幻想の夜_02
「ま、普通の鎧では矢を防ぐのも難しいくらいだ。全てを防ぎ、その衝撃を中に通さない、というだけでも信じられない神器だよ」
「え」
「……これはご存じなかったかな?」
驚愕したのはミールだった。ラドは意外そうな顔をした。
ゼルクとしても意外ではあった。イメージでは鎧というのは余りにも頑丈なものである。重たいが、着ているだけで傷など受けることもない、くらいには考えていた。
「え、え、え、だって、あの『雷鳴紀』では……」
「……夢を壊してごめんね」
ラドが素直に謝る。ミールはゼルクら4人の中では最も書物を読んでいる。だからこその弊害だった。所詮書物の世界と現実は別物である。
ミールはがくりと力なく膝をつき隣にいたマイトに縋りつく。その眼には水が溜まっていた。
「マイトぉ……」
「本気で泣かないでくれよ姉さん」
「いや、だからこそ肩当とか要所に合わせた武装があるわけでね……盾にしてもそうだ。小さな盾や大盾やらなんやらで役割があるだろ?」
ラドが必死に慰めているものの、ミールは縋りついたまま立ち上がらない。なにがしか衝撃を受けている時の状態なので、ゼルクは特に気にせずラドに尋ねた。
「雷鳴紀って何?」
「ああ。古いが、有名な書籍だ。勇者様方の戦いの中でも、特に弓の勇者を中心に描かれている。遠距離攻撃で敵の群れを容易く引き裂く描写は中々圧巻だよ。……通常の弓との差別化もあってか、普通の弓があんまり強く書かれてないんだ。実際、強弓は引く人が引けば鎧も貫けるものだが」
「ううっ……鎧を着た敵の群れに対して普通の弓じゃ通じなくて……っていう場面がとてもカッコよかったのに……!」
「おお、見たこともないくらい衝撃受けてる……」
眼を硬く瞑り、マイトに抱き着いているミールは中々みられるものではなかった。
ゼルクは本はそれほど興味もなかったが、勇者の戦いには年相応の興味を抱いている。『雷鳴紀』のような本があると聞くと、途端に興味がそそられる。
「なあミール。他にも勇者の戦いの本ってあるのか?」
「んぇ? 色々あるよ。史実をまとめたって言われる『女神の勇者たち』とか、失われた神器についての想像を働かせた『月光戦記』とか。『雷鳴紀』はおすすめだけど、読みやすいのは剣の勇者を中心に書いた『空を切り裂くもの』かな。特に勇者様たちの食事の描写とか、見たこともないものが沢山書かれててそれだけでも結構楽しいよ」
特に読みやすいのは各英雄たちの視点で書かれた『女神英雄伝』かな。剣の勇者の視点が多いけど、槍や斧が失われた戦いの事もよく書かれててね。特に琴の勇者が魔皇に倒されたときの話なんか凄いんだよ。魔皇はやっぱり悪役だけど、格好よく書かれてるのがいいかな。やっぱり戦いって堂々たるものがいいな。現実にはそりゃ勿論違うんだろうけど創作なんだからさ。魔皇が格好悪く書かれてるのもあるけど、女神さまと勇者たちと戦ったんだよ。カリスマ性が無いと軍を率いたりなんかできやしないし、それは違うよね。
先ほどの涙がどこに行ったのか、ミールは言いながら立ち上がり、滔々と情報を語り続ける。結構な早口で情報の半分も頭に入ってこないが、気に留めない。それはゼルクばかりでなく、マイトとアエリアも同じようなものだった。
ミールは特に本の話になると止まらないことを知っている。ラドだけが困ったように笑っていた。正気に戻ればすぐに止めるだろう。
「意外だな。ミールは剣の勇者が好きかと思っていたが。雷鳴紀を見るに、弓の勇者が好きなのかね?」
「そうですね。なぜ戦うのかという問いかけに対して、戦えるからだって答えるのが好きなんです。剣の勇者が笑って『それはとても善い願いだ。けれども、それだけで誰もが戦えるわけじゃない。僕は格好いいから戦っている。おかしいかな?』って真剣に答えてくれる場面が好きで好きで……あの2人格好いいんだよねぇ……」
顔を喜色満面の笑みで染め、両手を頬に当てミールは笑う。頬が僅かに上気している様子だった。
そのあたりで正気に戻ったのか、はっと目を見開いて周りを見渡す。ゼルクとマイトは少しだけ眉を潜めて、アエリアははっきりと距離をとっていた。聞いてすらいる様子ではない。
「……ごめん。好きな話で」
「いや、別にいいんだけどな……?」
眼をそらしたミールに対して、ゼルクはそれ以上問いかけられなかった。
