嵐の前触れ
本日少し長めです。
ゆっくり読んでください。
森も雪で埋まっている。寒々とした日光に照らされ、高所の雪は溶けて緑が顔を出している。それとは裏腹に、地面は酷くぬかるんでいた。連日の大雪はあらゆる生命の活動を制止させている。
虫さえ飛ばない静謐な森は、時折吹き抜けていく風の音以外何も聞こえない。虫も、動物も、何もかもが眠りにつく寒い時期。伽藍とした空間には何もおらず、どうにも不気味だった。
「冬季にしか採れない薬草もある。この時期は特に毒草も少ない。だが、例えば傷を治すこの薬草――ルアリスという草だが」
クラウが雪をかき分け、木の根元に生えた緑色の葉をとりゼルクへと差し出した。葉の形が特徴的であり、丸みを帯びている。薄い葉は向こう側が見えそうだが、はっきりと存在感を放っていた。
ゼルクが教えられた最初の薬草だった。すり潰して塗布すれば傷を癒す他、煎じると咳止めの薬にもなってくれる。
「だが似たような草にヴァルキスというものがある。形はほぼ一緒なんだが、ややルアリスのほうが葉の色が淡く、葉が厚い。そしてヴァルキスには白い花がつく。ルアリスは花をつけないからな。特にヴァルキスのほうが生命力があって、どんな場所でも群生地を作るから厄介だ。ルアリスとして持ち帰ったのがヴァルキス、となってしまっては傷は治らないどころか悪化し、最悪は――」
「最悪は、死に至る。うん。毎回聞いてる」
クラウの説明は基礎的なものだった。それだけ重要な話でもある。
ゼルクも耳にタコができるほどに聞いているが、それでもクラウは毎回同じ説明をした。数回聞いたころにはゼルクも不思議そうにそれは前も聞いたといった。クラウは嬉しそうに笑って、毎回同じことを話す、とだけ語った。ルアリスが最もわかりやすい例であった。
「ヴァルキスをすり潰して塗布するとものすごい痛いし、煎じて飲むとゲロが止まらなくなるんだよね」
「ああ、お前も嘔吐くらいはしたことがあるだろう。あれがずっと続くし、場合によっては血液も吐き出すことがある。体の内側が傷ついたら熱発――熱が出ることだってある。そうなってしまえば、苦しみながら死ぬことになるな」
薬と毒は紙一重、とクラウたちエルフはよく語っていた。似たような植物など幾らでもある。薬と偽り毒を渡すことなど造作もない。
薬草の採取はそれだけ慎重に行わねばならない。だからこそ単独では許されていない行為だった。現在はクラウと共に薬草籠を持って教えを受けている。
「さて、今日採取するものだが、明日の祭りで使う薬草粥のものが中心となる。似たようなものは少ないものから教えていくから、安心して採取するように。実物をみせてあげるから、集めてみなさい。見つからないものは特徴だけ教えよう」
はい。ゼルクは素直に頷いた。少なくともエルフの薬草の知識が自分の及びもつかないものであることを、彼は十二分に理解していた。クラウと共に採取し、実と葉を確認させてもらう。
フィエラの実。香り高い木の実。冬季には雪に埋まっており、春になると雪解け水を栄養として芽を発芽する。実は香り高いが、発芽した芽は嫌な香りがあり、食えたものではない。茶色い殻に入っており、中身は鮮やか過ぎるほどの緑色である。
テルム草。花弁のように固まって葉をつけるのが特徴の野草。香りも良いが、煎じて飲むと体が温まる飲み物になってくれる。
サリアの花。花弁は薬、特に解熱剤になるが、草は良い香りがするだけのものである。茎が良い食感であり、あるのならば茎と葉ごと持ってきて欲しい。花弁は薄い黄色であり、草は綺麗に緑から黄色にグラデーションがかかっている。冬季に花までは珍しい。
幾らか教えられ、ゼルクは必死になって覚えてそれぞれ探し始める。当然、すぐに見つかるものではない。
森を歩くのは知識以上に経験値が物を言う。クラウは最低限の知識しか与えず、後はゼルクに任せていた。無論のこと、危険性がある場合は同伴する。それでも真に危険な場合以外は手助けすることもない。
獣の足跡の見つけ方、森を歩く時如何に音を立てずに歩くかの方法、危険な虫などの基礎的な知識だけで森に挑み、痛い目を見たのは当然、1度や2度では済まない。深い傷も残っているが、欠損するような怪我に繋がらなかったのはクラウの指導の賜物と言えた。
