帰り道
ウルシュとの対話が終わり、ゼルクは少しだけ項垂れた。
歓迎される理由も、嫌われている理由も解った。解ってしまえば単純なものだったし、ゼルクが同じ立場であったとしても嫌うだろうと解る。
魔皇はエルフにとって希望の象徴。人間は少なくともここに住まうエルフにとって憎悪の象徴。いや、エルフに限らないか。ゼルクは嘆息する。
帝国や公国については当然知っていた。ただし、知識としてそういう国があるという程度ではあった。当然その実態など知りもしなかった。
いつまでも俯いているわけにもいかない。ゼルクは顔を上げて、立ち上がり、頭を下げる。
「ありがとうございました、ウルシュさん」
「おう。次回は銅の腐敗についてだな。とはいっても俺は詳しくは知らんのだが」
「……ウルシュさんも直接は見たことがない、ということでしょうか?」
「おう、よく見た。鳥たち、後は他の竜が偶に語りに来るくらいだ。あの辺り、居心地は良くないらしくてな。愚痴を吐きに来るのと飯を集りに来やがる」
吐き捨てるウルシュ。当然、ゼルクはこれまで竜なんておとぎ話以上のものを知らず、それが集まるのがどういう意味かなど解らなかった。
ゼルクは笑いながら振り向いた。いつの間にかそこに案内役のエルフがいた。前と同じ、口の利けない彼女。
濁った白い髪の毛をしているが、顔の模様は淡い青色だった。髪の毛は首元まで伸びており、耳まで覆い隠している。
エルフ特有の細い顔立ちははっきり美形と言っていいが、どこか憂いを帯びている。服装は緑のゆったりとしたものをよく着込んでいる。顔と手以外を見せたがらないのだと思った。理由は明白だ。無理に見ようと思わない。口が利けないも同様の理由なのだろう。
「よろしくお願いします」
ゼルクは頭を下げてそれだけを言った。案内人は少し驚いたようだった。何も尋ねようとは思わない。当然の距離だとゼルクは信じていた。自分も腕を失ったことについて、面白半分に聞かれれば楽しい気分にはならないことは想像できた。
彼女は立ち上がり、ウルシュに向かって頭を一つ下げると歩き始める。ゆっくりと、そして歩きやすい道を選んでくれている。それだけでゼルクにとっては十分だった。
案内の最中、水の音が聞こえてくることに驚いた。思わずそちらを見ると、樹の根に躓いてしまう。片腕が無く、咄嗟に体を支えることもできなかった。無様に倒れてしまう。
「あ、大丈夫……です」
左手で体を起こし、いつの間にか近寄って来ていた案内人に笑いかける。
「すいません。昨日は水の音が聞こえなかったもので、気になって」
エルフは少し首を傾げた後、服をごそごそと探り出す。
そこから手帳を取り出した。とはいえハーラが持つような高級なものではなく、只紐で紙の束を閉じただけという粗末な代物であった。
それを捲り、目当ての頁を見つけたのか、そこを開いてゼルクに指さした。繊細で綺麗な黒い文字が並んでいる。文字は共用語だった。利便性では群を抜いている。
『森を歩くときは樹※ドリュアードの傍を避ける』
『ドリュアードが移動するとき根が深いとごっそり地面も抉られる』
『なので彼らは地面から根を出していることが多い。森を歩く際は足を引っかけないよう注意すること』
「……なるほど」
ゼルクは頷いて辺りを見回す。確かに樹の根はそこかしこに出ていた。
面白い着眼点だと思った。森を歩く際にそんな注意をしたことはない。深い森では珍しくもないが、浅い箇所ならば根が出ていることも少なかった。そして森の深い箇所に入ることなど滅多になく、入るときはそもそも足元に注意していた。
「あの、関係ないんですけど」
「?」
「この黒い文字、どうやって書いてるんですか? インク?」
「……」
案内人は驚いたような顔をしていた。それから自分の書いた文字を見やる。
少しばかり顎に手を当てて、難しい顔をする。目を閉じてから頷き、少しだけ笑った。
紙の束をしまい込み、きょろきょろと辺りを見回して、白い樹を発見する。それを軽く叩いた。
「……樹液?」
「!」
我が意を得たとばかりに彼女は頷いた。へぇ、とゼルクは目を丸くする。実際に驚いていた。
樹液というものは色がついていないものだとばかり思っていた。処理はするのだろうが、こんなにもはっきりと黒くなるものは初めて見た。炭よりもよほど見やすい。
それをペンや鉄柱、樹の棒につけて書きつける。紙の束は高級品だが、保管ができると考えるのならばこれはむしろ安上がりかもしれない。
「そっか」
やはりエルフは森と共に生きているのだ。それを実感した。案内人が触っている樹に触り、ゼルクは悪意なく笑った。
「そうだ。知っているかもしれませんが、ゼルクと言います。案内、よろしくお願いします」
「……」
案内人は頭を下げて、ゼルクの左手をとった。そしてから指で掌に文字を書く。ゆっくりと、解りやすいように。
「……セリオン、さん」
はい。そう言って頷いたようだった。
これからよろしくお願いします。改めてゼルクは頭を下げた。セリオンも同じように頭を下げた。
彼女の案内で歩き始める。ゼルクはまたよそ見をした。今度は倒れなかったが、足を止めた。セリオンも足を止める。踏みしめる音が不自然に途切れると、必ずこちらを確認してくれているのだった。
「あ、いや、樹に生えた苔の色が違うなって」
ゼルクの言葉に、セリオンは噴出した。再び紙の束を取り出して、頁をめくる。
『苔はドリュアードのお洒落みたいなもの あんまり触らないように』
『薬になるものもあるので、貰う際には必ず許可を貰い、お礼を言う事。簡易的な薬の目印は青と白銀※似たような色があるので注意する』
「お洒落……服装?」
頷くセリオン。ゼルクは自分の服を見やる。時間はかかるが、ドリュアードにしてみればそれほど長い時間でもないのだろう。
もしも苔の生えたか一つで気分を表す、そんな存在がいるなら少し見てみたい気がした。同時に気にかかり、思わず疑問を呈してしまう。
「ひょっとして生えたかを気にしてるドリュアードさんもいたりしますか?」
セリオンは悪戯っぽい笑顔を浮かべて、紙の束をしまって歩き出した。
くるくると指を回して、そっと奥を指さした。そちらを見たゼルクも思わず笑った。色とりどりの苔が生える樹が生えていた。なるほど。確かにこれは少し面白いかもしれない。
里に戻り、セリオンと別れる。その際に彼女の名前を呼んだことに、近くにいたエルフたちがぎょっとした顔をして動きを止めていた。何人かはすぐに戻っていくが、ゼルクに対して無遠慮な視線を向け続ける者もいる。
努めて気にせず家に戻る。ウルシュのいう通り、今は正念場であり、同時にチャンスなのかもしれなかった。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
喋れない人との距離はとても難しいです。




