↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
32/75

旅路_04

 森までの旅路は予想に反して穏やかなものだった。

 幸いにして河が見つかったため、水には不足しなかった。彼らの導となる黒い糸も河に沿って伸びてくれている上、白水仙も確認している。

 パロウ牛の糞も持ち運んでいたため、夜毎に火を炊くこともできた。そこでノークの瓢を乾燥させていくのだが、日毎に色が変化していく様は中々に面白く感じた。朝には河の水で洗い、夜には乾燥させる。この工程を繰り返すことで虫が寄り付くこともなく、綺麗に水を保存できる容器を作れるのだという。

 乾燥が進むごとに皮は硬くなり、色も土色へと移ろっていく。毎日丁寧に拭いていると段々と手に馴染んでいく気もして、妙な安心感を覚えた。サリの葉の器が草臥れた頃には、ノークの瓢も十分に活用できるほどになっていた。

 肉食獣に襲われかけたこともあったが、ハーラが弓で追い払った。また夜の間はハーラが色々と話をしてくれていて退屈しなかった。

 ゼルクが泣いたあの日から、ハーラは夜、眠るまでの間に様々な話をしてくれていた。彼がどれほど追いつめられているかを知っている彼女なりの気遣いだとゼルクも気が付いている。

 行商として色々な場所を巡った彼女は様々な話を知っていた。中でもゼルクが興味を持ったのは『海』だった。内陸に住まっていたゼルクにとって、そのようなもの見たことなかった。

 当然雨が降る日もあった。川沿いの木の下で一日を過ごすこともあった。雪が降らないのは既に春の気配が近いからに過ぎない。それでも雨が降った日は寒く、三人で身を寄せ合って過ごしていた。もしも白水仙が見つからないのなら雨水を飲んだ方がましだな、とクラウが笑っていた。勿論濾過して沸騰させること。雨水とて決して綺麗なわけではないからね。

 やがて平野での冬の気配も敗北を始め、春の芽吹きが見え始めた頃。

 ゼルクたちを導く黒い糸は、彼らを深い森へと誘っていた。

「ぉお……」

 思わず声を上げる。

 ゼルク達の前に広がっているのは若い森だった。背の低い樹が幾らか生えており、その奥に少しずつ背の高い樹が生えている。更に奥には樹齢何十年という巨木が生えているのが見えた。

「よしよし。ここまで迷わず来れたな……とはいえ河とはここでお別れか」

「まだ日も高いですし、進みますか?」

 クラウの声には疲労が滲んでいる。当然だった。ゼルクもかなり辛い。ハーラは慣れているのか、二人よりも疲労の色が薄い。

 ここに至るまでは穏やかな旅だったが、安眠できた日の方が少ないくらいだ。夜は獣の襲撃を避けねばならないし、昼は歩かねばならない。街道のように道が舗装されているわけでもなく、躓いて転ぶことも少なくなかった。食事とて常に腹いっぱい食えるわけではない。水が豊富なのだけが幸いだった。

 それでもとりあえずの目的地である森には着いた。冷静に考えるのならばここで一度止まるべきだった。全員消耗している中、森に挑むのは無謀でしかない。河は森の中へは伸びておらず逸れており、中に入れば水の確保さえ難しそうだ。

 ノークの瓢四本には水が詰まっている。各自が一本ずつ持ち、残る一本はクラウが持っていた。彼がこの一員の中で最も医療に通じている。水を最も必要とした。

「いや、このまま進む。我々はゼルクの先導に従えばいい」

「クラウ兄さん、そろそろ期待が重たいんだけど……」

「まあここまでは来れましたし、別に信じていいとは思います。でもそれと森を歩くのとは別の話です」

「それでも進むべきだ。この森が明日、どうなるか解らない」

 ゼルクとハーラは共にクラウを訝しげに見やる。特にゼルクの方が懐疑の視線は強い。

 確かにここまでは黒い糸に導かれた。しかし森の中で黒い糸は樹々に沿って湾曲している。その上足元も不安定になっており、まっすぐ歩くのも難儀するだろう。準備に一晩くらいかけても問題ないのではないかと思っている。

 だがクラウは手紙を広げ、ゼルクには読めない箇所を指さす。エルフ語は解らなかった。二人に納得してもらうまで説得を続けるつもりだと解った。こうなったクラウは決して折れない。

「前も少し言ったが、この森にはドリュアードやフォンギアが住まわっている。いや、はっきり言うがこの森は『迷いの森』とまで呼ばれている場所だ。ほぼすべての樹木がドリュアードと考えていいだろう」

「ドリュアードっていうのは?」

「ドリュアードは樹人とも呼ばれる種族だ。エルフとの付き合いはフォンギアと次いで長い。基本は不死で、長い時を経て大きくなる。だがまぁあまり意思疎通はできない。葉のざわめきや枝を撓ませて会話をすることが多いが、実は言語も話せるんだ。人形のような『実』を作って暫くの間生活させることもある。噂では何百年と世界をさまよっているドリュアードの子もいるらしい」

 滔々と語るクラウは普段通り、落ち着いたものだった。

「彼らは子を作る際に、その『実』に根を下ろさせることが多い。勿論普通の、何でもない果実を落とすこともあるし、そこから増えることもある。そしてその実も、自らの体も、ある程度自由に移動させることができる。歩き方を人の似姿を作った実に学ばせることもあるくらいだ」

