燃える世界
火災は森の側にまでは広がっていない。農耕地が広がっており、村側には殆ど作物が無い上、水路もある為、火の勢いが弱まっている。
それでもこの勢いで火が広がれば、農作物は全滅だ。収穫はまだ先だったが、既に根付いてはいたはずだった。森の側には背の高い農作物もある。色々な思いが胸を過った。ここでも色々なことをした。色々な人と過ごした。頬が痛い。
アエリア達の姿はその先で見つかった。捕えられている。ハーラと分断されており、彼女も素手で夜盗と向かい合っていた。アエリアは震えながら子供を抱きかかえていた。子供たちは恐怖に泣いている。当然の反応だった。獣に襲われたときはゼルクでさえ涙した。
火に照らされたアエリアの顔が見えた。頬が赤く腫れているようだった。泣きはらした跡もある。ゼルクの頭には血が昇るが、すぐに夜盗の体勢に目を移した。こちらを見ていない。ハーラの側を見て何事かを警戒している。
「――っ!」
地面にある石を拾い上げ、ゼルクを見ていなかった夜盗に投げつけた。狙いは違わず、夜盗の肩に当たった。投擲には慣れていた。
夜盗たちはよく見れば覆面さえ被っていない。装備も軽装だ。機動力を重視している。
「ってぇ!? なん――ガキ!」
「ゼルーーこのっ!」
「うっわ!?」
即座に反応したのはシジーとアエリアだった。足元に体ごとぶつけ、夜盗の体勢を崩す。アエリア達にとって頼れるのはハーラであった。二対一では勝ち目などない。倒れた夜盗を見て、もうひとりの夜盗が一瞬だけ視線をそらした。
致命的な隙。即座にハーラが動く。足を強く踏み込み、夜盗に向かって殴りかかる。
だが夜盗の対応は早かった。積み重ねられた鍛錬が垣間見える即応。手に持った剣が空間を滑らかに滑り、ハーラの腕へと迫る。甲高い金属音が響き、剣が受け止められた。
「!?」
「んーーがっ!」
ハーラが気を吐き出しながら相手を殴り飛ばした。一瞬よろけた瞬間には追撃が入る。剣を受け止めた金属の小さな棒――ペンを構えて相手に突き出す。額を吹き飛ばし、相手の上体を大きく揺らす。踏ん張ることさえできず夜盗の体が仰向けに倒れた。
「ダルク! テメェ等放せオラァ!」
「ぎゃん!」
「シジー!?」
アエリアとシジーに倒された夜盗が、シジーの顔を蹴飛ばし拘束から抜け出す。アエリアはシジーの体を受け止めていた。
ハーラの動きは早かった。倒れこんだ夜盗の手首を踏み抜き、骨の音が響く。だが夜盗が拘束から脱したと知るや否や、もう一人の顎を蹴り上げた。頭が危険な勢いで延ばされる。色々なものが飛び散った。蹴りの勢いのまま体を反転させ、素早くもう1人から距離をとる。大きく弧を描いて走り、アエリア達の前に立った。
エルフは決して暴力的な種族ではない。ゼルクはそれをよく知っている。だが暴力の振るい時を知らないほど愚かでもなかった。
「ダルク! 耳長、よくも!」
「うるっさいなぁ……! 村を焼いといて被害者ヅラしてんじゃないよ!」
ハーラが叫びながら手の中でペンを弄んだ。ああ、くそ。剣を奪っておくべきだった。扱い方は基礎しか知らないが、少なくともペンよりはマシだっただろう。
「クソ……念のために持って来て良かったぜ。ダルク、後で隊長に謝れよ、テメェ」
ぶつぶつ呟きながら懐から何かを取り出し、ダルクと呼ばれた夜盗の頭に振り掛けた。液体だというのは解る。
驚愕はその直後に起きた。砕かれた顎と首が元に戻る。逆回しのような速度だった。ダルクが一度大きく呼吸をし、息を吐きながら立ち上がる。
「――は? 聖水? 自由連邦にあるわけ……密輸――クソ、アンタら自由連邦の人間じゃないな!?」
ハーラが本気で困惑し、叫ぶ。本来ならばここにあってはならないものを使っている。それだけは解るが、ゼルクには何も解らない。
ただ急いでアエリア達と合流し、涙と鼻血を流しているシジーの頭を撫でた。よく頑張ったな。その一言で、シジーはまた大粒の涙を流してゼルクに抱き着く。皆が泣きながら、それでも嗚咽を漏らしていなかった。皆々必死だった。
「すまん。流石に右手までは量が足らねぇ」
「いや、本気で助かったよ。……後で隊長には謝っておく。心底油断した。あれは帝国産だな」
「は、耳長にわたるとは中々――世も末だ」
ダルクが笑いながら左手で剣を拾う。右腕を負傷しているとはいえ、夜盗が二人道を塞いでいる。旗色は悪い、どころではなかった。それどころか子供たちにとっては当然恐怖の対象でもある。今現在泣き喚いていないだけでも奇跡に等しい。
「にーちゃん……」
「大丈夫だ。どうにかする」
鼻血と涙でべたべたになった服装など気にも留めず、ゼルクはシジーを離す。
