新たなる宰相(2)
「はあ・・・疲れた・・・」
緊急会議まで、もう間もなくという頃。エレンは昼食を手早く済ませ、書類の山に目を通し続けたが、結局3分の1ほどしか決裁することができなかった。しかもそのうち半数近くは、カールやディエゴ、ニールといった文官たちの助言がなければ、エレンは決断することすらできなかっただろう。
「宰相殿。そろそろ緊急会議でございます。ご準備を」
執務室に入ってきたカールが、机に突っ伏すエレンを見ながら淡々と言った。
「はい・・・今になって、思い知ります。父上は・・・人としてはともかく、政治家としては一流でした・・・」
「左様。ネルソン殿は、まさに一流の政治家でした。とても、元農民とは信じられませぬ。生まれながらにして文官の家系だった私や、ディエゴ殿ですら遠く及ばない方であった」
「そんな父の代わりが、私などに務まるでしょうか・・・」
弱気な発言をしたエレンに、カールがたしなめるように言った。
「エレン殿。お父上の後を継ぐとお決めになったのは、他ならぬあなた自身。今更、そのようなことを言ってはなりませぬ」
「・・・そうですな。私は・・・イリア殿に誓ったのですから・・・」
「イリア・・・?イリア・ウォンデーヌのことでございますか?」
「はい。・・・イリア殿のような政の犠牲者を、二度と出さぬ世を作る。それが、私の立てた誓いなのです」
その言葉に、カールが小さな笑みを浮かべながら応えた。
「ならなおのこと、初日でへばっている場合ではございませんぞ」
「ええ・・・まだ・・・始まったばかりでございますからな・・・!」
エレンは自分を奮い立たせると、カールと共に緊急会議に向かった。会議には国王のレオナルドも出席しており、ディエゴやニールといった文官たちや、この会議の開催を聞いて急遽駆け付けた、各地の領主たちの姿もある。四将軍の代表としてルシウスも出席しており、エレンが見たところ、書記はどうやらエミルが務めるらしい。
「エレン・・・いや、宰相も参ったな。ではこれより、宰相の代替わりに伴う緊急会議を行う」
レオナルドの言葉に、一同がさっと頭を下げた。彼らが頭を上げると同時に、レオナルドがエレンに微笑みかける。
「では・・・新たに宰相となったエレンより、所信表明を行ってもらおう」
「はっ」
エレンは小さくレオナルドに会釈すると、立ち上がって出席者を見回した。
「このたび・・・新たに宰相となりました、エレン・アルフォードでございます。父の後を継いで宰相となる・・・いわば、世襲という形になりますが、これに関して、皆様思うところはございましょう。しかし・・・私は私なりに、実現したい世があります。そのために、宰相の職、謹んでお受けいたしました」
出席者の中には、値踏みするような目でエレンを見る者もいた。そんな視線を感じながら、エレンは堂々と言葉を発した。
「私が実現したい世とは、この国の民全員が、幸せに生きられる世でございます。その実現のためにまず、年貢を見直したいと思っております。現在、年貢は収穫高の4割となっておりますが、これでは飢饉のときに民の負担が重くなります。そこで、この税率を4割から、3割5分まで下げたいと存じます」
その言葉に、文官や領主たちの間からどよめきが起こった。やがて1人の若い文官が、冷たい表情を浮かべながら言った。
「それは・・・いささか乱暴な話ではございませんか?所領を持つ者にとって、年貢とは貴重な収入源。それを減らせと言われても、簡単に受け入れられる話ではありませぬ」
蛇のように細い目をした、油断ならぬ雰囲気の男であった。その男の言葉を受け止めつつ、エレンは自らの考えを口にした。
「もちろん、ただでとは考えておりません。年貢を引き下げる代わり、罪を犯した者が刑罰で払う罰金を倍にするのです。さすれば、犯罪の抑止にもなりましょう」
「しかしそれでは、まるで犯罪が起きなければ収入が安定しない・・・と言っているようなものですぞ、宰相殿?」
