名宰相の三男坊(3)
ルシウスの娘にして、トールの妹、サラ。エレンは予てより、この少女のことが苦手だった。
苦手、といっても、人間として嫌いなわけではない。彼女と険悪な関係に陥ったわけでもなく、何なら喧嘩の一つもしたことはない。
「ふう・・・よし」
宴を一旦中座すると、エレンは自邸からそう遠くない所に建っている、ルシウスの屋敷に向かった。意を決して屋敷のドアを叩くと、屋敷に使える侍女が顔を出す。
「エレン様・・・いかがなさいましたか?お屋敷で宴と聞きましたが・・・」
「あ、その・・・・・・ルシウス殿が、サラ殿に会ってほしいと仰いまして・・・」
「左様でございましたか・・・では、すぐに呼んでまいります。・・・お嬢様!お嬢様!」
侍女の声が遠ざかる中、エレンは再び大きく深呼吸した。そして前を向いた瞬間、そこにはいつの間にやってきていたのか、長い黒髪の少女の姿があった。
「あっ・・・!サラ・・・殿・・・・・・」
何ともぎこちない笑みを浮かべながら、エレンがサラに言葉をかけた。一方のサラは無機質な表情で、エレンをじっと見つめている。
「その・・・お父上から、サラ殿に最後に会ってほしいと・・・・・・私がカルドに帰るということは、お父上からお聞きかな?」
「・・・・・・うん」
表情を一切変えることなく、サラが短く返事をした。気まずい沈黙が2人を包む中、エレンは何とか話題を作ろうとした。
「そ、その・・・・・・サラ殿にはこの10年、本当に世話になった。最後に、その・・・・・・お礼をと思って・・・」
「・・・・・・そう」
またしても表情を変えることなく、サラが短く返事をした。――これこそ、エレンがサラを苦手とする理由だった。彼女は自分と同い年なので、今年で18歳になる。その割には、彼女の性格はどこか子供っぽく、また、言葉や表情に感情というものをほとんど感じられなかった。そのためいつも、サラとの会話は非常にぎこちないものとなり、エレンが彼女とかわした数少ない会話も大抵、一言二言のやり取りで終わってしまっていた。
「で・・・では、改めて・・・・・・サラ殿。この10年、本当にそなたには世話になった。・・・心より、感謝申し上げる。・・・それでは、私はこれで・・・」
「待って」
サラに感謝の言葉を告げて頭を下げ、エレンは自邸に戻ろうとした。だがその時、普段よりほんの少し感情が乗った声が、サラの口から飛び出した。
「最後に・・・歌を、あげる」
「歌・・・?」
それは、エレンにとって思いがけない言葉であった。サラが歌う姿など、これまで一度も見たことがなかったからだ。
そんな彼の困惑をよそに、サラは小さく深呼吸した。そしてどこか遠い目をしながら、澄んだ声で静かに歌い始める。
母のない鳥は 巣を探して飛び回る
父のない犬は 肉を探して駆け回る
止まり木も水もない 子らの住む深い森
月にも日にも捨てられた 哀れな子らの仮の宿
最後の一節を歌い上げると、サラは再びエレンに視線を向けた。
「・・・どう?」
「ど・・・どうと言われても・・・・・・とりあえず、ありがとう。・・・では、私はこれで・・・」
エレンは小さく頭を下げると、そそくさとサラのもとから去っていった。その背中を見送るサラの目には、ほんの少しだけ、悲しみの色が宿っていた。
――そして、翌朝。すべての準備を整えると、エレンは改めて、家族に別れを告げた。
「皆様・・・・・・本当に、ありがとうございました」
「うむ。・・・エレン、何かあればすぐ、そなたのもとに使いを送る。それまでは・・・カルドで穏やかに過ごせ」
父が優しい表情でかけた言葉に、エレンは小さくうなずいた。
「はっ。・・・では皆様・・・お元気で・・・!」
一同に最後の言葉を告げると、エレンはネルソンが用立てた馬にまたがった。するとその時、エレンに声をかけてきた者がいた。
「エレン様!」
「・・・!イリア殿・・・!」
アルフォード家の隣に建つ屋敷から、イリアがエレンのもとへと駆け込んできた。彼女はその手に握った小袋を、エレンの方へと差し出した。
「せめてもの、餞でございます。・・・エレン様、どうか・・・お健やかに・・・!」
エレンが受け取った小袋からは、ほのかな甘い香りが感じられた。彼は小袋の中身を理解すると、馬上からイリアに微笑みかける。
「イリア殿こそ、お達者で。・・・では・・・まいります・・・!」
エレンを乗せた馬がゆっくりと、カルドに向けて歩みだした。そしてその背後から、エレンの私物を乗せた馬車が続く。
「本当に・・・行ってしまうのね、エレンお兄様・・・・・・」
小さくなっていく兄の背中を見送りながら、ミアがぽつりと寂しそうに言った。いつもは気丈な彼女の目にも、この時ばかりは涙がにじんでいる。
「あいつが自ら決めた道だ。俺たちは、それを見送ることしかできん」
兄のゴールの言葉に、妻のジャンヌが小さくうなずいた。エレンの姿が完全に見えなくなるまで、一同はその背中を見つめ続けていた。
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