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プロローグ_02

基本平和な人間です。

 ゼルクが村へと戻るころには、夕日が傾いていた。

 彼の住まう農村は大陸の北西、自由国家連邦の端にある田舎の村だ。

 特産品と呼べるものは紫蜘蛛の糸くらいなもので、それも他の村に比べて特別質がいいとか、量が多いという訳でもない。そもそも自由国家連邦の国の管理下にあるのかさえ、ゼルクは知らなかった。最も紫蜘蛛の糸については糸そのものの希少価値が高い為、十分に冬季の特産品と言えた。

 森から出て村へと向かうと、まず最初に目に入るのは粗末な木製の柵であった。森には獣も少ない数住まわっている。一応の防壁であったが、大して役に立つことはない。門扉に該当する箇所も、やはり粗末なつくりとなっていた。ただし門扉以外の場所には数カ所、落とし穴が仕掛けられているし、柵の向こう側には用水路にもなっている堀がある。

 門扉より村に入り、それほど広くない農耕地で働く人々に手を振る。既に日没も近い為か、僅かに残っている人々に元気に声を返された。

 農耕地で栽培されている作物は主にエルコーンとなる。二年に一度の収穫時期は雨季直前の弓の月が主であった。昨年の収穫の際には甘みが足りなかったと言われていたものの、ゼルクに解るものではなかった。十二分に甘いものであり、その後作として作られるホブトマトも十分に大きかったと思っている。

 農耕地を抜け、村の中央広場へと辿り着く。広場の中央には井戸があり、周囲に既に人影はない。時間次第では井戸から水をくむ子供や、その傍で会議をする母親たちの姿が見られた。

 広場の奥には備蓄用の倉庫があり、警備までついている。彼らは夜通し警備を行うのだった。寒村だ。食糧事情については非常に厳しい。管理体制は寒村なりに厳重に行われていた。

 警備員にただいまと挨拶をすると、おう、と軽い挨拶が返ってきた。当然のように顔見知りだった。

 倉庫は建物の中では特に工夫が施されており、地上に土台を作ってからその上に床を作っている。外壁には返しも造られており、鼠や虫の侵入を極端に防ぐための工夫がなされていた。小さいが、風を通す為の窓があるため、完全に防げているわけではない。補修と増築を繰り返しており、外壁には古い木材と新しい木材が入り混じっていた。

 倉庫の向いには立派とは言えないが練石づくりの建物がある。集会所となっている。ゼルクの足はそこへと向いていた。

 集会所は村人たちにとっては様々な作業を行う場所でもあった。井戸周りで遊ぶ子供や、それを見守りながら井戸端会議に勤しむ婦人たちもいるが、流石にそんな場所で細かい作業まではできない。特に糸紬は主に集会所で行われていた。紫蜘蛛の糸を紡ぐには専用の道具が必要であり、その為の道具も残っている。

 紫蜘蛛の糸もここに保管されており、人がいれば水か湯の一杯くらいは出してもらえる。とはいえ既に西日も傾いている現状、大半の人は家に帰り夕餉の支度と共に、眠るための準備を始めているだろう。期待できそうにはなかった。

 集会所には他にも、細やかな祭りの為の神具や衣装、いざというときには避難所として機能させるため、多少だが備蓄もある。こちらの方は倉庫ほど厳重な警備はされていないが、当然盗んだりすれば酷い罰が待っている。狭い寒村だ。誰もが助け合って生きなければならない。

 集会所の扉を開く。鍵などは無い。基本的にはいつでも、誰でも入れるようになっている。

 集会所の入り口から正面には扉が据え付けられている。扉の奥は便所であった。木製の便座が据え付けられており、中央に穴が開いているだけの粗末なものである。一週に一度、中身を汲み出し清掃を行っていた。中身は近くにある河川の下流へと流される。

 便所の隣には二階へと続く階段があった。その先には広いだけの部屋がある。

 糸紬の道具や壊れかかっている木製の農具、藁座が纏めて置かれている。外へと続く木戸は完全に開け放たれており、農耕地がよく見えている。寒々とした空気が入り込んでいた。紫蜘蛛の糸だけは丁寧に箱に収められ、部屋の隅に纏められている。

 集会所には二人いるのか、談笑が聞こえてきた。

 藁座を敷いて、縁側に腰掛けている初老の男性と若い男性がいた。木戸の柱に背を預け、ぼんやりと農耕地を眺めて何事かを喋っている様子だった。ゼルクが入ってきたのに気が付いた様子もない。当然、2人とも既知の相手であった。二人の横には木の器があり、水が入っていた。

