価値観
帰り道の案内役はやはりというか、当然というかセリオンだった。
先ほどの話をどこからか聞いていたのか、最初に見た時は難しい顔をしていた。だが結局ウルシュに頭を下げて、そのままゼルクの案内に移った。
「……腕を失った時の話です」
ゼルクが呟くと、セリオンはぴたりと足を止めてまじまじとゼルクを見つめる。
「聞いてました、よね?」
「……」
ゼルクの質問に、セリオンは暫く表情を歪めた後、控えめに頷く。
「村が襲われたんです。なぜかは解らない。大人たちは皆殺されていた。子供たちは不思議なことに生かされていました。そして俺は――逃げました。クラウ兄さんとハーラさんに、連れられて」
「――」
「村も全部、焼かれました。――色々と悪夢も見たんですが……少し気分が軽くなりました」
ただ、まぁ。ゼルクは右腕の袖をまくり、斬られた肘を見ながら嘆息する。
「……片腕、という物理的制約は、この先も続くのは暗澹たる気持ちではありますね」
呟いて苦笑いを浮かべる。気分が軽くなったのは紛れもない事実であった。
逃げても良い。いや、逃げるべきだ。適う筈のない敵が相手であるのならば。ウルシュとの対話は、確かにゼルクの心を軽くしていた。
逃走経路は今後、常に検討し続けよう。最も、この森では不要――というか、不可能であろうことは既に分かっている。更にはゼルクよりも遥かに優れたエルフたちが、とっくに逃走経路くらいは作っているだろう。
「……」
セリオンが顔をしかめて近寄り、軽くその頬を叩く。手は振り抜かれなかったので痛くはないが、小気味良い音は響いた。
「――ああ、えっと、なん……」
続けて口を手でふさがれた。ゼルクが言葉を中断するのを見ると、辺りに転がった枝を1本拾い、地面に文字を書く。
『自虐は余り聞いていて気分がよくありません』
「あの、この文字は何と」
「……」
セリオンは頭を抱えた。それから書き直す。
ゼルクは文字は読めるがその全てが読めるわけではない。当然知らない文字も存在する。セリオンとは生きた年月もまるで違った。
『自分の不幸を、無理に笑い話にしなくていいです。反応に困ります』
「……」
ゼルクはその文字を見て少しだけ顔を覆った。
もしも似たようなことがあって、笑ってしまうと失礼に当たるかもしれない。体の欠損した相手を笑うなど、確かに反応に困る。
「……申し訳ない」
セリオンは軽く頷き、笑った。立ち上がり、目を閉じる。暫くしてから目を開き、また歩き始めた。
その後を当然のようについていくと、水の流れる音が聞こえてくる。辿り着いたのは小川だった。白水仙は生えていないが、清流であるのは見ればわかる。
そこでセリオンは水を掬い上げ、顔を洗った。ゼルクを見やる。笑っていた。
「……顔洗った方がいい?」
セリオンは申し訳なさそうに笑い、両手で自分の目元を指さした。涙の痕があるのだろうことはすぐに想像できた。
ゼルクも苦笑しながら小川の傍に屈みこみ、左手で顔を洗う。火照った顔には酷く気持ちが良い。確かに顔をよく触ると妙にざらついている。
何度か顔を洗い、汚れがとれたのを確認する。それから外套で軽く顔を拭いた。
「どう?」
セリオンに確認をとると、すぐに頷いた。
それからまた辺りを見回し、川を飛び越えて歩き出す。ゼルクもそれに続いた。
昨日は川の音が聞こえていたが、今日は聞こえなかった。セリオンには聞こえていたのだろうか。十分にあり得るだろう。エルフは耳がいい。
森の形は毎日変わる。ドリュアードたちはゆっくりと、しかし確実に地形を替えていた。
その森の中を、里までの道限定ではあるが彼女は迷いなく歩いている。
「セリオンさんは」
「……?」
「どうやってこの森を歩いているの?」
「……」
セリオンは少しだけ空を見上げ、手と手を交差させた。
バツ印。話せないということだろう。
