名宰相の三男坊(8)
この部分が、物語全体の最初のターニングポイントとなっております
エレンが兄たちを見送ってから、およそ1ヶ月が経った。
「結局、戦はどうなったのかなあ。城からはなんにも言ってこないし、軍勢が戻って来たって噂もないし・・・」
畑仕事にいそしむ傍ら、カイルが疑問の声を上げた。近くで自分の畑を耕していたエミルも、怪訝そうな表情を浮かべて言葉を返す。
「そうですね・・・あれだけの軍勢で侵攻すれば、ラダンほどの小国はすぐ降伏すると思ってましたが・・・」
「どのみち、私たちが心配することではないわ。・・・さあみんな、一休みしましょう。隣村から、おいしいりんごをいただいたの」
りんごが入ったかごを持ちながら、マミヤが若者たちに声をかけた。ダンも農作業の手を止め、マミヤの方へと視線を向ける。
「おっ、美味そうなりんごだ!エレン、カレン、お前らの分ももらってくるからな!」
エレンもダンたちに倣い、農作業の手を止めて地面に腰を下ろした。小さくため息をついた彼の隣に、同じく作業を中断したカレンが腰かける。
「暗い顔ね・・・やっぱり、ゴール様たちのことが・・・心配?」
「ああ・・・この1ヶ月、何も戦場の話が伝わってこない。兄上たちが負けるとも思えないが、何か・・・嫌な予感がしてな・・・」
言いようのない不安に苛まれながら、エレンがカレンに言葉を返した、まさにその時。馬のひづめの音が聞こえてきたと思うと、若い女性の叫び声が耳に飛び込んできた。
「お兄様―!エレンお兄様―!!」
「この声・・・ミアか!?」
驚いて立ち上がったエレンの視界に、こちらにやってくる1頭の馬と、その背中にまたがる少女の姿が飛び込んできた。エレンが馬の方へと走っていくと、その背にまたがっているのは紛れもなく、妹のミアであることが分かった。
「ミア!どうしたんだ、そんなに慌てて?」
「お兄様!すぐ・・・すぐ私と一緒に来て!・・・ゴールお兄様と・・・ルーカスお兄様が・・・!」
翌日。エレンはミアと共に夜を日に継いで、城下のアルフォード家の屋敷へと戻ってきた。息も絶え絶えになって屋敷に飛び込むと、そこには息子のアランの肩に手を置き、目を真っ赤にしたジャンヌの姿があった。
「義姉上・・・!」
「エレン殿・・・よく戻ってきてくれた」
声を小刻みに震えさせながら、ジャンヌがエレンに礼を述べた。
「ちょうど・・・2人が戻ってきたところだ。・・・顔を・・・見せてやってくれ」
ジャンヌに案内された先でエレンが目にしたのは、急遽設けられたベッドの上に横たわる、2人の兄の姿であった。呆然と立ち尽くすエレンの背後から、ミアのすすり泣く声が聞こえてくる。
「ルーカス・・・ルーカス・・・どうして・・・!」
二度と目を覚まさない夫に取り付きながら、マリアが声を上げて泣き続けている。ジャンヌに肩を抱かれたアランは、不思議そうに父親の亡骸を見つめていた。
「ははうえ・・・ちちうえは、どうしてねてるのですか?まだ・・・おひるにもなっていないのに・・・」
「アラン・・・父上は、永遠の眠りにつかれたのだ。そう・・・二度と・・・邪魔されぬ眠りに・・・!」
アランの肩を抱きしめるジャンヌの目から、堰を切ったように涙があふれ始めた。その涙を目にした瞬間、ついにエレンの両目からも、大粒の涙がこぼれ始めた。
「兄上・・・・・・!なぜ・・・なぜでございます・・・!?」
涙で震える声でつぶやくと、エレンはその場に崩れ落ちた。このような再会を果たすことになろうとは、1ヶ月前には想像もしていなかった。
その時、家のドアが乱暴に開かれ、父のネルソンが部屋に飛び込んできた。ネルソンは変わり果てた2人の息子を、目を見開いて食い入るように見つめた。
「ゴール・・・ルーカス・・・・・・」
2人の亡骸と対面したネルソンが、力のない声で2人の名を呼んだ。彼は体を小刻みに震わせていたが、その目から涙が流れることはなかった。
「皆様・・・まことに、申し訳ございませぬ・・・!」
部屋の隅に立っていた若い男性が、一同に声をかけてきた。エレンは目元の涙を手の甲で拭うと、立ち上がって男性に問いかけた。
「失礼ですが・・・あなたは?」