再び、蛇のような目の男がエレンに噛みついた。エレンが反論しようとした時、レオナルドが口をはさんだ。
「まあまあ、双方一旦落ち着け。確かに、年貢が減るのは領主にとっては痛手じゃな。じゃが・・・下手に財を貯めこまれるのも困るでな。民のことも考えると、まず1年、宰相の案でやってみてはどうじゃ?不満があれば、その時にまた申し出ればよい」
レオナルドの言葉に、蛇のような目の男はしぶしぶ引き下がった。それを確かめると、エレンは再び口を開く。
「ありがとうございます、陛下。・・・そしてもう1つ、すぐに実施したいことがございます。それは・・・朝貢の廃止でございます」
またしても、出席者からどよめきが起こった。カールが咳払いしながら、エレンに発言の意図を問いかける。
「宰相殿、それは一体、何ゆえでございますか?」
「2年前のラダン遠征・・・あれはそもそも、ラダンが我が国に朝貢を行わないことがきっかけでした。その結果、数を頼みに攻め込んだわが軍は敗退・・・1万もの戦死者を出し、総大将であった我が兄2人も命を落としました。朝貢などという仕組みがなければ、そもそも起こっていなかった戦でございます。それに、何故我が国が、他国より上などという価値観が根付いたのでしょう?もはや、そのような考えは時代遅れでございます。今はどの国もみな平等・・・ゆえに、朝貢などという古いしきたりは、今すぐ廃止すべきです」
エレンの言葉に、会議室がしんと静まり返った。しかし再び、あの若い文官が口を開いた。
「なるほど、確かに一理ありまする。しかし・・・朝貢で得られるうまみは大きいのですぞ、宰相殿。それを全てお捨てになるおつもりか?」
「そのうまみよりも、他国の不平や怒りの方がよほど恐ろしいと存じます。ラダンの敗戦は、まさにその象徴かと」
2人の兄が戦死していることもあって、エレンはこれだけは譲る気はなかった。するとそんなエレンの様子を悟ったか、再びレオナルドが口を開く。
「まあ、あれで得をしていたのは、我らだけだからの・・・よかろう。朝貢は直ちに廃止する。それでよいな、宰相?」
「ご英断、ありがとうございます、陛下。これで少しは、他国の我が国への心象もよくなりましょう」
その後も、エレンの演説は続いた。その演説が終わるまで、あの蛇のような目の男は、終始不満そうな表情を浮かべていた。
「とりあえず、まずはしのぎ切りましたな、宰相殿」
緊急会議が終わって、程なくのこと。執務室に向かうエレンに、カールが声をかけてきた。
「ええ・・・しかし、あの蛇のような・・・あ、いや、鋭い目の方は、一体どなたです?」
エレンのその問いかけに、ニールと共にエレンたちと同行していたディエゴが、顔をしかめながら答えた。
「あれはバナージ・ガイという男でな。かつて陛下の乳母を務めておられた、シレーヌ・ガイ殿の一人息子じゃ」
「おお、シレーヌ殿の・・・お名前だけは、聞いたことがありまする」
「乳母の立場をいいことに、散々わがままを言ってくださいましてな。我が国の懐事情など一切お構いなし、何度怒鳴りつけてやろうと思ったか」
エルドラの財政を預かるニールが、憎々しそうに声を上げた。
「シレーヌ殿は、おぬしが一度カルドに戻ったころに亡くなった。バナージは母親の伝手で文官になったが、あれは単なる七光りではない。時勢を見る目だけは確かでな、先のウォンデーヌの変も、ベルナードの変も、いずれも上手く立ち回って無事であったわ」
「宰相殿、先ほどの会議でもお分かりになったかと思いますが、バナージ殿はなかなかの曲者でございます。十分、お気を付けくださいませ」
カールの言葉に、エレンは重々しくうなずいた。
「はい・・・バナージ殿・・・気を付けなければいけない相手ですな」
良くも悪くも、彼とはこれから長い付き合いになる。そう思うだけで、エレンは思わずため息をつくのだった。
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