いつか未来に笑い話になるように
ゼルクとセリオンが去った後のウルシュの元に、人影が現れる。ウルシュはすぐに目を開き、軽く体を起こした。当然のようにまだ眠っていなかった。
「よう、エスター。覗き見か? 趣味が悪いな」
「ええ。どのような状況かと思いまして。……気に入られたようですな、あの少年を」
エスターは疲れたように微笑みながら応じた。普段通りの姿だ、とウルシュは笑った。
嘗ての大戦の折、エルフは大勢が神器の琴によって操られた過去がある。エスター自身もまたその際に操られている。
魔皇が琴を破棄した際、その操作は解除され、エルフたちは一斉に蜂起した。人間軍に襲い掛かったのである。当然の反応であった。やがてエルフたちは逃走し、この迷いの森へと流れ着いた。
そしてこの場所で、エスターたちとウルシュは出会っている。共に魔皇と協力し合った仲である。打ち解けるのに然程の時間は必要なかった。特にエスターとウルシュはそれ以来の付き合いである。他の長寿のエルフは里を離れ、やがて各地へと広がっていった。
当然、彼等の目的は『魔皇の力を継ぐもの』を探すこと。特に長く生きたエルフは誰も魔皇への恩を忘れていない。寒村にいたオーラもそういった目的があったのだった。
「まだ、悩んでいるのか」
「……はい」
ウルシュの言葉に、エスターは素直に頷いた。
それから少し躊躇し、手をくるりと回す。ウルシュを警護するエルフたちへの合図だった。音もなくエルフたちがその場を去って行った。十分な時間が経過してから、エスターは大きく嘆息し、口を開く。
「彼は、いい少年です」
「全くだ。素直で、意欲があり、敬意を忘れない。あのような少年の村が焼かれ、腕も失ったなどと、運が無いにしても中々惨い話だ」
ウルシュは笑いもせずに言った。エスターも疲れた様子で頷いた。
人間というのは信用がならない。
エルフの共通認識である。当然の話であった。彼らは過去に操られ、同族とさえ戦わされたことがある。そして今なお、エルフは亜人として扱われ、三国では奴隷のような扱いを受けていた。
信用がならない、どころではない。はっきりと憎み、恨んでいた。エスターはその筆頭のエルフだった。
「……彼のような純朴な少年に、押し付けてもいいものか」
「おいおい、どうせここには俺とお前……ああ、ドリュアードもいるが……まあドリュアードも余計なことは喋るまいよ。お前、態々エナムに怒鳴り散らかしてまで弓を下ろさせたとまで聞いているぞ。本音で話して構わん」
「――フィルのような男のようならば、後ろから撃つのに躊躇いはなかったのに」
エスターが苦笑気味に呟いた。
フィル=オール=ノラグ。右足を持って行ったのは、ゼルクと同じ人間だった。
彼は自力でここまでたどり着き、右足をほぼ強奪に近い形で持って行った。態々ウルシュの前で何日間も寝泊まりし、自らの要望を伝え、竜の興味を引き出した。最終的にはウルシュに『面白い』と言わせ、右足を譲り受けた。エルフとの交流など一切行っていない。だがウルシュが許可を出したのならば、エルフに何も言えることはなかった。
そもそもここまでたどり着けるものは限られる。エルフに伝わる伝承――より正確にはウルシュが知る事実であるが――によっても明らかだ。『魔皇』自身が放つ波長を、フィルは確かにたどって来た。そうである以上、確かにその資格はある。そしてその保管者はほかならぬウルシュであった。だがエルフの誰も彼を認めなかった。当然の話であった。それまでウルシュの周りでは当然のように武力の行使を禁止していたが、以降は解禁されている程であった。
「そうであってくれ、とさえ願っていました。勇者は……エルフにこそ産まれてほしかった。いや、エルフでなくとも良かったのです。ナーガ、ドワーフ、アヴィアーン、フェリン、マルダス、トリュネ、コボルネ……幾らでもいたのに、なぜ、人に……! 人が、人などに!」
「……ああー、薄々そう思っていたが……お前、嫌がらせでセリオンをつけたな? 他にもフォレストワーカー、幾らでもいただろうに」
ウルシュが呆れ気味に呟くと、エスターは顔を歪めて笑った。普段の彼とは全く違う、内面の濁ったものを全て吐き出したような笑顔だった。
「ええ、ええ、その通りです。……あれほど懐くとは予想外でしたが。信じられますか。口の利けない相手との距離感を、あの少年は全く間違えなかったのです。他の者たちも彼を仲間と認めつつある。共に何かを失った者なのだと」
