変化した日常_02
「どうしたの? マイトは?」
「……いなかった」
「はぁ?」
「誰も――ああクラウ兄さん、マイトが――いや、ミールも、ファウラさんも、メルウさんも、誰もいない。家が、からっぽで」
「……何?」
燭台の煤を掃う手を止めて、クラウが眉を潜める。ゼルクは不安そうにクラウを見ていた。僅かに震えている。
信じてもらえるかどうかがまず不安だったが、何が起きているか解らないのも不安だった。
「あんた何言ってんの?」
「本当に誰もいないんだって! お前も見て来いよ!」
「落ち着け、ゼルク。君のことを疑ってはいない。そんな悪戯をする子でもないからね。――まずは私が見てこよう。ゼルクは白湯でも飲んで落ち着いていなさい。火の番を頼むよ」
言いながらクラウは木の器に注いだ白湯を差し出してくれる。片付けられていない舞台の上に座り、ゼルクは言われたとおりにそれを飲んだ。あたたかい白湯は、少しばかり気分を落ち着けてくれる。
だが手はまだ震えている。果たして何が起きているのだろう。ミールとマイトはどこに行ったというのだろう。何が起きているか解らないという不安が、只総身を駆け巡っている。
「ゼルクにーちゃん、もうきゅうけー?」
「つかれたー?」
「ん、ああ――ああ、いや、そうだな」
子供たちが不思議そうに寄ってくる。言葉を上げない子も含め、皆がゼルクに集まってきている。
確かにまだ作業を始めて間もないくらいの時間だ。日も高く昇り始めている時間。確かに休憩には早すぎる。動いていたほうが気が紛れるかもしれない。そう思ったが、その前に声がかかった。
「昨日も色々あって疲れてんのよ、アンタらみたいに体力無尽蔵じゃないの。解ったらラドさんたち手伝ってきてあげて。行商さんのお店も沢山だから」
「はーい!」
「はーい!」
元気に返事をしながら子供たちは去っていく。アエリアの気遣いが、正直ありがたかった。アエリアとしても聞きたいことがあったのだろうことは解っているが、今は騒がしくする気分ではなかった。混乱は未だに収まっていない。
「ゼルク……さっきのって」
「……本当だよ。疑うなら見て来い。誰も……いなかった」
「――誰も……」
アエリアは不安そうに俯く。
これまで村には幾らかの不幸があった。そのどれも、村人たち総出で解決してきたものだった。その際に命を落とした者もいる。
だが、村人が失踪するというのはこれが初めてだった。少なくともゼルクの知る限りは。それも一家総出で。
アエリアはぱっと顔を上げて辺りを見回す。ゼルクが疑問符を浮かべると、不思議そうに首を傾げた。
「そういえば……あの行商さんたちも居ないね」
「――ああ、そういやそう……だ」
昨日新しく来た行商が、いない。ディアゴ。なぜすぐに結びつかなかったのだろう。
ゼルクは悪意というものには疎い。それは穏やかな田舎で過ごしてきた者である故の弊害でもあった。無論のこと、それは決して悪いことばかりではない。それでも事象同士を結び付けて考えると、どうしてもまず誘拐という想像が出てくる。
「攫われた、んじゃないか?」
「ええ……? なんで……?」
「なんでって――」
少し考えてみるが、何も出てこない。ゼルクは悪意や犯罪というものは不勉強だった。無理もない。田舎の村だ。ここには本当に何もない。
答えに詰まっていると、クラウが戻って来た。難しい顔をしている。
「ゼルク。よく知らせてくれた」
「あ、クラウ兄さん……」
「クラウ兄さん、本当に?」
「誰もいなくなっていた。すぐに皆と話し合う。ゼルク、片づけを続けてくれ――大丈夫だ、何も変わりはしないよ」
「クラウ兄さん、あの行商の人たちもいなくなってる。誘拐とかじゃ……」
「ん、いや、誘拐は考えづらいな」
ゼルクの言葉を、クラウは苦笑気味に否定する。
「家は綺麗だった。特に争った形跡もない。つまり悪意を持って襲われたわけではない、ということだ。そこは少しばかり救いがある。だが」
だが。そこでクラウは言葉を切った。ゼルクはそのすぐ後を想像できた。
だが、そこに悪意が無いのならば、いったいなぜ。いや、あるいは。ゼルクの脳裏に嫌な想像が浮かぶ。
「……この、この村は、いい場所だよ。クラウ兄さん」