立ち上がると、皆は一緒になって立ち上がった。シジーは体調が悪そうだったが、それでも足元は揺らいでいない。走ることはできるだろう。
「失点は自分で取り返す。あちらは任せろ」
「……俺、子供好きなんだけどなぁ」
ダルクは片腕一本で剣を構え、ハーラを相手にするように構え、一度空を裂く。瞳には一切の油断はなかった。もう一人の夜盗は少しだけ距離をとり、子供たちに向かい始める。
彼らは子供を殺すつもりはない。それは解っていた。少なくともネガトも、ネムも殺されていない。シジーも蹴られてはいるが血が出る程度で済んでいる。それで許せるかどうかは別問題ではあった。
ダルクが一切の前動作をせずに駆け出す。足を踏み出したと見えた瞬間、膝から力を抜いて前傾姿勢となり駆け出す。その動作がゼルクには全く見えなかった。自然な動作の一つとして、ダルクはその動きを収めている。
「――ううぇぁ!?」
振るわれた剣をどうにか回避するハーラ。もしもこの場でダルクが万全であったのならばハーラは切られていただろう。左手一本、薙ぎ払いの一撃。それが予測できていたから彼女はどうにか後ろに跳ねて回避できた。ゼルク達もそれに合わせて後ろに下がらざるを得ない。
もう一人がハーラとゼルク達の間に入る。剣を一度振るってゼルクたちを更に後ろに下げた。ハーラを狙ってはいないが視線だけは彼女を見ている。分断することが目的か。ならば――。
「動くな」
ゼルクが踏み込もうとした瞬間、遠くから声が聞こえた。そして鋭く空気を裂く音。飛来した矢を、夜盗は間一髪で回避する。
だが最初の一矢が回避された、その時には既に次の矢が放たれいる。達人の連射、そのものであった。
夜盗も達人だった。急所に左腕を差し込み、無理やり受け止める夜盗。矢は左腕を貫通するが、幸いにしてそれたのか顔面には当たらず、頬を掠めるに留まる。けれどその体は大きく飛んだ。矢の勢いを殺す為、自分で跳ねたのだった。
「ぐぅ、あっ! ……っでぇええええええええ!」
「クラウ兄さん!」
「信じられない。獣でも反応できないぞ、今のは」
いつも通りの穏やかな声で呆然と呟きながら、クラウが現れる。背の高い農作物の影に隠れていたらしく、泥が服に付着していた。弓を番え、矢筒を構えている。
だがハーラとは完全に分断された。ダルクが左手一本で剣を振るいながら、彼女を誘導していた。既に農耕地に入っている。剣を振るいながら追い立てていた。
「っだぁあああああ! クッソ! どっからでも湧いてくるなお前たちは、実はソムニアかなんかか!? い――ってぇ!」
木製の矢を剣でへし折り、無理やり引き抜く。それでも暫く左手は使い物にならないだろう。完全に腕を貫通していた。
「ではゼルク。皆を連れて全力で走ってくれ。できるか」
「やる」
「よろしい」
クラウは普段通りの、森を歩く時の口調で静かに告げた。ゼルクもそれに迷いなく応じる。
後ろを振り返り、子供たちがそこにいることを確かめる。他の大人たちはどこに行ったのだろう。いつの間にか、絶叫が止んでいることに気が付いた。炎がはぜる音は嫌に高く聞こえ、心臓は割れんばかりに早鐘を打っている。奇妙な耳鳴りが静寂を埋めるように響いていた。
恐怖に全身が震えそうになる。もれそうな声を噛み殺し、唇が妙な形に捻じ曲がった。
「アエリア。俺が駆け出したら一緒に」
「――解った!」
必死に抑えた声と共に呟いて、クラウが矢を番えるのを見やる。夜盗が舌打ちをした。
矢が放たれた。それを嚆矢として、ゼルクは駆け出した。子供たち全員が一斉に駆け出し――横合いから蹴りつけられ、地面を転がった。当然子供たちはいっせいに踏みとどまる。
「ぎ、ぃあっ――!?」
「手練れが数名いたか」
「げ――隊長」
「ゼルク! ぐっ!?」
「ゼルク!? クラウさん!」
現れたのはやはり軽装の戦士だった。アエリア達をけん制するように立ちはだかり、子供たちを黙らせる為か一睨みする。荒事を日常とする者特有の、余りに鋭い眼光であった。
躊躇なく剣も振るわれ、傍にいたクラウが飛び去る。振るわれた剣は弓の弦を断っていた。
咳をしながら立ち上がる。蹴られた箇所がやたらと熱い。骨くらい折れているかもしれなかった。涙があふれるが絶叫は堪える。また分断された。その思いが強い。
「げ、とはなんだ。態々救援に来てやったんだぞ」
「ああいやなんでもないですありがとうございます。ガキや亜人の相手なんて、と舐めていました」
「……ダルクがいる以上、油断は無いと思っていたが。おい、それに殺すなとは言ったがな」
隊長と呼ばれた彼は言いながら拳を振るう。
「ぎゃ――んっ!?」
「意識を失わせるくらいならやってもいい、と、その程度の想像力は働かせろ」
