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憧憬の過去

 竜がその首をもたげる。花畑への3人の侵入者を見て、軽く唸った。笑ったようだった。

 それから辺りを見回し、腕を使い喉を引っかく。軽く口を開き、欠伸でもするかのように大口を開けた。それから何度かもごもごと口を動かし、再びゼルクたちを見下ろし、口を開く。

「ヴァルドラシュ。ザル=ウルシュ。セラ=ダン=ラア、エン=ザリク=ナザール」

「……」

「……」

「……えっと、なんて?」

「すまん、私にも竜語はさっぱりだ。いや、竜語だよな? 恐らく……」

「行商の旅路で竜に会ったことなんてないですねぇ……」

 竜が喋ったというのも驚きだがその内容は当然何も解らない。竜語なんて言うものをゼルクは初めて聞いた。

 竜が少し困ったように表情を歪め、再度口を開いた。

「ミーーミルアナエ。マ=ウルシュ、ヴェラン=シル……セラリエン=ヌ」

「エルフ語だな。アリサン、ドラオーン=ウルシュ。クラウ。ラ、ハーラ。セラリエン、ゼルク」

 応じたのはクラウだった。ゆっくりと頭を下げる動作を見て、ゼルクとハーラも慌てて頭を下げる。

 竜は満足そうに喉を鳴らした。クラウは頭を上げ二人に向き直る。

「とりあえず彼の名はウルシュ、というらしい。魔皇に導かれた、と仰ってるが……エルフ語で訳してもらってるからどこまで正しいかは解らんが」

「黒竜……って魔皇と一緒に戦ったのにそんな竜がいたっていう話が無かったっけ」

「ありますね。刻裂竜との戦い……竜って口きけるんですね。言語も使えるなんて、驚きです」

「ああ、安心しろ。共用語も無論、使えるとも。クラウ殿、ハーラ殿、そして――ゼルク殿か」

 三人で話していると、再び頭上から声が降って来た。驚愕から見やると黒竜がからからと笑っていた。

「まあこの共用語、元々は魔皇と女神――と、後は連中か、十二人の勇者たちが使っていたものだからな。アルファベット? が中心だったはずで、漢字とやらも伝わっている。おう、初めまして。俺はウルシュ。黒竜ウルシュ。魔皇と共に戦い、翼を斬られていみじくも生き残った恥知らずの竜よ」

 ウルシュは笑いながら体を起こす。ざわざわと辺りの葉が揺れた。

 巨大な体だった。胴体から伸びた首は長く、太い。頭には複数の角が生えており威圧感を与える。二本の腕が器用に体を支えている。全体的な体は蛇や蜥蜴に似ており、全身に鱗が生えている。

「ドリュアードどもが随分と長旅をさせたみたいだな。まあ奴ら慎重な上、人やエルフとは時間の感覚が違う。知っているか、連中太陽が何度降ったかで判断する。奴らにしてみりゃまだそれほどの時間も経過していないんだろう――さて」

 軽く体の向きを変え、首を伸ばしてゼルクの前に顔を置く。深い深紅の瞳は恐怖もあるが、どこかクラウやオーラのような賢人にも似た色があった。

「お前、ゼルク。なぜここに来た?」

「……あ、えっと……」

「勘違いするな。別に何かを強制するつもりはない。だがここに来れる以上、お前には資格がある。その資格をどう使うかはその本人次第だが、もしもお前が我が友を利用するような意図で来ているのならば、俺はお前を食い殺さなくちゃならん。例えこの先数百年しかなかろうと、ここが最後の機会だろうとな」

 ウルシュの瞳は穏やかなものだった。決して暴力に溢れる手合いではない。それくらいは解る。

 だが解答を誤れば間違いなく殺されるだろう。痛みを感じる間もなく。落ちた右腕が鈍く痛んだ。もう傷は治っている筈だった。

「……その、ここに来れば安全に暮らせる、とそう聞いて」

「――そうか。おう、そうか。お前何も聞いてないんだな」

 ウルシュは首を上げ、軽く欠伸をするように大きく口を開いた。そのまま再び祠を取り囲むように寝そべる。

「エスター、もういい」

 ウルシュが小さく呟く。それと同時に辺りの森から大勢のエルフが出てくる。

 思わず硬直する。どこに隠れていたというのか。クラウとハーラは然程驚いている様子が無い。だがその場にいるほぼ全員が武装しているのは流石に面食らっている。弓と矢はきちんと整備されている

 その中から老エルフが一人、代表として前に進み出る。

 右足が無く、足に棒を括りつけている。左手には杖を持っていた。更に顔には大きな傷があり、左目が潰れていた。どことなくオーラを思い出す風貌だった。

「よろしいのですか?」

「よろしいのですか、だと? おお、大いによろしい。いい子だよ。ゼルク殿、クラウ殿、ハーラ殿。疲れているだろうから暫く休め。ゼルク殿は自由にここを訪れていいぞ。どのみち、ここへ来れるのは道を知る者か、お前だけだからな。ここにあるもの、ここに来た意味、女神と魔皇について――俺の知る限りを話してやる。それから選ぶといいだろう」