「おや――ゼルク、おいで」
「え、何? まだろくに集まってないけど……」
「面白いものを見つけた。シャルヴェンだ」
「シャルヴェン?」
「猛毒だよ。ここら一帯では生えない筈だが、どこからか種子が飛んできたかな」
クラウが雪が積もっていない一角を指さすと、そこには確かに見たことのない小さな木が生えていた。
葉は放射状に広がっており、伸びた茎には赤と黒で彩られた実がついていた。猛毒と聞いてもゼルクに恐れは無かった。全ては使い方次第であると学んでいる。
「葉のほうに毒性はないが、特に薬効もない。実を摂取すると下痢に似た症状を引き起こし、水を大量に摂取しないと脱水症状で死んでしまうという珍しい毒草だ。その癖、面白いことにその間妙な多幸感があると聞く。流石に実際に飲んだ記録を見ただけだが」
「多幸感?」
「つまりは、一度飲むと気持ちよくなって何度も摂取したくなるということだよ。脱水している間も酷く気持ちがいいらしい」
クラウの笑顔は稚気に満ちていた。ゼルクは思わず肩を竦める。
「例えば少量の摂取なら?」
「悪いことを考えるな、ゼルク。村での出番はまずないが――少量ならば多幸感も症状も抑えられる。つまり、依存性は高められるよ」
「薬としての使い道はある?」
「うーむ、痛み止めとして使えんことはない……かな? とはいえそれも他にいい薬草があるし……安楽死くらいには使えるかもしれない。いや、脱水で死ぬのは苦しいかな」
クラウは真剣に考えてくれるが、どう聞いても薬としての使い道はなさそうだった。
「それほど大きく育つことはないが、毒草にふさわしく繁殖力も高い。除去してしまおうか。この赤と黒の実は覚えていくといい。間違えて飲んだら大変だからね」
実をとり、ゼルクに渡すクラウ。よく観察すると、赤から黒へと綺麗に別れて色がついているのが特徴的だった。鮮やかな色は目を奪ってくれるが、そういったものは大抵危険である。
クラウは丁寧に根まで除去し、それを籠に入れる。大抵の毒草は燃やして処分する。流石に森で火は炊けなかった。
「燃やして大丈夫?」
「ああ、直接摂取しなければ害はない。念のために少し離れた場所で燃やすけれどね。さ、採取に戻るか」
クラウの言葉と共に、ゼルクは薬草の採取へと戻っていく。
フィエラの実は外殻だけでは似たようなものも多く、見分けるのが難しい。割れば解るが、それも結構な労力が必要であった。テルム草はよく見つかるが、似たような雑草も多く見分けがつきづらかった。サリアの花はそもそも数が少ないのか、見つかっていない。食事用の薬草採取一つとっても、中々に難しかった。
日が傾き始まるころにクラウと合流し、籠に集めた薬草を確認してもらう。採点の時間のようなものだった。
「実はよく集められている。だが似たようなものも集めているな。こちらはテルム草ではないよ、葉の形はよく似ているが只の雑草だ。花は無かったか」
残念そうに呟くクラウ。花は粥の飾りとしても使える為、使い道は非常に多い。
ゼルクが採取した実や草の内、半分ほどは別物だった。毒草が無いのは、今回目的としていた草の中に似たものが無いだけに過ぎない。採取の難しさの証明、そのものであった。
「実については殻の厚みや色、形をよく覚えていくといい。似たものもあるが、殻を食べることは少ないから割ってから確かめるのもいいだろう。草のほうは問題だな。形だけでなく厚みや感覚も覚えておきなさい。ほら、こちらの葉はよく触ると産毛のようなものが生えているだろう? テルム草にはこういった産毛はないんだ」
「本当だ。形もよく見ると微妙に違うし……」
「似ているものを見間違えるのはよくやるよ。私たちエルフでさえね。見たいものしか見ないのは、生物の性のようなものだからね」
クラウは笑いながら似た薬草を手に取り、丁寧に地面に捨てていく。ゼルクの籠が軽くなり、少しだけ不服そうな顔をした。
ただの雑草に生えた細かな毛を何度か撫でる。確かにざらりとした感覚が返ってきた。テルム草はつるりとしており、最初に見せられた時なぜ触らなかったのかと自身を叱りたくなる。
「初めて見たものでこれだけ集められるなら大したものだよ。経験は絶対に無駄にならない。だが経験だけでもダメだ。今回も知らなければ採取できなかったのだから、知識も重要だよ」
