名宰相の三男坊(4)
エレンがカルド村に戻って、半年が過ぎた。
そのエレンの姿は今、カルドの林の中にある。その手には弓を携え、もう1人の若者と共に、足音を立てぬよう慎重に草むらの中を歩いている。
「この辺りにいるはずだ。エレン、俺は向こうを探す。お前はそっちを頼む」
「分かった。・・・無理はするな、ダン」
「お前もな」
ダンと呼ばれた若者が、エレンと別れて林の中に進んでいく。エレンも弓を握り直しながら、息を殺して周囲に目を向け、ダンと反対側の方向へ進んでいく。
ガサ・・・ガサ・・・
耳に飛び込んできた音の方へ振り返ると、エレンは弓の弦を引き絞った。しかしそこには何の姿もなく、草は風に揺られただけか、小さく動いているだけだった。
気のせいか、と思ったその時。突然、ダッダッという足音が、エレンの後方から聞こえてきた。慌てて振り返った彼が目にしたのは、こちらに向かって勢いよく突っ込んでくる、自分の胸辺りまでの巨体を誇る猪であった。
「ッ・・・!」
もはや矢を放つどころではなく、エレンは転がり込んで猪の突進をかわすことしかできなかった。するとその音を聞きつけたのか、遠くから人が走ってくる足音が聞こえた。
「エレン!無事か!?」
ダンの叫び声が、遠くから聞こえてくる。エレンは何とか立ち上がろうとしたが、猪は早くも方向を変え、再び彼に向けて走り始めていた。
・・・ここまでか。エレンが覚悟を決めかけた、次の瞬間。ヒュンと風を切る音が聞こえ、1本の矢が猪の眉間に突き刺さった。猪の体は横倒しになり、しばらくぴくぴくと震えていたが、やがてその震えも止まった。
「エレン!」
ようやくエレンのもとに辿り着いたダンが、彼の無事な姿を見て安堵の声を上げる。彼が手にする弓にはまだ、矢がつがえられたままであった。
「・・・よかった。その様子だと、大した怪我もしてないみたいね、エレン」
その時、草むらをかき分けながら、弓を手にした1人の少女が姿を見せた。頭の後ろで結わえられた茶色の髪が、風に吹かれて微かになびいている。
「助かった・・・ありがとう、カレン」
カレン、と呼ばれた少女は微笑を浮かべながら、エレンに右手を差し出した。エレンは彼女に笑みを返しながら、その手を取って立ち上がるのだった。
それから、およそ1時間後。エレンとカレン、そしてダンが運んできた猪の大きさに、村人たちが驚きの声を上げた。
「ほう、こりゃでかい・・・村人みんなで食ってもまだあまりそうだな」
そう感心しながら声を上げたのは、この村の長である初老の男性・ジョセフ。気さくで温和な性格をしており、また面倒見がいいことも相まって、村人全員から慕われていると言っても過言ではない。
「急所を正確に射抜いてる・・・またカレンさんが仕留めたんですね」
猪の眉間に刺さった矢を見ながら、1人の少年が感心するように言った。彼の名はエミルといい、農村であるカルドの者にしては珍しく、学問を好んでいる。
「ああ。本当は俺が仕留めようと思ったんだが、無様に尻もちをついただけだった。カレンに救われたよ」
「エレンったら、全然構えがなってないんだもん。それに、猪の気配に気づくのだって遅すぎ。・・・兄さん。やっぱりまだ、1人で行動させるのは早かったんじゃない?」
カレンがそう声をかけたのは、エレンと行動を共にしていたダンだった。2人は兄妹の関係にあり、ダンはエレンやエミルなど、齢が近い若者たちのまとめ役を引き受けている。
「いや、そろそろエレンにも独り立ちしてもらわないと。何せもう半年だ。いつまでも俺やお前がついてるわけにもいかねえだろ」
「そうだけど・・・でも、心配なのよ、エレンのこと・・・」
微かに頬を赤らめながら言うと、カレンはエレンからさっと顔をそむけた。それと時を同じくして、1人の少年が猪のもとに駆け寄った。
「うわあ、またでっけえ猪!いいなあ、エレンは狩りに行けて。俺も久々に狩りに行きてえよ」
心から羨ましそうにそう言った少年に、日焼けした肌の少し年上の男性が、たしなめるように声をかけた。
「お前がするべきことは、自分の家の畑を耕すことだ、カイル。ただでさえ、武芸の稽古を言い訳にして、畑仕事をさぼっているだろう」
「そ・・・それはいつか、また戦があった時に手柄を立てるためで・・・それにデインさん、こないだまた鋤が1本駄目になったんだ。どうしてなんだろうなあ。俺が使う道具、すーぐ壊れちまうんだよ。安物だったのかな?」
「いつも言ってるだろう。道具は使う者次第。安物であろうと何年も使えることもあれば、高い物でもすぐに壊れることもある。要は、使い手のやり方が上手いか下手か、それだけだ」
デインと呼ばれた青年の言葉に、エレンが感心したような表情で声を上げた。
「さすがデイン殿。言葉に宿る説得力が、カイルとは段違いだ」
「なっ・・・!言っとくけどなエレン、俺は俺で本気なんだぞ!もしまたこの国で戦が起これば、俺は戦場でバンバン活躍して、いつかはお城勤めの兵士になるんだ!」
「分かった分かった。とにかく、壊れた鋤は俺に預けろ。ちょうど水路の修理も終わったところだ、鋤もすぐに直してやる」
デインがなだめるようにカイルに言葉をかけると、今度はダンが感心したように言った。
「もう直してくれたのか・・・さすがはデインさん、この村で直せない物はないんじゃないか?」
「ふっ。おだてても何も出ないぞ、ダン」
デインが微笑混じりの声をダンに返すと、村長のジョセフが周囲の者たちに声をかけた。
「よし!今夜はカレンが仕留めてくれたこの猪で、派手に宴を開こうじゃないか!何なら隣村にも声をかけて、みんなで一緒に一杯やろう!」
ジョセフの言葉に、若者たちが賛同の声を上げる。エレンも表情を輝かせると、弾けるような笑顔でジョセフに告げた。
「では、すぐに隣村に行ってきます!できるだけ多くの人を連れて、夜までには戻ってきますよ!」
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