「何を、でしょうか」

「それを知る為にも暫くはここに通うんだな。お前の話も聞かせてもらいたい。俺としてもドリュアードとの会話は本当に長くて嫌になるんだ」

 ウルシュはそれだけ語り、目を閉じた。風も吹いていないのに葉擦れの音が騒がしい。何かを抗議しているようだった。

 先ほどの老エルフが恭しく頭を下げ、ゼルク達の前に出る。近くで見るとエルフを示す顔の模様も大分削れていた。模様の色は鈍い赤だった。髪の毛が真っ白になっているのは年齢によるものだろう。

「初めまして、導くもの。エスターと申します。このエルフの里でまとめ役をさせてもらっております」

「あ、えっと――はい。初めまして。ゼルクです」

「ゼルク様。同法の方々と共に、よくぞここまでいらっしゃった。貴方と共にここきた同法に、紹介される栄誉を与えて貰ってよろしいでしょうか?」

 言いながらエスターは右手を上げる。周囲にいたエルフたちがそっと森の中へと溶けて消えて行った。

 どう視界から消えたのか全く分からない。エスターの言い回しも解らず混乱しているというのもある。

「え、あ、えっと?」

「ゼルク、普通に我々を紹介してくれればいい」

「あ――うん。こちらはクラウ、兄さん。こちらはハーラ、さんです」

「クラウ殿、ハーラ殿。よくぞ、よくぞこの方をここまで連れてきていただきました。我ら一同、感慨無量にございます」

 エスターはゆっくりと頭を下げる。クラウとハーラは軽く頷き、礼をする。

「頑張ったのは彼です。右腕を失ってまで、彼はここまで歩きました」

「……過酷で、長い旅だったでしょう。こちらへどうぞ。少し歩きますが、我らの里があります。まずは休まれるのがよいでしょう」

 エスターの先導で、ゆったりと森の中を歩きだす。

 道中に危険など一切なく、むしろゼルクはエスターとの会話に気を使った。クラウもハーラも何一つ助け舟を出してくれない。ハーラはともかくとして、クラウは間違いなく面白がっている。彼はゼルクができることは、どれほど困難でもやらせようとする癖があった。

「ゼルク様はお好きな食べ物などはございますか? または眠りやすい場所――ああ、服装も必要ですな」

「あ、あの、そんなには」

「我らがそうさせていただきたいのです。遠慮なくお受け取りください。勿論、そちらのお二方にもおもてなしをさせていただきましょう」

「勿論二人には沢山お願いします。助けてもらったので……二人がいなければ、ここまでは……」

「それはそれは。ゼルク様も大変な思いをなさったご様子です。しっかりとお休みください」

「あと、あの、様、と呼んでいただくのはその――やめていただけると」

「そうですか。では、ゼルク殿、と呼ばせていただきましょう。ああ、道中、食事はどれほどとられておりましたか? まずは腹に優しいものから――」

 エスターはゼルクに対して間違いなく好意がある。ゼルクからしてみれば当然不気味だった。無条件の好意はありがたいが、それがこうも襲い掛かってくると流石に心苦しい。そんなことをしてもらうような人間ではない、とさえ思っている。

 森の中を半時間程、まっすぐに(少なくともそうとしか思えない方向に)歩くと、また視界が開ける。

 そこは森の大都市だった。

 無数のエルフが暮らし、様々な施設がある。木の上に家や鐘楼まであった。歩道の板は根の上に沿うように編まれており、樹を傷つけないよう配慮されていた。建物の全てが樹に育てられているかのような形状をしており、樹も人々と共存しているのが見えた。

 中央の大きな広場には大きな机が置いてある。肩で息をして休んでいるエルフや、何かしらの盤上遊戯を真剣に眺めているエルフたちがいた。広場を沿うように流れる川では服や薬草を洗い、談笑しているエルフもいた。果実を串にさして陽の光に当てて温めている様子もあった。まだ背の低い子供が、二倍の背丈はありそうな老人の膝の上で色々な植物を指さし、その名を唱えている。木の上で誰かが笛を吹いている。音は細く、風に混ざり何処かへと消えて行った。

 ふと、いつかの村の広場を幻視した。子供たちは井戸の周りで駆け回り、大人たちが見守りながら自分たちの作業をしている。アエリア、ミール、マイト。年の近い友人たちもそこにいた。もう戻らない日々だと解っていた。

 ゼルクは思わず涙を流した。

 そこにあるのは日常だった。何でもない、只の日常だった。ゼルクが一晩で炎の中に失ったもの、そのものだった。

 クラウが軽く肩に手を置き、ハーラが軽く頭をなでる。折り合いがつかなくて当然だと言えた。彼は未だ十四歳の少年だった。けれど大事なものを一晩で失った少年でもあった。知りたくもない命の価値を、あの日教えられたのだと、ここまできてようやく気が付いた。

 ゼルク達が案内された家には広いベッド等、様々なものが設置されていた。彼らはまずそこで沈むように眠った。ゼルクがまともな意識を取り戻したのは三日後のことだった。


ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

ようやっとたどり着いた先。ここでの生活が始まります。

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