「ダリオ・モンティと申します。お兄様の・・・ルーカス殿の、副官を務めておりました・・・」
ダリオと名乗った青年が、申し訳なさそうな表情でエレンに答えた。するとその言葉にいち早く反応し、ネルソンが鋭い目を彼に向けた。
「副官か・・・ということは、ラダンで起きたことを目にしたのであろう。・・・何があった?」
「はっ・・・あれは、半月前のことでございました。ラダンの者たちが各所で抵抗するそぶりを見せたため、ゴール殿は軍勢を複数に分け、それらの敵を同時に・・・一気に攻撃せよとの命令を下されました。しかし・・・それこそ、敵の罠だったのでございます・・・!分散し、統率が疎かになった我が方の軍勢に、ラダンの軍が奇襲を仕掛け・・・」
「・・・馬鹿な。地の利のない敵国で、軍を分けたと申すのか?」
ネルソンの問いかけに、ダリオは重々しくうなずいた。
「はっ・・・地の利に勝る敵軍が、混乱する我が方の軍勢を徐々に追い込んでいき・・・・・・やがて、ゴール殿とルーカス殿が率いる本隊にも、敵が押し寄せてまいりました。お2人は・・・必死に戦われましたが・・・・・・武運拙く・・・かような結果に・・・・・・!」
強い無念を言葉ににじませながら、ダリオは一同に謝罪の言葉を告げた。
「ご一族を・・・ゴール殿とルーカス殿をお守りできず・・・・・まこと・・・申し訳ございませぬ!!」
その言葉に、ルーカスの亡骸に取り付いていたマリアが顔を上げた。彼女はその目に怒りを宿しながら、ダリオに罵倒の言葉を投げかけた。
「あなたの・・・あなたのせいよ!あなたのせいで夫は・・・ルーカスは・・・!」
と、その時でった。ジャンヌがマリアのもとに大股で歩み寄ると、彼女の両肩に手を置いて言った。
「やめよ、マリア殿!これが・・・これが戦だ・・・・・・武運のない者は・・・皆・・・皆、こうなる・・・・・・誰のせいでも・・・ない・・・!」
「お義姉様・・・私は・・・私はそのように、夫の死を受け入れることはできません!・・・ルーカス・・・ルーカス・・・!」
感情の波に突き動かされ、マリアは再びルーカスの亡骸に縋りついて泣き始めた。ジャンヌは目元に浮かんだ涙に構うことなく、泣き続けるミアの方へ振り向いた。
「ミア殿・・・少し手伝っていただけるか?マリア殿を・・・別の部屋に連れていく。このままでは、腹の子に障る」
「は・・・はい、ジャンヌお義姉様・・・」
ミアはジャンヌの言葉にうなずくと、彼女と共にマリアの体に触れた。
「さあ、マリアお義姉様・・・」
「いや・・・いや、いやよ!ルーカス・・・ルー・・・カス・・・!」
マリアをルーカスの亡骸から引きはがすと、ジャンヌとミアは彼女を別の部屋へと連れて行った。そんな3人の様子には目もくれず、ネルソンはうわごとのようにつぶやいた。
「あり得ぬ・・・・・・我が方の軍勢が、そんなにも簡単に敗れるはずが・・・」
父のその言葉を聞いた瞬間、エレンは激しい怒りに突き動かされた。父は2人の息子が死んだことよりも、戦で負けたことに思いを巡らせている。そうとしか、エレンには考えられなかった。
「父上・・・!あなたには・・・あなたには親の情というものがないのでございますか!?」
「・・・黙れ。わしが2人の死を悼んでおらぬとでも思うか?」
怒気をはらんだネルソンの瞳が、エレンを鋭く睨み据えた。しかしエレンはそれに構うことなく、父に怒りの言葉をぶつけ続けた。
「あなたが・・・あなたが戦さえ起こさなければ、兄上たちは死なずに済んだのです!!・・・兄上たちだけではない・・・多くの者が、この戦のために命を落としました!!それも全て・・・父上のせいでございます!!」
涙にぬれた目で父を睨むと、エレンは震える声で言った。
「私は・・・私は一生・・・父上を許しませぬ・・・!もう・・・あなたとは・・・親でも子でもありませぬ!!」
エレンは父に背を向けると、屋敷から飛び出していった。――もはや、二度とここには戻るまい。この時の彼は、心からそう思っていた。
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