「……あ」

 ハーラが頬をひきつらせた。ゼルクはまだ解っておらず、首を傾げていた。

「……なるほど。解りました。私は納得です」

「うん。つまり、この森に住まうのがドリュアードばかりであった場合、彼らは勿論、ある程度歩くことができると考えられる。違う場所に根をおろせば違う個体になるが、根が繋がればドリュアード同士情報を共有できるんだ。そうして大きな森を作った時、その森全体がドリュアードであることだって考えられる。勿論そうなるには百年や二百年以上の時がかかるのだろうけど」

「……」

 ゼルクは暫く押し黙り、視線を森へと向ける。樹齢果たして何百年かという無数の樹木が聳え立っている。

 それら全てがドリューアドであったと仮定するのならば。時間をかけて歩くことさえできる、強い個体であるのならば。

 そしてからはっと目を見開いた。だとするのならば恐怖でしかない。

「この森全部がドリュアードなら、移動して形を変えることがある?」

「その通り。だから急ぎたい。我々はもう発見されている公算が高いんだ。そこいらの若木でさえドリュアードかもしれない。とはいえドリュアードの歩みはそれほど早くない。形を変えるにしても数時間は必要なはずだ。ここが迷いの森と呼ばれる所以だろうな。だからこそ、道を塞がれる前に行きたいのだ」

「退路を断たれるかもしれない」

「道全てを塞がれる可能性だってある。だからこそ今、だ。この日のうちにできうる限り前に進む。ドリュアードの情報伝達は遅い。距離を今の内に稼ぎたい」

 ここから先の道には速度が必要か。なるほど。ゼルクも納得した。

 準備もそこそこに森の中へと歩み出す。黒い糸を辿り、疲れた体に鞭打って。

 森が深くなるのに時間はいらなかった。こうなってくると森の中に恐ろしい獣はそれほどいない。深すぎる密林にはここにのみ適した生物だけが存在していた。想像と違って、見目恐ろしい獣などはそうそう住まわない。

 更に進むと背の高い樹に光を遮られ、視界さえも怪しくなっていく。大地は当然の帰結として泥濘と化し始めた。

 だが暗くなろうと黒い糸は見えている。闇の中に紛れることはない。足元は覚束なくとも、しっかりと前に進むことはできた。

「ゼルク、これを」

 言いながら、クラウから蔦を渡される。そこいらに生えていたものを適当に拝借したらしい。

 更にしっかりと腕と腰に巻きつけられた。その蔦をクラウとハーラが持ち、逸れることを防いでいた。

「これだけの森だとフォンギアもいるかもですね。ああいや、会ったことないんですけどね……」

 ハーラが語る。薄暗い闇の中でも普段と変わらない声は余りにもありがたい。

「さっきも聞いたけど、フォンギアって?」

「ドリュアードの遠縁、のようなものだ。私も実は会ったことはない。ドリュアードは少し縁があったのだが。菌糸――茸の類だよ。自らの意志で様々な種の姿を持つことがある。まあ全身菌糸で、そんな形を作るにも時間がかかるが。一年二年ではないぞ。そしてエルフはこのフォンギアに死体を投げ入れる習慣がある」

「へぇ」

 茸、菌糸類か。なるほど。ゼルクは納得した。寒村でも付き合いはある。むしろカビやキノコとは上手に付き合っていかねばならない。食えるものであるのならば栄養も豊富だ。

 森、特に腐った場所や湿った場所にはよく茸が生えており、大体は危険なものだった。勿論食べて腹を壊したことがある。食える茸は本当に見分けるのが難しいから二度とやるな、とオットーやクラウにはきつく叱られた。

「死体を投げ入れるって言う事は」

「そうだ。フォンギアは死体を喰らい、大地に還してくれる。そして彼らは茸だ。そうして少しずつ死骸を喰らい、やがて成長し胞子を放ち、同胞を増やす。自分たちより広域に広げていく。やがて彼らも栄養だけを残して大地に倒れ――そうしてそこはまた新たな命の土壌になる」

「悪い人たちじゃなさそうだ」

 ゼルクは笑った。当然の反応だった。森とて成長するだけではない。命は常に循環している。それをゼルクという少年はこの年齢で理解していた。

 植物は虫や動物に食われ、虫や動物は死して新たな土壌になり、また植物が生える。動物の死骸は埋めることで更に早く土になることも知っていた。疫病が流行った時には燃やして対処したが、それらの灰もまた時間をかけて土を育ててくれる。

 フォンギアはその死をより活用する生命というだけだ。より早く、より遠くに終わったものを持ち、運んでくれる。嫌悪感は余りない。

 そもそも死生観は各人、あるいは種毎にそれぞれ違う。長く付き合ったクラウとさえ、死生観を分ち合えないと実感していた。食事をするという意味ではゼルクでさえ死を喰らっている。だからこそ常に食事には感謝せねばならない。その食事となった者たちでさえ、嘗て様々なものを食って生きて来たのだから。

 進むうちに時間の感覚も薄れ、迷いの森をただゼルクの先導に従って進む。

 やがて僅かばかり、木の葉の間から漏れ入っている日の光明りを見つけ、そこで三人で腰を下ろした。疲労の色が余りにも濃くなっていた。気が付けば瓢の中身はほぼ空になっていた。

 木々の葉は揺れて騒めいている。ドリュアードが話しているのだ。ゼルクは何となくそう思った。クラウから授かった知識を疑うような習性を持っていなかった。そもそも木々の騒めきに微かな気配さえ感じている。何かからじっと見られている。そう感じた。気配は冷たくさえある。

「……西日だな。今日は休むか。ハルミルもある。明日には水が溜まっているよ」

 クラウはそう言って笑ってくれた。ありがたい話であった。水がなければ数日とて生きていけない。人間にせよエルフにせよ、それは同じだった。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

やがて辿り着いた場所。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。