好きな物語を語っている時のミールの熱量は知っているが、先ほど剣の勇者と弓の勇者に対してはなんとなく別の感情を抱いているような気がした。ただそれだけの話だったし、深く聞くこともなかった。
それからはまた祭りに戻る。冬は日が落ちるのも早い。日が傾き始めた頃には、ミールは衣装合わせに席を外した。舞台の周りの篝火に火が灯され、広場を緩く照らしている。
「さーて、肉が焼けたぞぉ」
肉を焼いていたオーラが大きく笑った。焼けたと言いながら取り出しているのは泥の塊だった。
泥を割ると、中からは草の塊が出てくる。更にその草の塊を丁寧にほどいていくと、やがて程よく焼けた肉の塊が出てきた。朝からじっくりと焼かれていたらしいその肉は、香草のいい香りがしていた。祭りの日にだけ出される特別な肉料理だった。
「わーい!」
「おにく!」
「かあさん、ネムは食べられるかな?」
「まだやめといたほうがいいわよ。いいから貴方が食べてきなさい」
「ほら、切り分けてやるから並びな。いい香りだろう? 包む薬草にはルアリスも混ぜてるから、元気も出るぞ」
童子の声は少しだけ落ち着いていた。疲れも出ている。けれども肉の塊が出されると、我先にと駆け寄っていく。子供たちも今日が特別なのは十二分に理解しているのだった。
行商からは酒が振舞われ、大人たちも程よく酔い始めていた。日も陰り、月が出る。僅かに欠けた青白い月は、満天の星空の中静かに煌いている。遠くで馬が嘶いた。
音楽が一時的に静まり、それに合わせて賑わいも僅かに静まった。
まさにその間隙を縫うかのように、鈴の音が空間を満たす。月下、特別な衣装を来た二人の村人に先導され、ミールが鈴を鳴らしながら歩いてくる。羽織った上着は薄い羽衣で、この寒空の下には如何にも寒そうだった。
先導する二人の手には火のついた松明が握られており、それが舞台の燭台に灯された。鈴をかき鳴らしながらミールが舞台に立ち、くるりと一回転し上着を払う。舞台の上に白い薄絹が広がり、その下の衣装が露となる。
炎に照らされながら纏う衣装は紫蜘蛛の糸で織られた袴。そして上着の白装束には、紫蜘蛛の糸で満月の刺繍が彩られている。村で唯一と言ってよい高価な代物である。
音楽が高く奏でられ、舞が始まった。鈴が慣らされ、くるり、くるりとミールが舞う。炎と青白い月に照らされるその様は神秘的でさえある。誰もが静かに見守る中、視界の端でファウラがそわそわと体を動かしているのが見えた。きょろきょろと挙動不審に辺りを見回してもいる。
「――ぉお」
鈴の音だけが響く静かな空間に、その小さな感嘆の声は良く聞こえた。ゼルクが首を振ると、そちらにはディアゴ達がいた。いつの間にか広場の端で舞台を眺めている。感嘆の声を漏らしたのはディアゴだったらしく、口元を手で覆っていた。
周りには二人護衛がいた。一瞬だけディアゴの瞳がぎらついた、ような気がした。だがすぐさまディエゴは二人に向き直り、その顔は見えなくなった。何事かを指示すると傭兵たちはすぐにその場を離れ、ディアゴは静かに舞台を見ていた。視線は相変わらず冷たいが、妙な熱があるようにも見える。ゼルクには判別がつかなかった。
そこにオットーがにこやかに近づいていく。村長である彼は今は演奏に参加していない。顔を僅かに赤らめているあたり、酔っているらしい。その後二言三言言葉を交わすと、ディアゴはどこかへと去っていった。
鈴の音に、舞へと意識が引き戻される。舞は続き、音楽は盛り上がりを見せていた。
「綺麗だな」
ゼルクが静かに呟く。アエリアがそうだね、と嬉しそうに笑った。彼女は他人の幸福に嫉妬するという性質を持たない。それは彼女の素晴らしき美点であった。
「終わったら今日は動けないだろうけどな……」
「……大丈夫なの?」
「俺が運ぶよ」
マイトが笑った。姉を運ぶ弟の姿は村では珍しくない。なら大丈夫か、とアエリアは香草肉を食べながら舞を眺める。
美しい月下、華やかな音楽と自慢の友人が踊る舞。隣で共に眺める素晴らしき友人たち。美味しい食事と、頼もしい大人たち。
ゼルクにとって全ての幸福が詰め込まれた夜。
十四歳の彼が見た最後の幸福な幻想だった。
――翌朝。
オットーは死体となって発見され。
ファウラ一家は村から失踪した。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
前作でもそうでしたがしれっと死にます。