「――君は本当に聡いな。ふふ、私は君が誇らしい。この村にいる誰も、君たちが健やかに育つことを願い、それを誇っている」
だからどうか安心しておくれ。クラウはゼルクの頭をなでながら、ゆったりとした動作でその場を離れていく。
去る直前のクラウの顔は、やはり難しい顔をしている。だが何事か知っているのか、足は確信をもって踏み出されている。
「ゼルク? ねぇ、さっきのってどういうこと?」
「……もしかしたら、ファウラさんたちは自分たちの足でここを去ったんじゃないか、って思ったんだ」
悪意はなく、争った形跡もなく、家は只静謐に包まれていた。慌てていたのか家具は殆ど持ち出されていなかったが、それ以外に不自然な点は一つもない。
そうだとするのならば彼らは自ら出て行ったことになる。家族総出で。
「……え、なんで?」
「……それこそわっかんねぇ……」
ゼルクは小さく吐き出した。白湯を飲み干して、器を傍に置く。
クラウは何かを知っている様子だった。そして彼の足はオットー宅へと向いていた。なら、一度話を聞きに行くくらいはいいだろう。
「あ、どこ行くの?」
「村長のところ」
「私も行く」
ゼルクとアエリアは子供らしい浅慮のままに駆け出す。
未知の不安や恐怖というものに対してなんらかの回答を欲しがるのは余りに子供らしく、決して責められるべきことではない。ただ今回は時と場合が悪かった。クラウの背がまだ見える範囲にあるというのも運が無い。
二人は駆け出す。子供ではあったが田舎で元気に暮らしており、健脚だ。村長宅に辿り着く前にはクラウに追いついていた。村長宅には何事か、村人の大半が集まっている。その中にはガリラルの姿もあった。クラウが異常に気が付いたのか、ゼルクが声をかける直前で駆けだす。
「問題ですか、ガリラル。こちらも問題です。月末には送別会を開く予定だったのですが」
「重なるな、全く……ああ、オットーが亡くなった。今、オーラとセルコが中で調べてる」
「――ああ。そうですか」
「――え?」
クラウはガリラルの言葉に僅かな間をおいて頷く。その間の表情は当然ゼルクたちには見えなかった。何より、それどころではない一言を聞いてしまった。
ゼルクは思わず声を上げてしまい、アエリアは口元に手を抑えて顔を青褪めさせている。
その声でようやくゼルクたちに気が付いたのか、クラウは慌てたように振り替えった。
「ゼルク? なぜここに?」
「え、あの……く、クラウ、兄さん……?」
「……聞かれたか。子供に聞かせるようなものでもないんだがな……」
ガリラルが少しだけ頭を抱える。ゆったりとした所作だった。人の死に何も感じてない無いわけではないのだろうが、彼らは人間と死生観が違う。ゼルクはそれをよく知っていた。ゼルクの父が死んだときのことは記憶に新しい。
だからこそこういう時、種族の違いを強く感じてしまう。ゼルクは縋るようにクラウの服の裾を掴み、動揺を隠すこともできない。
オットーはゼルクにとって産まれた時からの村長だった。彼の人生の全てにいた相手と言ってよい。そんな相手が簡単に死んだと聞いて、納得など行くはずもない。ゼルクは未だに十四歳の少年に過ぎなかった。
クラウはそっとゼルクの手を握り、目線を合わせるために少しだけ腰を下ろす。そしてからゼルクとアエリアの頭にそっと手を乗せる。
「ゼルク、アエリア。とりあえず家に帰りなさい。今日は片付けもしなくていい。ただし、このことは……誰にも話さないようにしてくれ。我々のほうから然るべき状況で報告をする」
「……解った」
「……うん」
返答を聞くと、クラウは普段通り穏やかに笑い、立ち上がる。
それからのことはよく覚えていない。ゼルクはふらふらとした足取りで家に戻り、早々に部屋へと引きこもった。アエリアとは途中で別れた記憶だけが残っている。母親が心配そうに声をかけてきたが、歪に笑いなんでもないというほかに何もできなかった。
何が起きているのだろう。ミールとマイトが一家総出でいなくなり、オットーは死んだ。狭い田舎の村で育った14歳の少年に衝撃を与えるには十分すぎる出来事だった。
そしてこれさえも始まりに過ぎないのだと、この時のゼルクは想像さえしていなかった。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。




