名宰相の三男坊(9)
ここまでが、物語全体の『第1章』となります
アルフォード家を飛び出したエレンは、城下町の中心にある泉に向かった。
城下には、引き揚げてきた兵士たちの姿が、至る所に散見された。中には腕や足を失い、哀れにも捨て置かれた者たちの姿もあった。
「何というありさまじゃ・・・総大将が討ち死になさるとは・・・」
「1万人も、亡くなったそうよ・・・一体、何のための戦だったのかしら・・・」
「お父さん・・・お父さ――ん!!わあああああああああああっ!!」
城下の人々の話す声が、容赦なくエレンの耳に突き刺さってきた。エレンはその声を心から必死に締め出すと、ようやく泉へと辿り着いた。
この泉は幼少期から、エレンにとっては憩いの場所であった。この泉から聞こえる水の湧き出す音は、何度もエレンの心を癒してくれた。
「ゴール兄上・・・ルーカス・・・兄上・・・!」
泉のそばに置かれたベンチに腰掛けると、2人の兄との思い出が胸に押し寄せてきた。エレンは両手に顔をうずめながら、人目もはばからず涙を流し始める。
ゴールは幼いころからやや傲慢で、成長するにつれてそれが徐々に強くなっていたが、それでもアルフォード家の繁栄を誰よりも強く願っていた。ルーカスは幼少期から芸術を愛し、彼の描いた絵に心を動かされたこともあった。そんな2人がもうこの世にいないという現実が、エレンの胸を強く締め付けた。
「・・・エレン様」
その時、エレンに声をかけてきた人物がいた。彼が涙に濡れた顔を上げると、そこには小袋を手にしたイリアの姿があった。
「イリア殿・・・」
「お兄様たちのこと、父から聞きました。心から・・・お悔やみ申し上げます」
「・・・ありがとう・・・イリア殿・・・・・・」
イリアに何とか言葉を返すと、エレンは再び視線を下に向けた。そんな彼を気の毒そうに見つめながら、イリアはエレンの隣にゆっくりと腰を下ろした。
「エレン様は・・・反対なさっていたのですよね?この・・・戦に・・・」
「ああ・・・そもそも、なぜラダンを攻める必要があった・・・?たかだか使者をよこさない、貢ぎ物が1つもない、たったそれだけの理由で、父上は戦を進めたのだ。あまりにも・・・あまりにも・・・馬鹿げている・・・!」
声を震わせて言ったエレンの目から、再び涙がこぼれ始めた。
「そんなことのために、多くの者が犠牲になった・・・・・・先ほど、城下で人々が話していたのを聞いた。・・・1万人だ。1万もの命が・・・こんな馬鹿げた戦で失われた・・・・・・すべては・・・すべては・・・父上のせいで・・・・・・!」
エレンはもはや、泣き続けることしかできなかった。そんな彼の肩に手を置いたイリアの目からも、一筋の涙が流れている。
「お父様を責めても、失われた命が戻るわけではございません。・・・今はただ、この国のために命を落とした方々の冥福を、祈ることしかできませぬ」
「ああ・・・分かっている・・・分かっては・・・いるのだが・・・!」
それからしばらく、エレンはイリアに肩を抱かれながら泣き続けていた。やがてその涙が流れ切り、やっと落ち着きを取り戻したころ、彼はイリアが手にする小袋から、甘い香りがすることに気が付いた。
「それは・・・もしかして・・・」
「ええ・・・クッキーを、焼いてまいりました。・・・召し上がりますか?」
「ああ・・・いただこう・・・・・・こんな時こそ、そなたのクッキーが食べたい・・・」
イリアは微笑を浮かべながら、袋を開けてエレンに差し出した。エレンはその中のクッキーを1つとると、ゆっくりとその味を嚙み締めた。
「やはり・・・この味だ・・・・・・不思議なものでな、そなたにもらったレシピの通りに作っても、どうしてもこの味にならぬ・・・」
「まあ・・・そうでしたか・・・不思議でございますね・・・」
エレンの言葉に、イリアが複雑な表情で小さな笑みを浮かべる。するとそんな2人のもとに、ミアが駆け足でやって来た。
「あっ・・・お兄様、ここにいた」
「ミア・・・どうした?」
「・・・お父様が、呼んでるわ。家の今後のことを、話したいって」
ミアの表情も沈んでいたが、それでも何とか声を絞り出しながら言った。
「私はもう・・・あの家には戻らぬ・・・・・・父上に伝えてくれ。家のことは、ご自由になさいませ、と」
「だめよ・・・それじゃあ、私が困ってしまうの。・・・お兄様が、お父様を許せない気持ちは分かる。さっきのお兄様の怒った声、私も・・・ジャンヌお義姉様も聞いたもの。・・・だけど、お父様は何としてもお兄様を連れて来いって、そう私に言ったの。・・・だからお願い。お父様の・・・アルフォード家のためじゃなくて、私のために、一緒に来て」
