レシピの秘密(6)
ここまでが、物語全体の第7章になります
「くっ・・・急がねば・・・まだ・・・まだ間に合う・・・はず・・・!」
バリーにみぞおちを殴られ、しばらく身動きが取れなくなっていたエレンだったが、時間の経過と共に何とか体力を取り戻し、再び馬に乗れるまでになっていた。
「・・・ん?あれは・・・」
前方からやってくる、武装した兵の一団。その先頭で馬に乗っているのは、父の盟友であるルシウスであった。
「ルシウス・・・殿・・・?」
ルシウスの背後の騎馬兵が、首を刺した剣を掲げていた。その首を見た瞬間、エレンの顔から血の気が引いた。
「ウォンデーヌ・・・殿・・・!」
もはや、エレンは身じろぎ一つできなかった。そんな彼のもとに馬を寄せると、ルシウスが淡々と言った。
「戻るぞ、エレン殿。全て・・・終わったことだ」
ルシウスとその一団は、悠々とエレンの隣を通り過ぎていった。エレンは馬の手綱を強く握りしめ、悔し涙を流すことしかできなかった。
バリー・ウォンデーヌの首は、直ちに城に持ち帰られた。
城下を凱旋するルシウスの一行、そして掲げられた父の首に、イリアは涙を流してその場に崩れ落ちた。翌朝にはバリーの首は城下に晒され、彼の所領は没収された。一族もことごとく処刑され、ネルソンの暗殺未遂に関与した9人の文官、そして宴で料理番を務める予定だった男もまた、死罪となってその首を晒された。
ただ、エレンに父の謀反を伝えたとして、イリアだけは罪を免れた。彼女はウォンデーヌの家督を継ぐことを認められ、屋敷もそのまま与えられることとなった。
こうして、後のエルドラで『ウォンデーヌの変』と呼ばれることになる事件は、ゆっくりとその幕を下ろした。
バリーの晒し首が終わってから、3日後。エレンは力のない表情で、屋敷の窓から隣のウォンデーヌ家を見つめていた。
「いつまで己を責めているのだ?エレン殿」
そんな彼の姿を見かね、義姉のジャンヌが声をかけてきた。その隣には、使用人として屋敷で働くカレンの姿もある。
「そなたはできることをやった。それでよいではないか」
「そうよ。エレン、頼むから自分を責めすぎないで」
「・・・それでも、まだ何かできたのではと思うのです。私が・・・私がもっと、うまくやっていれば・・・・・・」
沈んだ声でそう応えると、エレンは意を決したように言った。
「イリア殿に会ってきます。しばらく・・・合わす顔がないと思って、避けておりましたが・・・・・・お父上のこと、謝らねばなりませぬ・・・」
「よせ。今行ったところで何になる?余計に・・・イリア殿を傷つけるだけだ」
ジャンヌは制止しようとしたが、エレンは小さく首を横に振った。
「それでも・・・頼まれた者として、行かねばなりません。・・・お止めくださいますな、義姉上・・・・・・」
そんな彼を、ジャンヌもカレンも見送ることしかできなかった。エレンがウォンデーヌ家を訪ねると、暗い表情の使用人が、彼をイリアのもとに案内した。
「イリア殿・・・お父上のこと・・・ご一族のこと・・・・・・本当に・・・申し訳ない・・・!」
憔悴しきった表情のイリアに、エレンは深々と頭を下げた。イリアは悲しい目をエレンに向けると、消え入りそうな声で言った。
「父も・・・覚悟はできていたでしょう。あれが・・・父の天命だったのでございます・・・」
「イリア殿・・・」
エレンが顔を上げて小さく声を漏らすと、イリアは痛々しい微笑みを彼に向けて言った。
「クッキーを・・・焼いていたのです。・・・召し上がっていかれますか?」
「ああ・・・頼む・・・・・・こんな時にこそ、そなたのクッキーが食べたい・・・」
