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プロローグ_01

それではこれより本編です。

基本は毎日投稿の予定。

「君の眼は宝石のようだな」

 そんな誉め言葉が未だに印象に残っている。穏やかで落ち着いた、少し枯れたような声。背は高く、竜を模した白い杖を握っているのは覚えている。

 けれども顔は覚えていなかった。深くフードを被っていて、最初から見えなかったのかもしれなかった。

「もしも、その眼で」

 そして続く言葉も、未だに夢に出るほどに覚えていた。

「その眼で黒い糸のようなものが見えたら迷わずに追いなさい。それが君の運命になる。ただし、その運命をどう活用するかは君次第だ」

 大きな手で頭を撫で、遠くへと去っていく。その背中を、なんとなく少年は見つめていた。

 特別な何かがあった日ではない。

 晴れ渡った空に陽光が燦々と降り注いでいたはずだが、風の匂いも温かさも何ひとつ覚えていない。

 けれど、声と言葉だけは驚くほどに記憶に焼き付いていた。


 寒い時期にしか姿を見せない紫蜘蛛が木々の間に糸を張っている。

 糸は頑丈だが人や鳥が触れて解れない強度ではない。けれども哀れな羽虫たちが幾匹も捕まっており、まだ羽ばたき巣を揺らしている個体もいた。同じく寒い時期にしか現れない雪虫が主であった。

 幸い、鮮やかな紫と白の縞模様を持つ巣の主は姿を見せており、ゆったりと雪虫に近づいていた。食らうにせよ糸で巻くにせよ、その場から動く気配はない。今のうちなら静かに糸を回収できそうだった。

 ゼルクは服の内側から糸巻きを取り出し、厚手の手袋を外した。蜘蛛がいる場所から最も離れた糸を手で外し、糸巻きで巻き取っていく。普通の蜘蛛の糸に比べ、糸は頑丈であった。巻き取るのに苦はない。冬季を生きる為に紫蜘蛛自体も工夫を凝らしているのだと教えられていた。

 微かな紫色が付いたこの糸は、集めて撚れば細工糸となる。光の加減で色彩が揺らめき、特に貴族のドレス装飾に重宝された。他にも帽子や手袋の模様として用いられる。

 冬季にしか現れず、個体数も決して多くない紫蜘蛛は、人や亜人にとっては少量の毒をもつ。刺されると腫れは一週間は引かない。子供であれば泣き叫ぶ程度の痛みもある。

 危険な相手だが、美しい糸は農村に住まう者たちにとっては冬季の貴重な財源の一つであった。ただし臨時収入に過ぎず、雨や雪が降れば巣は台無しになる。紫蜘蛛の養殖も試みられたが、成功例は聞かなかった。

 新女神歴三一八年、剣の月二十五日。

 新年の祝事も終わり、人々は日常へと戻っている。祝儀の為都市へと出ていた者たちも農村へと戻り、日々の糧を得るための仕事へと戻っていた。冬季における仕事はそれほど多くないが、今年は天気にも恵まれている為か、例年よりは仕事があった。

 雨や雪が多い冬季は仕事などないに等しい。雪解けの気配が訪れる春先まで、それぞれ家の中で生き残るのが仕事だと言えた。雪中で狩りを行うこともあるが、獲物は殆ど期待できない。

 蜘蛛の巣の縦糸を四本回収し、そこで回収をやめる。全てを取れば量は増えるが、紫蜘蛛は希少な種だ。巣を壊さず残せば、また新しい糸を張ってくれるかもしれない。希望的観測ではあった。

 残った巣に服についた雪虫を数匹捕まえ、ひっかけておく。礼のつもりであった。礼を尽くせ、とは彼の親の教育に他ならない。厚手の手袋をつけなおす。

 森の中を進むと、開けた場所に出る。温かな陽の光が差し込んでおり、緑の広場のようになっている。村では有名な森の休憩所であった。かつて開拓者たちが意図的に木を伐り、憩いの場としたのだという。

 ゼルクは目深に被っていたフードを外し、適当な切り株に腰を下ろす。降り注ぐ陽光が、彼の瞳の色を複雑に彩る。

 未だ幼さを残す容姿をしているが、端正な顔立ちは将来の美貌を予感させる。灰白色の髪の毛は雑に短く切られており、首元がはっきりと見えていた。

 眼は大きすぎず、だがよく開いていた。眉は目の真上に綺麗についているが、やや細すぎて眼の大きさを強調している。鼻も整っており、高すぎず大きすぎない。口はやや小ぶりだが、顔の大きさを考えると相応しいと言えた。耳の形が僅かに歪んでいるのだけがやや惜しいと言えた。