「ごめん、余計なことを聞いた」
ゼルクはすぐに謝罪をするが、セリオンは首を横に振る。それから懐から紙の束を取り出した。頁を開く。
『フォレストワーカー 別称 森渡り、森歩き』
『エルフの役職の一つ。森を自在に歩くもの。迷わず歩けるようになって第一歩』
『どのような森でも自在に歩けるのが最終目標』
『最低限この森を自在に歩けるようならば、黒竜様の世話役となれる栄誉を得る』
『自在に歩けるようになるには、最低でも50年必要とされる。※天才は別分類 いつか超えるよう歩き続けなければ』
「……ああ、つまり経験値が違う」
セリオンはゼルクの言葉に頷いた。
それは確かにゼルクにはどうしようもない。昨日も今日も、既に道のりが解らなかった。ウルシュのところに戻ろうと思えば『黒い糸』を辿るだけでよいが、逆となると全く話は別だ。
素直に諦めるよ。ゼルクは苦笑した。それがいい、とセリオンは手帳を閉じて笑った。
里にはその後、すぐに辿り着いた。相変わらずの日常が広がっている。
だが、変化があった。森を抜けた先に、数名のエルフが難しい顔をして立っていた。一人の顔は覚えている。今朝、食事を持って来てくれたエルフだ。そういえば名前も聞いていないことを思い出した。尋ねるタイミングもなかった。
「こんにちは」
「あ、ええっと、こんにち……は」
気まずそうに挨拶をするエルフ。それに倣って他の3名も頭を下げる。
ゼルクとセリオンは不思議そうに顔を見合わせた。
「何かご用事でしょうか」
「……いや、その……ええい、ナッシュ!」
「俺に振るな……! お前が言い出したんだ……!」
「ぐ、くっ……その、ゼルク、さん」
苦しそうに――いや、少し気恥しそうにエルフはその後の言葉を紡いだ。
「……避難経路を、お教えします。いざとなれば、そこに逃げ込んでください」
「……」
ゼルクは暫しぽかんとした。頭を殴られた気分だった。いや、逃げ出した家畜と意外なところで目が合った時の気分かもしれない。
暫くしてからはっとなり、お礼を言う前にセリオンに顔を向けた。
「あの……俺と、ウルシュさん、の話――誰、か、聞いて、ます?」
「……」
セリオンは顔をそらした。それだけで十分な反応であった。一瞬でゼルクの顔が林檎よりも赤く染まる。
左手だけで顔を覆い、その場に蹲る。かなり恥ずかしかった。
「……その、申し訳ない。盗み聞きのような――というか、ウルシュ様の周りは、エルフの警護がついておりまして……」
「……どこまで広がってんだよぉ……」
その言葉にゼルクは益々縮こまった。蚊の鳴くような声で呟いたが、耳のいいエルフは皆それを聞き取った。
その肩を軽くセリオンが叩く。赤い顔を上げ、セリオンが再度地面に枝で文字を描く。それを見た4人のエルフたちは皆驚愕の表情を浮かべていたが、ゼルクがそれを見ることはなかった。
『ウルシュ様の言葉、とても素敵でした』
「……」
『私も少し泣いておりました』
「……」
ゼルクは無言のままに体を外套で覆った。声を一つも漏らすことはなかった。そのまま体を小さく震わせる。ただ単純に恥ずかしがっていた。セリオンが笑っているのは見えなかった。
「多分トドメだよセリオン……」
「解っててやってる笑顔だろう」
「……珍しいな、アンタがそんなに話すなんて」
「あんまりからかってやるなよ……」
「エナムに教えたら面白いことになると思わんか」
「人間と仲良くしてる、なんて……しかもセリオンが……アイツ、ぶっ倒れるんじゃないか」
エルフたちが会話をしているのをぼんやりと聞きながら、ゼルクは暫くそのまま蹲る。
そしてからゆっくりと外套をとって出て、ウルシュのところとは全く違う意味の涙を拭いながら立ち上がった。顔はまだ赤い。
「あり……ありがとう、ございます。その、避難経路についてなんですが……」
