里の日々_01
ゼルクが起きてから既に五日程が経過していた。
今現在のゼルクは身綺麗な格好をしている。三日目に目覚めて以来、エルフの里にいた皆は過剰なほどに彼を接待した。
食事や風呂の準備は勿論、服装まで面倒を見てくれていた。今着ているのはエルフが染めた灰掛かった青色のシャツ。体温や気温で微妙に色が変化する。そして鈍い緑色のズボンだった。当然下履きも幾らかの替えも貰っている。
どちらも通気性が酷くいい為、寒さすら感じるが、外套も一緒に貰っている。こちらも青色だがシャツとは微妙に色が違っており、見るものを飽きさせない。靴も潰れてしまったため、新しいものを貰っていた。動物の毛皮をなめして造った靴は余り履き心地が良いとは言えないが、頑丈なものだった。尚、どの服装もゼルクは価値を理解していない。青と緑の取り合わせは美しく、ただ気に入っている。
その日、ウルシュとの最初の会話を終えた頃には日が傾き始めていた。そもそもゼルクが起きるのが遅かった。まだ疲れが抜けきっていない。
それでも動けるようになった以上、ただ呆けて過ごしているわけにはいかなかった。そうしていると色々と思い出しそうになる。何より奇妙なほどに感じる疎外感が、彼に行動を起こさせた。
ゼルクはとりあえずできることとして、ウルシュとの会話に踏み切ったのだった。
会話後は一人のエルフの先導で村へと戻っていく。ウルシュとの会話が始まった頃、態々やってきてくれたエルフだった。
道中に会話はなかった。だがエルフの歩く道は平らであり、歩きやすい道を選択してくれている。それだけでも気遣いを感じられた。
村は相変わらずの日常が広がっている。その中にはクラウの姿もあった。広場の中央に広げられた椅子に座り、エスター他数名のエルフと何事かを話している。紙を広げ、そこに何かを書きつけていた。
案内してくれたエルフは頭を一つ下げてそのまま去っていく。ゼルクはありがとうございました、とだけ応じた。無言だったエルフは驚愕の表情をしてから笑い、また頭を下げた。
「喋れないんだって」
「うわっ」
唐突に話しかけられ、体を震わせる。いつの間に近寄っていたのか、ハーラがいた。
クラウも気づいて手を振ってくれている。余程大事なことを話し合っているのか、他のエルフたちは一つ頭を下げてすぐに視線を紙へと戻す。
「……ハーラさん、驚きました」
「そりゃ驚かせようとしたからね」
「でしょうね。喋れないんですか、あの人……」
「そういう人多いよ、この里。目が見えなかったり、喋れなかったり――エスターさんみたいに、足が片方なかったり」
ゼルクは驚愕する。これまでに会ったことのない類の人だった。
元居た寒村ではそういった人物はいなかった。いや、いたのかもしれない。ゼルクは知らなかった。彼は十四歳の子供に過ぎず、オットーは優れた指導者だった。教えられていなかったというのも十分にありうる。
「みんな帝国とか、公国とかから逃げて来たんだって。この里もこの里だけじゃやっていけないから、色々取引してるんだってさ」
「それは……するでしょうね」
応じながら、ゼルクは一瞬だけ言葉に詰まる。ウルシュに言われたことを思い出していた。女神が気に入らなかったからと言って魔皇についた黒竜。
しかし帝国や公国とかから逃げて来た、というのはどういうことだろう。解らなかった。ゼルクはそこでようやく、自分が何一つ知らないのだと気づいた。
「この村の服はいい値段で売れるんだってさ。で、その時色々と伝手を使ってエルフの人たちを連れてくるみたい」
言いながらハーラは軽く回って見せた。ハーラも旅の時とは違う服装をしている。貰ったものだった。
ゼルクのものとは違い、茜色とよく熟した葡萄色をした服装だった。やや厚手だが通気性はやはりいいようだった。自らの服装と外套を見て、ゼルクは苦い顔をする。単純に気に入ってはいるが、本当に貰っていいものなのだろうかと、数日着た今でも疑問に思っている。
これらの服を貰う際には当然ひと悶着あった。
ゼルク、クラウ、ハーラにそれぞれ服装を選んでくれと沢山持ってきたのだった。クラウとハーラはさっさと選んだ。彼らはこういう際遠慮をしないほうがいいと知っている。そして彼らはエルフだった。全てのものが永遠でないとよく知っているのだった。
それに倣ってゼルクも二着ばかり選んだ。どのみち、今まで着ていた服装はボロボロだった為ありがたい話であった。当然、彼としてはいつかお礼をせねばならないと考えていた。問題はここからであった。
エルフたちは二着だけしか選ばなかった事を否定するかのように、微妙に色も仕立ても異なる服を次々と差し出してきた。五着、いや、六着はあっただろうか。
流石にこんなには貰えないとゼルクは遠慮した。しかしエスターをはじめとしたエルフたちは受け取ってくれるまで動きませんとまで言った。クラウとハーラは静観した。口を出してもどうしようもない問題があることを知っていた。何より彼らにとっても疑問だった。そうまでする理由は何なのか。
当然ゼルクとしては困惑しかない。迷い辿り着いたこの場所で、いったい自分にどんな価値があるのだろうと真剣にクラウとハーラに相談した。