 それらの形の良いパーツが小さな卵のような顔に丁寧に配置されている。ただ鼻と口の距離がやや開いており、間の抜けた印象があった。

 最も特徴的なのはその瞳だった。虹彩に奇妙な輝きが宿っており、見る角度によっては虹のように様々な色を見せ、星のようにも、宝石のようにも映っていた。その瞳を一番よく褒めてくれた父は既に亡くなっている。

 嘗て自由連邦国家では一端の騎士であったと聞いている父が死んだのは、この村にやって来てから獣に襲われたためだった。無論のこと普段ならば遅れは取らなかっただろうが、その場には村の子供が二人いた。死体は回収されたが、その大半が獣に食われていた。

 懐にしまい込んだ糸巻きを取り出し、陽光の下で矯めつ眇めつ眺める。微かについた紫色は細く、本数を数えるのも難しい。集めているのはゼルクだけではないので、糸一本分くらいにはなるだろう。それらの糸を自分たちに使うのではなく売り捌く、というのが彼としては面白くない気分であった。

 産まれて以来、祝事や祭事以外で村を出たことはない。それらの祭事には必ず、と言っていいほど自分たちが生涯着ることない着物や装飾品が山とあり、高級なものには微かな紫色の刺繍があるものもあった。祝事の主が袖に様々な色で文様を描いていることさえある。

 それらを見るたびに大人たちは誇らしい顔をするが、ゼルクには今一つ理解できなかった。彼らがそれを採る者たちの苦労について語ったことを聞いたことがない。ただ美しいでしょうと、自らを着飾り、その飾り方を相手と比べているに過ぎない。その為ならば何を犠牲にしても善いと思っているのだ。

 代価として支払う金は無論見合っている。だが、見合っているだけだ。金さえ積めばどんなものでも手に入るわけではないと知らないに違いあるまい。

 では、どうしてほしいのか。そう聞かれるとゼルクには答えようがなかった。ただ胸の内が妙にきしみ、面白くない。ただそれだけの話だった。

 大きく嘆息し、立ち上がる。

 暗いことをいくら考えても無駄だ。現実として、自分たちでよくできることには限度がある。田舎住まいの自分たちには、結局のところ誰かの恩情に縋って生きるしかない。彼の住まう農村のことを考えれば尚更にそうなる。否、むしろ平和に生きている今こそが誰かの恩情に過ぎない。

 空は晴れ渡っていた。抜けるような青空の向こうには幾らかの白い雲が見えている。近々天候は悪化する、と村に長く住まうエルフが語っていたのを思い出した。晴れ渡る空にはそれらの兆候は見て取れない。だが天候に関して長く生きるものが間違えることなど、一年に一度か二度、しかも唐突な変化の時だけだ。信用してもいいだろう。

 空には微かな黒い糸――のようなものが薄らと見えている。村の誰にも見えていないその糸のようなものは、彼が幼少の折より時折見えているものである。

「んァ……」

 ゼルクが軽く唸った。嘗ての言葉を思い出し、顔を歪める。

 その眼で黒い糸のようなものが見えたら迷わずに追いなさい。それが君の運命になる。

 当然、追うようなことはできない。

 運命よりも明日の糧と生活。何より、家族や友を捨ててまで追いかける程のものでもない。村での若手は彼を含めても十名を超える程度しかいないのだ。いなくなればどうなることか。彼はまだ十四歳の少年に過ぎないが、未来を憂う程度の想像力は持っていた。

 実際に寒村に未来はないと見限って出て行くものは多い。だがゼルクは出て行くつもりはなかった。

 殊勝な理由があるわけではない。ただ単純に、ここを出ても生きる術などないに等しいからだ。街に出たところで稼げる手段なりが無ければ結局のところ野垂れ死にだ。自らに何らかの特技があればいいとも思うが、そのような技術を身に着けられる生活もしていなかった。

 何より現実的に考えてこの村を離れることはできない。貧しい暮らしだった。自分がいなくなれば果たして母はどうなることか。父が死んでから、母は朝な夕な働いてくれている。ゼルクが手伝える年齢になってからは多少余裕もできたようだが、それでも必死になって彼を育ててくれた恩義は裏切れない。それはこの村全体に対しても同じようなものだった。

 詰まる所積極的であろうと消極的であろうと、村を離れる理由が思い当たらない。行く先が野垂れ死にか、事故死か老衰か。その程度の差しかないのならば選択せずともいいだろうとさえ考えている。

 冬季は日が暮れるのも早い。この日、見つけられた紫蜘蛛の巣は結局二つだけだった。

ここまで読んでいただきありがとうございました。

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