41 噂と真意
内裏で噂されていた小さな怨霊騒ぎは、神祇伯の配流という思いもよらぬ結末を迎えた。宮中では表向き詳細は隠され、高位の公卿のみがその真実を知るのみ。
彼等がまだ若い公達であった頃に起きた、十五年前のとある宴での出来事。その事に関わりがあるとの報告に、公卿達も固く口を閉ざした。
「という事で、利憲、主上がお前と楓に伝えてくれって仰られていたよ」
いつものように三条の屋敷へやってきた斉彬が、屋敷の主人にそう報告をする。
「私は止めたのだけど、結局柘榴も一緒に都を出てしまったんだ」
「そうか」
「なんだ、あっさりしてるなあ。可哀想だなとか、気の毒にとは思わないのかい?」
「思わぬ。本人が決めた事だ」
冷たく返ってくる言葉に、斉彬の口がへの字になる。どうしてこの男はこんなに淡々としているのだろうか。陰陽頭には会わずに旅立つと言った彼女の姿を思い出し、斉彬はふむと鼻で息をした。
「彼女はお前の従姉妹だろう。童の頃に遊んだとかの思い出はなかったのか」
「数えるほどしか会ったことがない」
「そういえば顔を見ても気付いていなかったな。あんなに綺麗な女なのに覚えてもいないなんて勿体無いなあ。お前に憧れていたらしいよ。あっちはずっと気にしていたんだね」
「……恨み言しか聞いていないが」
「女性は難しいんだよ」
「理解できぬ」
「そういうところ、なんで楓が利憲を選んだのかわからないな」
「否定はしないが、喧嘩を売るつもりか」
じろりと睨まれるが、怖くはない。自分よりもこういう筋には疎いことを、この男は引け目に感じているのだ。
にまりと笑って、斉彬は利憲の顔を覗き込む。
「可愛い妻に飽きられない方法を、教えてあげてもいいのだけど」
利憲がグッと言葉に詰まるのを見て、斉彬はハハハと声をあげて笑った。
「まあ、楽しそうに何を話してらっしゃるのですか?」
振り返ると飛燕が御膳を持った鼠を従えている。盃の乗った盆を持った楓が、その後ろから顔を覗かせた。ここ最近では珍しい袿姿に斉彬の胸がちくりと痛む。
「本当に可愛いな」
「こら」
見るなと言わんばかりに、利憲が斉彬の襟を引いた。その様子を不思議そうに首を傾げながら、楓が二人に盃を渡す。
「中将様、内裏の方は落ち着きましたか?」
「ああ、色々と憶測は飛び交っているようだけど、そのうち皆忘れるだろう。主上が楓を褒めてくださっていたよ。また弘徽殿の女御様の話相手に来て欲しいと仰られている」
「嬉しいです」
盃に酒を注ぐ飛燕の隣で頬を染める楓に、斉彬も自然と頬が緩む。その様子を横目で眺めた利憲が、思い出したように口を開いた。
「そういえば、妙な噂を聞いたのだが」
「噂?」
「『四条の君』とは誰の事だ?」
楓がびくっと飛びあがる。その拍子に銚子を持った飛燕にぶつかりちゃぷんと水音がしたが、幸い中身は漏れなかった。
酒を口に含んでいた斉彬は、げほんごほんと咳き込む。
銀の瞳が剣呑な光を浮かべていた。斉彬がようやく息を整えると、冷たい視線が彼を問い詰めるように向けられる。
「左近の中将が帝の前で自身の想う姫だと宣言したとか。遊びの相手は山ほど知っているが、帝に語るような相手がいるとは聞いた事がなかったな」
「や、やだなあ、誤解しないでおくれよ。あれはたまたま主上が龍笛を聴きたいというから……」
「楓を想って吹いたと答えた?」
気まずいと思ったのか、楓が顔を赤くしてそろそろと部屋を出ていく。
斉彬は狼狽えながらも、開き直って頷いた。
「利憲が悪いんだよ。楓を内裏に入れるなんて、危険極まりないことをするから。懸想した男に夜訪なんてされたら、たまったものじゃない」
「夜訪……」
絶句する利憲に、斉彬は腕組みをして説教をする。若干後ろめたくはあるけれど、あれは楓のためでもあったのだ。自分が帝の前で宣言していれば、大抵の者は手を出すことを躊躇うはず。
「女御と違って、女房は男達とも顔を合わすことを考えていなかっただろう。蔵人の少将の他にも、何人も楓を狙っていたんだぞ。だから止めろと言ったんだ。私は楓を悪い男の手から守ろうと思って」
「お前……、他のことも考えていただろう」
「ないない! おい、あんまり嫉妬深い男は嫌われるぞ」
胡乱な目で見る利憲に内心鋭いなと感心しつつ、斉彬はぶんぶんと首を横に振った。
「中将様」
そんなこんなでなんとか利憲を納得させた後、部屋を出てくる斉彬を楓が呼び止めた。
「利憲様はまだ怒っていますか?」
「いいや。少しむくれてはいるけどね」
「内裏での事は伝えていなかったので、きっと私に呆れています」
不安げな表情に思わず笑みがこぼれる。
「大丈夫だよ。あいつは君がいないと生きていけないらしいから」
「私が?」
「利憲は人を近づけないだろう? 父親の事があったせいで、今でも心のどこかで生きていてよいのか疑問を持っているように見えていたんだ。けれど、楓、君がそばにいることで生きる意味を見つけたんじゃないかな」
神祇伯が見せた保明の亡霊、彼が口にした言葉が真実ならば、どれほど利憲の心をえぐっただろうか。
楓はうつむき、顔を曇らせた。
「保明様はいつから反魂香に冒されていたのでしょう」
「さあ、一番最初に会った頃にはまだまともだったのだけどね」
「父に見放された私を、利憲様は救い出してくださいました。彼がいなければ、今の私はここにいません」
必要なのだ、と強く語る楓の肩に斉彬は手を置く。
「私は楓が好きだけど、利憲のことも好きなのだ。だから楓には感謝しているんだよ。私を選んで欲しかったけれど、あいつの支えになってくれているからね」
神を視る陰陽師と、神を宿した玉依姫。
彼等は互いに似ている。だから惹かれ合うのだろう。人には持ち得ない力を持ち、しかし、純粋で不器用な彼等に自分もまた惹かれ、守りたいと思ってしまう。
これはどうしようもないな、と斉彬は小さく笑った。
「私は君の嫌がることはしないよ。ただ、君に惚れた男として、君を見守ることだけは許して欲しい」
彼女が笑っていられるように。それが自分の望みなのだから。