クラウはとりあえず貰えるのだから貰っておいて、後々使い道は自分で考える方がいいだろうと応じた。ハーラはこれ売ったら暫く暮せそうですねと完全に現実逃避していた。彼女からしても貰い過ぎではないかと思っている。過剰な財は身を亡ぼすということを知っていた。
「……ハーラ姉さん、公国と自由連邦って地続きなんだよね?」
「そうだね。地理的には間違いなく」
「だったら、隣の公国からなら、歩いてくればいいんじゃ……」
ゼルクの疑問は至極もっともだった。ハーラは苦笑いさえ浮かべる。逃げるという表現を用いていないのがゼルクらしさなのだと理解していた。
「それができたら苦労しないんだよねぇ」
「……そう、なの?」
「公国は厳しいよ。あっちじゃエルフなんて人間扱いされてるのが極稀。逃げようとしたら殺される、なんてのも珍しくない。自由連邦までたどり着ける――のを私は聞いたことが無いかな」
ゼルクは完全に言葉を失った。当然、彼は知らない事実だった。
当然と言えばそうだが、ゼルクは自由連邦国家のことさえまともに知らないのだ。寒村の外のことは、その全てが異界の話であった。
そもそも毎日を生きるのに精いっぱいだった寒村の暮らし。毎日の生活は忙しく、楽しかった。外の世界の事を知る機会はラドが率いる行商隊の話だけ。興味など持つこともなかった。
同時に彼は十四歳であり、本格的な教育は始まっていないというだけの話でもある。それはきっと、平和の証でもあった。
「そのあたり含めて色々知ったほうがいいね、ゼルクくんは」
「……そうだね。何も知らなかった」
「あー違う違う。知らなくてよかったの、子供なんだから。大人になったらどうせ知らなくちゃいけないことでもあるし、君はまだ子供……子供だよね。いや、そう扱ってたし子供だね。うん。ねぇ、人間ってどれくらいで子供じゃなくなるの?」
「一応、ウチの村だと成人は十六歳からだったけど」
「人間って年齢で判断するよね。エルフは自分で何かを成し遂げたと認められて、ようやく一人前だよ。若ければ六十、遅ければ百歳でも成人なんて呼ばれないこともあるくらい」
ハーラが呆れた声を上げる。むしろゼルクが驚く話であった。エルフの文化に根付く習慣は幾らか知っているが、成人についてまでは聞いたことが無い。
オーラやガリラル、クラウにしてみれば当然の話だったのだろう。あるいはゼルクが成人してから話すつもりだったのか。
「そっちの方が大人っぽいなぁ」
「そうそう。年齢より中身が大事」
「……なら、なおさら。俺なんかにこんなにしてもらって、流石に申し訳ないよ」
「あ、それ理由解った?」
「……まあ、うん、はい。今日大体想像できた」
ゼルクは自らの服装を見ながら軽く嘆息する。ウルシュとの会話は、ゼルクに様々な衝撃を与えていた。
「三百年前何があったかはともかく……エルフの皆は魔皇の方が好きなんだね」
「え、そうなの?」
「少なくともこの村に住む人たちは。ハーラさんは違うの?」
「違うっていうか、まああんまり深く考えたことが無いというか……女神様が正しい――うーん? 魔皇の方が間違ってる、って考えたことは、まあないかなぁ。それより明日の食事とお金だよ、大事なのは」
「でも、女神様っていうんだね」
「そりゃぁそう呼ばないと怒る人たちがいるからね」
ハーラの解答は明瞭だった。ゼルクは思わず笑った。現実の面倒くささは現在進行形で実感している最中でもあった。
なるほど。これも一つの好き嫌いか。少なくとも彼女にとって、女神も魔皇も信仰の対象ではない。それよりも大事なものがある。
要は人にとって価値観など様々なものに過ぎない。それでもゼルクはあの日、燃やされた村の事を思い出すと叫びそうになる。その村を襲った相手を許すことなど到底できそうにない。つまりはこれも好き嫌いか。
「ハーラさん、嫌いなものってある?」
「話を聞かない奴、襲ってくる奴、傷つけてくる奴。全員ぶん殴って話聞かせたくなるし、ペンとか使って目ぇ抉りだしり耳貫いてやろうかって思う時が多々あるよ」
即答だった。そして範囲は割と広かった。なるほど。ゼルクは頷いて一歩引いた。
「流石に冗談だよ……」
「いや、声が本気だったよハーラさん……」
「うん、まぁ、本当にイラつくことはあるけどね。値引きはしないって言ってるのに交渉してくる奴、食事渡して食べた後で返金を求めてくる奴、居座ってずっと話してくる奴……言って聞かせて解らないなら殴らなくちゃダメか? ってなるよ。ゼルク君はそうならないようにね。本当に気をつけて。生きてる時まともと思えること、それが大体常識だからね」
声は真に迫っていた。けれどもとりあえず暴力をふるうところまで行くことは稀なのだろうと判断した。
立ち位置で何もかもが変わる。それだけの話かと何となく納得した。善悪も同様なのだと気が付いたのは夜の帳が降り、目を閉じた瞬間のことだった。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
意味の解らない好意ってめちゃくちゃ怖いですよね、ええ。




