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嘗ての伝承

 起きると昨日と全く様子が変わっていた。殆ど空さえ見えなかったはずの枝は退いており、陽の光が差し込んできている。

 その代わりに黒い糸は方向を変えていた。昨日覚えていた方向ではなく、かなり大回りに行くことになる。

 軽く体を伸ばし、樹の幹に体を預けて眠っている二人を見やる。珍しく二人よりも早く起きたらしい。森に来てから、少しだけ体が軽くなっている。確実にこれまでよりも疲れる道を歩いていたというのに。

 何よりエルフの二人は森の歩き方を知っている。ゼルクは彼ら二人よりも歩き方が上手になったとは思わなかった。

「――クラウ兄さん。ハーラさん」

「……む。ああ、おはよう。流石に疲れが出たな……」

「ふわ……うわ、空が見えてるし……道変わってるし。戻ろうと思っても戻れませんね、これは」

 クラウが起き、ハーラが呆れたように呟く。

 とりあえずは食事と水であった。昨晩ハルミルを傷つけて溜めた水は、三本の瓢の中身を半分ほど満たしてくれていた。感謝と共にハルミルの樹の傷を草や木の欠片で塞いだ。

 それから辺りに落ちていた少量の木の実を口にした。どれも甘いもので、気分も落ち着く。食べられそうなものはクラウが見分けてくれた。

「うん、予想していたがやはり変わったな……すまない。ここまで早いとは」

「ドリュアードにしては移動速度が早いですね。ま、これは予想できません……本当に森全体がドリュアードって可能性もありますね。ゼルクくん、どう? 糸は」

「大分大回りすることになるけど、大丈夫」

 もうすぐだ。もうすぐ、安全な場所に辿り着ける。ゼルクはそう思いながら立ち上がった。村を失ってから、それだけがゼルクの目標だった。

 水を飲み、先に進み始める。昨日と同じように蔦で全員の体を繋いでおく。逸れると二度と会えない可能性があった。

 足元は歩きづらい上、酷く大回りさせられているように感じる。だが黒い糸は確かに導いてくれている。それだけが支えだった。

「――そういえばこの黒い糸ってなんなの? 今まで聞いても運命としか答えてくれなかったけど」

「あー、それなんだが……実はあまり、私も詳しく無くてな。オーラからは『ゼルクの運命だ』としか聞いていないし……手紙にも書いていないし……かなり細かいことまで書いているんだが、不自然にそこだけ触れていない」

「エルフの伝承とか、歌にありますよ」

 クラウが言いづらそうにしていると、ハーラがあっけらかんと言った。

「……伝承?」

 クラウが訝しげに声を上げた。彼もいくらかは知っていた。しかしそこまで興味が無かったと言えばそれまでだ。

 彼はエルフとしては若い。薬草への造詣こそ深いものの、弓もそれほどうまくない。伝承に残るものを蔑ろにしようとは思わないが、積極的に学んでもいなかった。

「光宿る果実。森に在りし黒の糸。木霊は声を忘れず、その名を呼ぶ。呼ばれし名の鎖はほどかれ、夜は朝へと還る――というところから始まる古い伝承ですが」

「……知らん」

「クラウ兄さんも知らないことあるんだね」

「あんまりいじめるな、ゼルク」

 クラウは少し悔しそうに言った。これまで学んできたことは無駄ではないと思っているが、知らないことがあるのはそこそこに悔しい。エルフはそもそも学習には意欲的であった。

「伝承関係は断絶したものもあるからあんまり気にしなくてもいいですよ。ラドさんとか古い伝承の書物とか色々持ってるってだけだったので」

「他にはあるの?」

「詩があります。三百年前から伝わるものです」

 うた。ゼルクは少しだけ眉を跳ね上げた。ゼルクの知る歌というのは、当然祭りのときに歌われるものだった。

 アエリアは軽く咳払いをしてから、深呼吸を一つ行う。

 それからゆっくりと謳われたその詩は、ゼルクの耳によく馴染んだ。


「黒い糸、導くもの、遠い故郷、葉擦れの音、胞子の呼吸、水の騒めき。

 誰も知らぬ結ばれた先、光の実は暗に熟し、枝なき樹は戦火に燃ゆる。

 それは黄金の輝きを貫く一筋の銀光。あらゆる光を跳ねのける、最も強き、銀の腕。誰もが忘れぬ銀の腕。

 残った手足を竜へと託し、全ての種族、未来を成した。

 幾星霜の歳月に、名も持たぬまま、遥か久遠に燃えて咲く。

 今、導く者に力を託し、地上に満ちる全てを束ね、銀の腕は鎖をほどく。

 黒き糸よ、今こそ導け。果実の熟す、その前に」


 ゆっくりと語られたその言葉には、色々なものが込められていた。

 特にゼルクにとって気にかかるのは当然、黒い糸という単語だった。エルフたちにとって、それは余りに大事なものなのだと実感できた。

「……俺、このまま里にいって大丈夫?」

「私も不安になって来たぞハーラ。確かに運命だとは聞いているが……安全に暮らせる場所を見つけられる、程度のものだと思っていたのだが……」

「エルフの間では有名な詩なんですけどね。大体コレ三百年も前の詩ですよ。あの当時何があったかなんて有名でしょう?」

 ハーラが笑った。三百年前といえば確かに有名だ。魔皇と女神の戦争。他に思い付くものもない。


ここまで読んでいただき、ありがとうございました。


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