「事実、アイツも色々失ってる」
ウルシュは静かに言った。それくらい解っているだろうという響きだった。
ゼルクという少年は正に望んだ者だった。素直な彼は教えればその通りの行動さえしてくれるだろう。誘導など難しくない。とにかく腕さえ与えてしまえば、旗印として機能するはずだ。
だがそれこそを望んでいなかった。ウルシュはそれを見越して自らが教育を始めた。ゼルク自身に選択してもらうために。
「エルフの誇りはエルフの為のものです、ウルシュ様。それはあのような少年に……背負ってもらっていいものではない」
「その通りだ。竜の誇りは竜のもの。ここに至るまでどれほどの苦労があったか、それはお前たちにしか解らん」
「この森に辿り着くまで――骨と皮だけになり――物乞いの真似など優しいものでした。泥を啜り、樹の根を齧り、盗みを働いては殺され――春を売る女どもも……」
エスターは滔々と語る。ウルシュはただ、黙って聞いていた。
彼らがここに辿り着くまでどれほどの労苦があったかは想像に難くない。ウルシュがエルフたちと出会った時、まともなものなど一人もいなかった。
全てを吐き出すように大きく息を吐き、エスターは疲れ切った笑みを浮かべた。
「ま、どのみち、アイツ腕は持って行かないぞ」
「……そうなのですか?」
「明言したわけではないがな。アイツ、争いには向かないよ」
それは恐らく素晴らしい資質なのだろう。誰かと争わない為の強さ。ウルシュはその強さを知っていた。何よりゼルクは腕を失い、村を焼かれるという憂き目に合いながら尚もその資質を有している。どれほど善く育てられたのか、想像もつかないほどだ。
他人にも大事なものがあると認め、それを尊重し、自分にできることを探す。争うことなど微塵も考えず、お互いが対話によって歩み寄れるものだと信じている。それは紛れもない、彼の美点であった。その美点はこの里でも存分に発揮され、彼は受け入れられている。
恐らく何事も無ければ、いい年齢になるころには悪くない――いや、いい嫁を貰えていただろう。そして今度は彼が誰かを育て、育むのだ。老衰する頃には、彼はそれなりに慕われる人間になっていたに違いあるまい。それがどこであれ、何時であれ。
そんなありふれた、けれども貴重な未来を担う少年は、長く生きたものには眩しく映る。
同時に、そういった資質は紛れもないゼルクという少年の欠点でもあった。争いのできない穏やかな気質は平時にこそ有用であるものの、エルフたちが――少なくとも、魔皇の力を継いでほしいという者たちが求める資質ではない。
戦うということにおいては明白な才能と、人間としてはどうしようもないほどの歪みが必要だからだ。そしてそうでありながら大勢を率いるカリスマが求められる。それはどれも、人間としては余りに眩い少年には欠けた資質だった。
「それにこれはお前たちに取って大事なものだと、アイツはよく解っているからな」
「……」
「どういう感情の表情だそれ」
エスターの顔からは色が抜け落ちていた。様々なものがない交ぜになった表情だった。
「腕を得ないアイツがどうするかまでは解らんよ。だがまぁ……どこか旅にでも行くんじゃないか。別にここの事を迂闊に喋るような奴ではないだろうし、そこは安心しておけ」
「……そう、ですな」
「はっ、後はお前、自分がどうしたいか、どうしてほしいか、よく考えておくことだな」
言いながらウルシュは横になった。これ以上話すことはないというポーズにも見える。だが、エスターは知っていた。それは決してポーズだけではない。
「ウルシュ様、傷の方は」
「どうかな。後五十年も持てばいいほうだと思うが」
「……」
「何もしなけりゃここにも人間の手は伸びてる頃だ。魔皇の腕をどうするかも考えておけよ」
エスターは軽く歯噛みし、頭を一つ下げてその場を去って行った。
全く持って。魔皇の腕をどうするかも考えておけ、などと、どの口が。自分で何もしようとしない奴が言っていい言葉なものか。ウルシュは笑いそうになった。それからいや、笑っていいものか、と思い悩む。
まあいつか笑い話にはするべきなのだろう。可能ならば親しい相手と、今日のように二人きりで。そんな未来が来るのならば、それは大歓迎だ。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。