兄の目をまっすぐ見つめながら、ミアは必死に懇願した。そんないじらしい妹の姿に、エレンは反論する気力を失った。
「分かった・・・・・・父上の・・・アルフォードの家のためではなく、お前のために・・・一緒に行こう」
こうして、エレンはイリアに別れを告げ、ミアと共にアルフォード家の屋敷へと戻った。居間に向かうと、そこにはすでに、ネルソンとジャンヌが席についていた。腹の子のことを考慮されたのか、マリアの姿はそこにはなかった。
「さて・・・ゴールとルーカスがこのような形となり、我が家の後継ぎがいなくなってしまった。・・・そこで、早急に次の後継ぎを決めねばならぬ」
エレンとミアが席に着くなり、ネルソンが重々しい表情でそう告げた。エレンはどこか冷めた気持ちで、結局それか、と心の中で吐き捨てた。
「義父上・・・ゴールはこの世を去りましたが、その息子のアランがおります。アランが大きくなるまでは、私が後見役となりましょう。どうか・・・跡継ぎは、アランに」
ジャンヌが自身の考えを述べると、ネルソンは腕を組みながら小さくうなずいた。
「うむ・・・確かに、その手もある。本来、我が家の後継者はゴールであった。そのゴールに息子がいるならば、その子・・・つまりアランを後継者とし、成人するまで母のそなたが後見するという道も、決して悪いものではない」
「・・・!ならば・・・」
身を乗り出したジャンヌだったが、ネルソンはそれを遮るように口を開いた。
「だが・・・わしの考えは違う。この家の後を継ぐべきは・・・お前だ、エレン」
「・・・!」
ネルソンの言葉に、ジャンヌとミアが息を飲んだ。しかしエレンは、父がそう口にするであろうことを読んでいた。
「父上・・・先ほど申し上げた言葉をお忘れですか?私はもう、父上とは親子の縁を切りたいのです。それに私は、父上やゴール兄上と違い、政にも、この家の繁栄にも興味はございませぬ。・・・義姉上が仰ったように、アランを後継者となさった方が、よほどこの家のためになるかと」
「アランはまだ3歳の子供だ。いくらジャンヌ殿やわしが守ったところで、あの城の中で生きていけると思うか?」
「もはやこの国で、父上に逆らう者などおりませぬ。その父上と、エルドラの女神として名高い義姉上がいらっしゃれば、誰もアランには何もできますまい。・・・この家の将来は、私などがいなくても安泰でございます」
父にはっきりと自分の考えを告げると、エレンはジャンヌに視線を向けた。
「義姉上・・・ゴール兄上が成せなかったこと、どうか・・・義姉上が成し遂げてくださいませ。私はそれを・・・カルドから見守っております」
「エレン殿・・・」
ジャンヌに小さな笑みを向けると、エレンは表情を引き締めて父の方へ向き直った。
「これで決まりでございましょう?私はこれより、カルドに戻ります。・・・もう二度と、この家に戻ることもございますまい」
父に軽く頭を下げ、背を向けて去っていこうとした、その時であった。
「そういえば・・・カレンは今年いくつになった?・・・ああ。お前と同い年だから、もう19か」
「・・・父上?」
突然、カレンの名を口にしたネルソン。エレンが怪訝そうな表情を浮かべて振り返ったが、ネルソンは彼に視線も向けずに続けた。
「となると、兄のダンは20歳・・・きっと、いい男に育ったであろうな。それに、カイルやエミル、マミヤやデインも、今では立派な大人になったであろう」
「お・・・お父様・・・?」
父の真意を測りかね、ミアが彼に声をかけた。一方のエレンは胸の中で、徐々に不安が大きくなっていくのを感じていた。
「可哀想にな・・・お前が素直にならないのなら、あの者たちに不便を強いねばならぬ。皆・・・いい者たちばかりなのだがな・・・」
「父上・・・!あなたは・・・あなたという・・・人は・・・!」
怒りの形相で声を上げたエレンに、ネルソンは冷たい笑みを浮かべた。――その笑みを見て、エレンは悟った。この父には、今の自分では敵わないと。
「・・・分かりました・・・・・・父上の後は・・・私が継ぎまする・・・!」
「・・・!エレン殿・・・!」
ジャンヌが驚きの声を上げ、ミアも戸惑ったような表情を浮かべた。ネルソンはエレンの言葉に満足したように、小さな笑みを浮かべ続けていた。
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