拳は狙い違わずアエリアを直撃した。鈍い音がする。彼女は頬を殴り飛ばされ、そのまま倒れる。子供たちが一斉に駆け寄る。皆もう一人で動けなくなっていた。誰もが大粒の涙を流していた。悲鳴を上げないのは許容範囲を超えているからに過ぎない。ただ震えることしかできない程、追いつめられていた。
だが、ゼルクは。
「――ぁ」
殴られたアエリアを見て。
倒れる彼女を見て。
何も躊躇わず、隊長と呼ばれた相手に駆け出していた。
「ゼルクよせ!」
「ぁあああああああああああああああああ! うわあああああああぁああああああああああ!」
何一つ意味のない絶叫をあげながら夜盗の隊長に掴み掛かっていく。
「もしくは足が残っていればいいだろう」
だがそんなゼルクを睥睨して、隊長と呼ばれた彼は腕を振るう。
音はなかった。一瞬、ゼルクの視界から色さえ消えた。そう錯覚した。
生肉が落ちた音が、妙に響き渡る。ゼルクの体がふらりと傾ぐ。蹴り飛ばされ、地面に転がった。痛みはなかった。衝撃だけがあった。
「あ――あ――?」
何が起きたのか理解ができなかった。
倒れる際にどうにか腕をつこうとしたが、地面に触れさえしない。失敗して無様に倒れる。妙な痛みと痒みが走った。
地面を掴めなかった腕を見る。
腕があった箇所からは心臓の拍動に合わせて血が飛び出ていた。聞こえるはずのない、妙にねばついた水の音が嫌に耳に響く。一拍遅れて、広がる炎を超える熱量がその場所から広がって来た。
その頃になってようやく、ゼルクの視界が現実を捉えた。右腕が無くなっていた。
「――ぎゃぁああああああああl? うで――うでぇえええええええええええええええ! がぁあひ――ぃいいいいいいいいいい!」
亡くなった腕を抱えて蹲る。襲ってくる激痛にただ喚き散らかすことしかできない。
「腕の一本なら歩くのに問題はない。だろう」
「いやぁ、俺子供好きなんですよ……」
「……まあ……そういうこともあるか。いや、だったら、猶更ガキどもの意識を飛ばせ。悲劇なんて見せるもんじゃない」
慣れ切った様子で軽い会話を交わす二人の夜盗。クラウがゼルクに駆け寄る。体を抱えながらその場を離れていた。ゼルクはそうされたことさえ解らなかった。
ハーラが農耕地から飛び出て来た。ダルクがそれを追う。倒れるゼルクと、隊長を見て納得したような頷きを見せた。目立った反応はそれだけだった。
「っ――ゼルクくん!?」
ハーラがゼルクの姿を見て思わず目を見開いた。致命的な隙となった。振るわれた剣が、ハーラの足を薙ぐ。深い傷が一つつき、倒れこんだ。
「ぎぃっ! くっ……!」
「亜人は殺しても」
「ああ、別――うぉっ!?」
ダルクの満足気な言葉に、隊長が頷こうとした瞬間、また矢が飛んできた。クラウではない。彼はゼルクの止血に忙しかった。夜盗たちも子供を殺すつもりはなく、止血を止めるつもりはなかった。
やってきたのは弓を構えた老エルフだった。肩で息をしており、あちこちが焼け焦げている上、傷だらけだった。だが目だけは戦意を伝えている。
「げぇ、老長耳! ちょっと隊――ちょぉっと!?」
夜盗の一人が文句を上げたところに、更にガリラルが背後から奇襲した。彼は剣を携えている。夜盗から奪ったものだった。
どうにか受け止め、致命傷は避けるものの、腕一本で受け止められず態勢を崩す。ガリラルが鋭く叫んだ。
「クラウ! ハーラ!」
「――申しわけない! オーラ、ガリラル! ハーラ、行けるな!?」
「しょうがない――かぁっ! ゼルク君をお願いします!」
素早く足の傷を縛り、頼りないながらもハーラが立ち上がった。ダルクと隊長が剣を構えた。オーラが鋭く二本、続けざまに矢を放つ。熟達した腕前であった。
「仮にもあの戦争の生き残りだ。簡単に奪えると思うな、クソ夜盗ども!」
「ちっ――」
隊長が舌打ちする。ハーラがダルクに蹴りかかり、クラウがゼルクの肩を担いで走り出した。ゼルクは呻きながら足を動かしていた。混乱していて現実感などどこにもない。ただ、昔同じように走っていたということを思い出していた。マイトと一緒に足を縛って走ったこともあったっけ。
クラウとハーラは柵を超え、森へと飛び込む。追おうとしたダルクはガリラルが止めていた。オーラは再度矢を番えている。
かくして村は火の中に消え去り、ゼルクはクラウとハーラに連れられ、村を去った。幸運ではない。全てを失い、命も失いかけている今、何も幸運などない。ただ全ての不幸が一夜にして村を覆った。そして寒村の最後など、そこに住まうもの以外は誰一人として気にも留めない。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。




