涙の先(2)
エレンがイリアの首を目にして慟哭していた、まさにその頃――
「宰相殿、ジャンヌ殿から使いが参りました。ご子息が、目を覚まされたと」
ネルソンの執務室。カールから報告を受け取ると、ネルソンがわずかに笑みを漏らした。
「そうか・・・助かったか・・・」
「はっ。・・・しかし、よろしかったのですか?イリア・ウォンデーヌは、ご子息と親しかったと聞きました。その首を晒されたとなれば、ご子息は宰相殿を恨みましょう」
「あやつの恨みなどどうでもよい。肝要なのは、この国の秩序を保つこと。そのためなら、わしはいかなる手でも使う。・・・あの娘も・・・気の毒ではあったがな・・・」
表情を微かにゆがめたネルソンに、カールが気遣うように言葉をかけた。
「宰相殿・・・無礼を承知で申し上げます。イリア・ウォンデーヌの梟首に最も心を痛めているのは・・・他でもない、あなたではございませんか?」
ネルソンはふっと笑みを浮かべると、遠くを見つめながら答えた。
「あの娘とは・・・10年以上の付き合いであった。父に似ず、優しい子でな・・・・・・何度、我が家のためにクッキーを焼いてくれたか分からぬ。あのクッキーは・・・まこと・・・美味かった」
「宰相殿・・・」
「だが・・・罪を犯した者を野放しにはできぬ。たとえ19の娘であろうと、犯した罪には贖いが伴う。それを情で歪めたら・・・・・・この国もわしも、取り返しがつかなくなる」
その言葉には、確固たる決意と重みが宿っていた。カールはネルソンの心中を慮り、それ以上の言葉をつぐんだ。
それから、数時間後。カレンとダンによって屋敷に戻されたエレンは、ベッドの上で身を起こしながら、己を責め続けていた。
――ずっと・・・あなたをお慕いしておりました・・・・・・ずっと・・・子供のころから・・・ずっと・・・!――
「なぜ・・・気づいてやれなかったのだ・・・・・・!俺は・・・俺はイリア殿を・・・ずっと・・・傷つけ続けて・・・・・・!」
布団を強くつかみながら、エレンは声を震わせて呟いた。その目からは、一筋の涙が伝っている。
――これでまた・・・あなたと共に生きられる・・・・・・あなたのそばで、生きることができる・・・・・・そう・・・そう思っておりました・・・・・・!――
「俺は・・・そなたに、何も報いてやれなかった・・・・・・!お父上も救えず・・・そなたの想いにも応えられず・・・・・・俺は・・・俺はなんと・・・惨い男であろうか・・・・・・!」
涙を流し続けるエレンの姿を、カレンが部屋の外からじっと見つめていた。しかし彼女もとうとうこらえきれず、涙をあふれさせながらエレンの体に抱き着いた。
「エレン・・・・・・そんなに・・・そんなに自分を責めないで・・・・・・!あんたは・・・あんたができることを精一杯やった・・・!それで・・・それで十分のはずよ・・・!」
「カレン・・・・・・」
カレンの気づかい、そして温もりを感じながらも、エレンは彼女の腕の中で首を横に振った。
「いや・・・駄目なんだ・・・・・・俺が・・・俺がイリア殿にしたことは・・・とても・・・償いきれぬ・・・!」
「それでも・・・あんたのそんな姿・・・イリアさんが喜ぶと思う!?あんたが・・・そんなんじゃ・・・・・・イリアさんだって・・・浮かばれないわよ・・・・・・!」
互いの体を強く抱きしめながら、エレンとカレンは声を上げて泣き続けた。そんな2人を、ジャンヌが部屋の外からじっと見つめていたが、彼女は表情を一切変えることなく、その場から静かに去るのだった。
「そうか・・・エレンが目を覚ましたか」
一方。エルドラ城の王の部屋で、レオナルドは側近のベイルとサイラスから、エレンが目覚めたことを知らされた。
「はっ。まだ立って歩くことはできぬそうですが、言葉は問題なく交わせると」
かつてレオナルドに武術を指南していたベイルが、精悍な表情を引き締めて言った。
「それは何より。サイラス、見舞いの使者として、アルフォードの屋敷に行ってくれ。とはいえ、エレンに無理に会わずともよい。あの者も、此度の一件で傷ついておろうからの」
「承知いたしました。では、早速」
白髪交じりの頭を下げると、サイラスはレオナルドのもとを後にした。彼の姿が見えなくなると、ベイルが主に己の意見を述べた。
「陛下・・・此度の始末、私はやりすぎかと存じます。確かに、イリア・ウォンデーヌは罪を犯しました。が・・・エレン殺しは未遂で済んでおります。それにわずか19の娘を、晒し首にする必要などあったのでしょうか?」
「うむ・・・確かに、いささか惨い仕打ちだったかもしれぬな」
「いささか・・・ではございませぬ」
その時、父であり、首席顧問官であるジェームズを伴い、王妃のシャーンが部屋にやって来た。
「宰相は、己の意に添わぬ者への見せつけとして、ウォンデーヌ一族を骨の髄まで利用したのです。何と残忍で、恐ろしい男・・・」
「陛下。あの者の傍若無人ぶり、もはや看過できませぬ。・・・どうか、私にお任せくださりませ」
恭しく頭を下げたジェームズに、レオナルドが鋭い目を向けて問いかけた。
「首席顧問官よ・・・一体、何をする気じゃ?」
「陛下は、何も心配なさることはございません。どうか・・・父に全てお任せくださりませ・・・」
恍惚とした表情を浮かべながら、シャーンが夫の肩を抱いて囁きかけた。――エルドラの政局に、新たな波乱の風が吹き始めている。
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