「――我々にとっても、大事なものです」
「……そうでしょうね」
考えればわかる。例えばゼルク達も避難の訓練を行っていた。それは季節ごとのものも含まれるが、ハーラが来てからは襲撃から逃げるものもあった。
人間の襲撃というものは全く考えていなかったため急場のものとなったが、もしも事前に決めて、訓練を行っていれば。あるいは逃げ場所をしっかりと決めていれば、もう少し逃げられたかもしれない。忸怩たる思いではある。
ただしこの逃げ場所というのが難点であり、問題だった。最大の問題は、事前に察知されてしまっていると全くに役に立たないという点だ。ゼルクという余所者にそれを教えるのは当然、リスクが伴う。
「……でも、アンタだって」
「――」
「ゼルクさんだって、奪われた側だろう。俺たちは、全員……でもないが、殆どがそうだ。だから……それを無視して、全部を同じ人間という括りでアンタを見てしまうと……それは、なんというか、大嫌いな人間というものと同じことをしている、気がする」
「まあ俺らもエルフってだけで括られてたからな。同じことはしたくないんだよ」
はっはっは、とナッシュと呼ばれたエルフが笑った。
「自己紹介が遅れたな。ナッシュだ。ウルシュ様の警護につく栄誉は得られていないが、これでも弓はできるほうだ。まあ右手がこんなもんで、連射や速射は苦手なんだけどな」
言いながらナッシュは自分の右手を晒した。手の形があらぬ方に歪んでいる。
「オルナス。ここで産まれたエルフだ。皆は人間に不信感があるが、私は然程ないほうだ。……聞く限りでは酷いもののようだが。何かあれば遠慮なくいってくれ」
オルナスと言った彼はまだ若い様子だった。耳元についた飾りが風に吹かれて微かな音を立てる。腰元に笛が刺さっていた。
「フィオレンと言います。よろしく。人間は嫌いですが、全部がそうではないということは知っております。足がこんなもので呼ばれてもすぐには移動できませんので、できることなら用事があればそちらから来ていただければと思います」
フィオレンは言いながらズボンの裾を引き上げた。左足がなくなっており、その代わりに棒が刺さっている。
「俺はヴァリスだ。……元奴隷でね、五体満足で済んだのは運がいいほうさ。多分、この里で一番弓が上手い」
ヴァリスは自慢げに笑った。自然な笑顔だった。ナッシュが軽くその背中を叩いた。
ゼルクは皆を見渡し、ゆっくりと頭を下げる。そしてから顔を上げて、笑った。
「ゼルクと言います。よろしくお願いします」
「ああ、よろしく頼む。さて、じゃあ避難経路だな。セリオンはどうする? 一緒にくるか?」
セリオンは少し首を傾げ、それから首を振った。懐から手帳を取り出した。やることがあるというのは解った。
「なぁ、避難経路は二人いればいいよな。フィオレン、苔捕りにいこうぜ。もうあんまり数が無いんだ。ドリュアードたち、最近移動が多かったからな」
「解りました、ナッシュ。ゼルクさん、今日は失礼します。貴方の村のことも、いつか聞かせてください」
「あー……油断するなよ、ゼルク。ゼルクでいいよな? エルフの『いつか』って何時間後とか、何日後とかじゃないからな。何月後とか、酷いときには何年後とかもあるからな」
「エルフの時間間隔が独特というのは、まあなんとなく知っています。急げといったら本当に大急ぎということも」
ゼルクの言葉に、皆が笑った。それからは銘々作業に戻っていく。ヴァリスとオルナスに連れられ、ゼルクは避難経路を案内される運びとなった。
ゼルクという人間は、この日を境に里に受け入れられ始めることとなった。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
いきなりキャラが増えたように思いますが、里に住まわっている方々です。




