「――ああ、いえ、その……すいません。こういう時ってなんていえばいいでしょうか」
ゼルクは一瞬だけ沈黙して、そう応じた。エナムは困ったように上を向き、親指で頬の模様に強く触れた。
「気の利いた一言……なんて俺もそう簡単に思いつかん。まあ謝罪を素直に受け取っとけばいいんじゃないか」
「では、そうします。というか俺の方、特に何かをされたわけでもありません。むしろ――皆さんの事を軽んじました」
「ん、ああ。気にするなよ。あれは俺も悪かった。……醜態を晒したな」
大仰にため息をつくエナム。
「……セリオンの事で色々頭に血が昇ってた」
「――大事なんですか、セリオンさんのこと」
「ああ。俺が一番最初に助けたエルフだ。もう三十年以上前になるが……アイツと他に五人。公国で奴隷商から買った。助ける方法なんて、他にない」
自嘲を浮かべる口元に、諦めと怒りが混じっていた。
それ以外にとれる手段が無い。人間の兵力は圧倒的だ。
純粋な兵力差もそうだが、何より女神の寵愛は人間にのみ与えられている。兵力差は種族間の軋轢さえなくなれば逆転の目もあるのだが、神器や女神の兵といった生きる伝説はそれらの差を容易く覆す。エナムとしては当然、無謀にもそれに挑むことなどできなかった。
「……とはいえ人の造った法の下、ギリギリ引っかかってる連中をどうにか救い出す程度だ。真実の意味で自由になんかなっちゃいない。だから……爺たちは期待してる。魔皇の登場に」
エナムはゼルクを見やる。ゼルクは怯えもせずにそれを見返した。自分がどういう役割を期待されているかは理解しているつもりだった。ただ、その上でゼルクには疑問があった。
「すいません、以前足を持って行った方がいると。確かフィル? エナムさんはそちらには期待していると聞きました」
「ああー……いや。又聞きに聞いただけだから……正直、人間ってだけでそこまで信用してないし、期待してない。正直……な……ところっ、お前と比較してどうにか貶めようとしただけだ……っ!」
「……」
「……」
「……気の利いた一言が何も出てきませんでした、すいません」
「……いや、悪いのは俺だ……な、おう。俺の方こそ、なんかすまん……」
気まずい沈黙が少し流れ、ゼルクが咳払いをしてから話題を変える。
「それで、その、これからウルシュ様のところに行きますけど……一緒に来ますか?」
「ん、いいのか?」
「はい。色々聞いてほしいこともありますし……セリオンさんも来ますよ、後で」
セリオンの名前を聞くと、エナムの顔色が露骨に変わった。ゼルクは思わず少し笑った。だがそれ以上言葉は出なかった。
結婚など、想像もつかない。ゼルクはまだ恋愛さえしていない小僧に過ぎない。解るのは生涯を共に過ごすということだけだった。
だが、そうなると種族間の問題が出てくる。ゼルクは昨晩、この話をクラウとハーラと共にしたのだった。
死生観の違い、寿命の違い、食生活の違い。エルフと人が夫妻になるには数多のハードルがある。ゼルクでさえ想像できるこれらのハードルを乗り越えるのは簡単ではない。ましてやエナムのような性格ならば猶更だ。同胞としても、彼女を好いている男としても、認められるものではないだろう。
暫し悩んだ末に、エナムはついていくことを承諾した。本当に悩んでいた。両腕を組み、軽く歯を食いしばり、喉の奥から唸り声をあげ、ゼルクが心配になり声をかける直前にか細い声で『行く』と言った。
ゼルクが先導し、森を歩き始める。エナムは迷わず歩くゼルクに驚いた表情をしながら続けた。只の人間が迷わずこの森を歩くのは聞いていたが、直接見ると全く違う驚愕が襲ってきていた。
「……本当に見えてるんだな、導きの黒い糸。正直、完全に疑ってた」
「はい。毎日道が変わるから歩いてて飽きないです」
「へぇ、解ってるじゃないか。いいよな、道が変わる楽しさ。幼少の頃はここを散々遊び場にしたもんだ。まあ時々マダラリスの群れを見つけて戦慄するんだけどな……」
「確か……二匹以上いたら追いかけてはいけない獣、でしたっけ」
「よく知ってるな。ああ、二匹以上いたら森の奥に連れて獲物が衰弱するのを待つんだ。ちょっとでも倒れたり、意識を失うと一斉に群れで襲い掛かってくる。二、三匹殺しても数が減らない上執拗だから、群れに追いかけられて生き延びた奴の話は聞かないな。深い森の奥に行ったら、フォレストワーカーでさえ逃げ切るのは難しい」
「思ったより残酷な結末ですね……。森に限らず獣の知恵は凄い。ここに来るまでにパロウ牛を見ましたが、背中に獣避けの薬草を育てていました。枯れ草になったものは掃うと喜んでいた。けど、あれもきっと掃う手段はあったんでしょうね。池に飛び込んだり、雨で流したり――見てみたかった」