イリアは小さくうなずいて立ち上がると、エレンのもとにクッキーと紅茶を運んできた。エレンはクッキーを1枚手に取ると、ゆっくり嚙み締めながらその味を堪能した。
「そう・・・この味だ・・・・・・イリア殿・・・また・・・レシピを頂けぬか・・・?」
その言葉に、イリアはゆっくりと首を横に振った。
「いいえ・・・それはできませぬ」
そう応えたイリアの目が、一瞬でさっと昏くなった。
「もう・・・偽のレシピを書くのは疲れました」
次の瞬間、エレンの胸から何かがこみ上げ、彼は勢いよく吐血した。全身から力が抜け、エレンはその場に倒れ込んだ。
「イ・・・イリア・・・どの・・・?」
視界がぼやけ、頭にももやがかかり始める。そんなエレンの視界の端に、昏い目でこちらを見下ろすイリアの姿が映る。
「本物のレシピを渡したら・・・あなたは・・・二度と戻ってこないと思って・・・・・・だからずっと・・・偽のレシピをお渡ししてきました。あなたが・・・また私を、訪ねてくださるように・・・!」
震える声で告白したイリアの目から、一筋の涙が流れ始めた。
「ずっと・・・あなたをお慕いしておりました・・・・・・ずっと・・・子供のころから・・・ずっと・・・!」
何とかエレンは立ち上がろうとしたが、もはや体は全くいうことを聞かなかった。そんな彼に構うことなく、イリアは思いの丈をぶつけ続けた。
「あなたがカルドから戻ってくると知って・・・本当に・・・本当に嬉しかった・・・・・・これでまた・・・あなたと共に生きられる・・・・・・あなたのそばで、生きることができる・・・・・・そう・・・そう思っておりました・・・・・・!」
怒り、憎しみ、哀しみ、そして愛。様々な感情を宿した瞳で、イリアはエレンを見つめて続けた。
「けれど・・・あなたは、私のもとには戻ってくれなかった・・・・・・あなたが戻ったのは、あのお城の中だった!私は・・・それが悔しゅうございました・・・・・・でも・・・・・・それも、今日で終わりでございます・・・!」
イリアが懐から、1本の短剣を取り出した。彼女はそれを鞘から引き抜くと、鞘を投げ捨てながら言った。
「父を失い、一族も死に絶え、もはや私に生きる場所はありませぬ・・・・・・ならば・・・ならばあなたのお命をいただき、私もすぐに後を追います!!」
震える両手で短剣を握りしめながら、イリアはエレンの近くにかがみこんだ。彼女は涙に濡れた顔をエレンに向けると、短剣を勢いよく振り上げた。
「エレン様・・・ごめんなさい・・・!」
だが、その短剣が振り下ろされることはなかった。突如として突き出された1本の剣が、イリアの胸を勢いよく刺し貫いた。
「あっ・・・あっ・・・・・・」
力なく声を漏らしたエレンの視線の先で、ジャンヌが血まみれの剣をイリアの胸から引き抜いた。イリアがその場に倒れ伏すと同時に、ジャンヌがエレンの体を抱きかかえた。
「エレン殿!エレン殿、無事か!?」
ジャンヌの言葉が耳に入っていないかのように、エレンは倒れたイリアに視線を向けた。そこで彼が目にしたのは、こと切れたイリアの虚ろな顔であった。
「誰ぞ・・・誰ぞ医者を!!エレン殿、死んではならぬ!!このようなところで、死んではなるまいぞ!!」
ジャンヌが必死に、エレンの顔に向かって叫びかけた。しかしエレンの視界はますます暗くなり、ついにその頭も働きを止めようとしていた。
「エレン殿、死んではならぬ!!エレン殿!!エレン殿!!」
ジャンヌの叫び声も、もはやエレンには届かなかった。彼の視界は完全に暗くなり、辛うじて保たれていた意識も、ゆっくりと途切れるのであった。
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