クラウが慰めるように言う。幾度となく採取したルアリスならばともかく、初めて見た二種の薬草をきちんと採取できているのは素晴らしい成果と言えた。
だがクラウの薬草籠は当然のように一杯だった。確かにこれと比較しては成果が少なく見えてしまうかもしれない。明日の粥の為にも必要なため、クラウも手を抜くわけにはいかなかった。
「さて、それでは戻ろうか。処理についてはまた今度教えてあげよう。まあ食用のものは刻んだり、潰したりするだけだ。普通に料理ができるなら大きな問題はない」
クラウは笑う。ゼルクは僅かに肩を落としたが、とりあえずは帰路につかねばならない。もうすぐ日も落ちる。
「ああ、ところでゼルク」
帰り道の途中、クラウは当たり前のように尋ねる。
「相変わらず黒い糸は見えているかい?」
「うん? うん、相変わらず」
ゼルクも当然のように応じた。今も当然見えている。黒い糸は森の奥へと続いており、どこまで伸びているのか全く解らない。
空に見える黒い糸について、村人はほぼ知っている。幼少の折、空中に見えた糸について、ゼルクは父と母に相談していた。当時存命だった父はすぐにエルフや医者に相談した。当時の村の医者は既にオットーであり、彼は特に目に異常はないと診断を下した。エルフたちも同じ結論であった。エルフたちが目の薬だけ処方してくれた。
しかしエルフたちはその後、人目が無いときに限りゼルクに対して『糸はまだ見えているか』と尋ねることがあった。時として糸がどちらに伸びているか、どのように見えているかを尋ねることもあった。頻度が多いのは当然クラウであった。
そしてエルフたちは、この村に訪れるエルフたち以外には決して口外してはならないとも伝えていた。今のところゼルクはそれを守っている。そもそもこの村を訪れるものが行商のエルフ以外には滅多におらず、稀に来る人間に対してもゼルクが関わることはほぼなかった。
当然ゼルクはこの黒い糸について尋ねたことがある。少なくともエルフたちはこの糸について何か知っているに違いないからだった。だが回答は常に同じだった。
「クラウ兄さん、この糸って」
「うん、私にできる回答はいつも同じだよ。それは君の運命だ」
いつか聞いた解答と同じものを貰い、それ以降クラウは静かに微笑むだけで糸についての話は終わった。
実のところ、ゼルクはこの糸を追おうとしたことがある。
だがそれを止めたのは誰あろう、エルフたちだった。とりあえずは成人――十六歳程度になってからにしなさい。まだ体も出来上がっていないし、無理をしても何もならない。正論であった。その上で三人のエルフは条件を付けた。
いつか君がその糸を追いかけると決めた時、私たちの誰かが必ず同行する。糸がどこに伸びているか解らない以上、できるだけの準備をしてから共に行こう。
そういわれてしまえばゼルクには納得するしかなかった。そしてエルフたちはそれ以上何も言おうとしなかった。黒い糸について、彼らの口は余りに硬い。
日が傾き、暗くなった森を抜ける。村の入り口は相変わらずの静寂が広がっていた。夕日は山の端へと沈み始め、既に辺りは暗がりになり始めているが、村はまだ賑やかだ。そろそろ誰もが帰ってもおかしくない時間だろうに、と不思議に思っているとその原因がすぐに解る。
既に行商が来ていた。例年通りであるのならば日が落ちてからなのだが、今年は少し早い。なるほど、これは盛り上がるわけだ。祭りは明日だが子供たちにとっては嬉しい贈り物だろう。
「おや――今年は早い……」
クラウが呟くが、途中で言葉は切れた。眉が僅かに顰められる。ゼルクも同じ気持ちだった。それと同時にじわりと不安が滲み出てくる。
訪れたエルフたちの行商、その中に知らぬ人の顔がある。
村の暮らしは貧しいが温かい。不満はあるが、それも年と共に解決するものでしかないとゼルクには解っていた。
見知らぬ顔は、その温かさに僅かな寒風を吹かせて来ている。
ゼルクにだけ見える黒い糸が微かに揺らめく。嵐が来る。その前兆のようにさえ思えてしまった。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。