「……動物好きなのか?」
「一緒に過ごしていましたから」
「燃えた村でか」
「……」
「俺たちは人間に色々奪われて、俺はそれをどうにかしたくて行商をやってる。アルバセラスを手なずけたのは俺でな。あれで成人と認められた。知ってるか、エスター爺さん、俺の祖父なんだがな。あの人は酷く人間を憎んでる」
「……そうなんですね」
「ま、お前には色々複雑だと思うぜ。期待した魔皇の力を継ぐ者が人間、しかも同胞を連れてきてくれた。ここはエルフたち最後の砦、最後の里。――ここが燃やされたら、本当に行くところが無い。エルフの村や街で、こんだけの規模の里の人々を受け入れるのはまぁ無理だろうな」
「……何が仰りたいので」
「俺はこの里を守りたいって話だ。ま、後は……ウルシュ様との話次第だな。お前がどうするか、それを知りたい」
「意外です」
「ん?」
「貴方は俺を嫌っていると思っていました。何もやるものなんてない、くらいは言われてもおかしくないと思っていましたから」
「悪かったよ。人間だからって別に全部が悪いわけじゃないってのは知ってる。俺たちと取引して奴隷を渡してくれる人は、まあ善人ではないが、少なくとも裏切らない人だからな。三、四年前から代替わりしてて、手も広げてな。色んな場所の同胞を集めてきてくれてるよ。なんでも、共和国の方にもいってて竜も見たことがあるとか――」
「あ、ランさん? でしょうか」
「知ってんのか? ああ、ウルシュ様が言ってたのか。そうそう、共和国の竜。ウルシュ様とは全く違う見た目らしい、俺は見たことが無いが……」
会話を続けていると、森の木々が少しだけ開け、澄んだ空気が流れてくる。そこに黒く大きな影がいた。
目を凝らすまでもなく黒竜ウルシュだとわかった。今は何かを食べている。ゼルクの後ろにエナムの姿を認めると、不思議そうな顔をした。
もごもごと口を動かし、食べていたものを飲み込むと、ウルシュは口を開く。
「エナムか。久しいな」
「光栄に存じます。我らが守護者、黒竜ウルシュ様のご機嫌麗しゅうございますか」
エナムは即座に膝をつき、頭を垂れ完全な礼儀を示して見せた。滑らかな動きは流水を思わせる。
ゼルクが目を丸くしていると、ウルシュが笑いながら手を振る。
「いい、いい、そういうのは。礼儀は大事だが今はゼルクもいる。驚いているじゃないか」
「エルフにとって貴方様の存在がどれほど重要か。この森が安全であるのは貴方様とドリュアードのお陰でありますから。ゼルク様が魔皇様の力を継ぎし御方と伺っております。彼との対話を聞かせていただける栄誉に預かれましたため、こちらまで同行させていただきました。どうか傍聴をお許し願えるでしょうか」
「好きにせよ。ゼルク、お前も座って――中々趣のある表情をしているな」
「ああ、いえ、すいません……」
ゼルクは呆けた表情をしていた。エナムの余りの変わりようと、完璧な礼儀作法に驚愕していた。
だがとりあえず気にせずウルシュの前にいつも通りに座り込む。そうするとウルシュはいつも通りに軽く首を振り、口を開いた。
「さて、今日は何の話をしたものか」
「ウルシュさん、今日は先にお話が一つあります」
「うん。決めたか?」
「はい」
ゼルクは微笑んだ。ウルシュ様とは呼ばなかった。ウルシュ自身に止められていた。
ゼルクは少しだけ深く呼吸し、息を吐いてしっかりと言葉を紡いだ。
「やはり、魔皇様の腕を受け取ることはできません。それはエルフの皆さまのものです」
「そうか」
ウルシュは只頷いた。
ゼルクの後ろにいるエナムが驚愕の表情を浮かべていた。周りの樹々からも僅かに枝が軋む音が聞こえた。
ウルシュは予測していた話だ。然程の驚愕はない。だが、その後のゼルクの話は少しだけ予想外だった。
「ですが」
「ん?」
「もしも何年か後に必要になったら、それを貰いに来てもいいでしょうか?」
「……」
ウルシュは少しだけ驚愕した表情を浮かべ、それから喉の奥から笑いを零した。
「強欲だな。いや、人間らしさと言えばその通りか。つまり――旅に出るのか、ゼルク」
「はい」
ゼルクは迷わずに頷いた。今の自分自身には何もかもが足りないと考えていた。
この里に辿り着けたのも、クラウとハーラがいてくれたからだ。この里での日々は、皆の助けが無ければどうしようもなかった。
ゼルク自身はまだなんでもない只の少年だ。魔皇の力を継いだところで何ができるとも思えない。
自分の目で様々なものを見聞きし、自分の足で立つ力を得る必要があると考えていた。それがゼルクが自らに下した決定だった。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
知ってる人の知らない一面見ると呆然としますよね。