「クラウ兄さん、それに村長」

「おや、ゼルク。お帰り。紫蜘蛛かい?」

 明るく声をかけると、クラウと呼ばれた人物が振り向く。村に住まう若者の一人だが、少なくともゼルクよりも背が高く、成熟した雰囲気を伴っている。

 耳が鋭く尖っており、更に顔には刺青にも似た模様が入っている。耳は少なくとも人ではないと断言できる特徴であった。

 亜人、かつてはエルフと呼称されていた。自由国家連邦においては未だにエルフの呼称が許されていたが、帝国を主とした三国ではその呼称が許されていない。

 エルフの顔の墨は産まれ付きの模様であった。僅かな違いはあるが、額には瞳のような模様があり、両頬に一本から三本の線が入っている。クラウの場合は左の頬に二本、右には一本の線があった。色は髪の毛と同じ、黒であった。大体は髪の毛の色と同じになるらしい。

 エルフは整った容姿をしており、彼も例外ではないが、入った墨のせいで同族以外には敬遠されていた。付き合いの長さが緩和してくれる話ではあったが、エルフたちも好んで弁解しようとはしないのだった。

 漆喰の美しい髪の毛は腰まで伸びており、動きやすい服装をしている。手首、足首まで隠されている長い服装は、村人がよく着る麻のものであった。

 特に着込んでいない。寒い、暑いという感覚に鈍感であるらしく、雪が降る最中であろうと炎天下であろうと似たような恰好をしていた。これはエルフに備わった特性という訳ではない。事実、この村には他にもエルフが2人住んでいるものの、その2人とも夏には薄着であり、冬には厚着をしていた。

「おー、お帰りゼルク。今年は天候に恵まれたな」

 隣に座っていた初老の男性もすっとぼけた笑顔を浮かべてゼルクに手を振った。それらを見てからゼルクは懐から糸巻きを取り出す。

 本数は少ないのだけどね。ゼルクは笑う。年相応のあどけなさを備えていた。

「貰っていいか、ゼルク」

「どうぞ」

 ありがとさん。軽く返事をしながら腕を伸ばし、それを手に取る村長。糸のついた棒を天に翳し、矯めつ眇めつ眺める。

「ほぉ、巣二個ってところか? 今年は天候に恵まれたなぁ。他のと合わせりゃ糸十本くらいはできそうだ」

「オットー、楽観的だが――」

「解ってる。補修に使う分は残しとくよ。もっと渡してやりたいところだが……ま、自然にゃどうやっても勝てんわなぁ」

 オットーと呼ばれた初老の男が肩を揺らして笑い、立ち上がる。

 髪の毛は白く染まり切っているものの、額が広がる気配はない。全て後ろでまとめており、首元で縛ってあった。髭も丁寧に処理されており、無精髭も殆ど生えていなかった。顎付近にだけ剃り残された髭が残っており、そちらも白く染まっている。目鼻立ちは鋭く、やや掘りも深い。だが、どこかぼけっとした表情は、人の持つ感情の幾つかをどこかに忘れてきたようでもあり、威圧感を与えない。

 洗われてはいるものの、薄汚れた白衣を纏っている。この村では二人しかいない医者であった。病ばかりではなく薬草、治療方法にも詳しいため、村民の尊敬と信頼を集めている。彼が村長に選ばれた時、反対したのはオットー本人だけであった。余所者だぞ、という本人の声が完全に封殺されたのは未だ笑い話として残っている。

 齢は六十五。村に住まう人間では最も老齢であった。食生活には気を使っているし、一日一つは卵を食べるようにしている。村では少ないが牛や馬、鶏の放牧も行っている為、卵自体の入手は難しくない。それでも子供に優先して回される卵を彼が得られているのは、それだけの人望があるからに他ならない。

「それこそ全くだ。例年通りなら、こういう年の雨季の降水量は多くなりがちだ。対策を考えておいた方がいい、村長」

「そりゃ怖い。ま、灌漑水路も増やしたいところだし……考えておくよ」

 オットーは笑いながら農耕地を見やる。

 村長の務めとして、彼は寒村周りの事情や住まわっている者たちの事をある程度把握していた。河の近くに村が建てられているのは当然だが、河川周りに然程の工夫は施されていない。洪水が起きて村が危機に晒されたことも少なくなかった。当然、水回りの課題は多く残っている。

 だが完全な整備など不可能に近い。人手不足は深刻だ。明日のことさえ解らない以上、まずは目の前の命を繋ぐのが当然と言えばそうだった。


ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

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