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【書籍化・コミカライズ】異能の姫は後宮の妖を祓う 平安陰陽奇譚  作者: 藤夜
第二章

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39 裏切り

 斉彬に手を引かれ利憲を追った楓の耳に、ふと聞き慣れた声が微かに届く。立ち止まった斉彬が、『しい』と人差し指を唇に当てて塀に隠れた。楓もそれに倣う。


 鼓動がやけに大きく鳴っている。角を覗き込んだすぐそこに、探していた二人の姿が見えていた。

 ピリピリとした空気が流れているのを感じながら耳を澄ますと、語り合う声が聞こえてくる。

 

「貴方は祭祀を潰して神を試そうと——」

「そうだ。宋の道士の使う方術には、君達の式神のように紙人を兵とする法や、鬼を操る法もあるのだよ」

「いつから、そのようなものを」

「妻が死んで以来、私は長らくそれらを研究してきた。柘榴に教えたのは、そのうちのほんの少し」

 

 目の前にいる神祇伯は、神祇官の長の姿を脱ぎ捨てていた。楓が以前に見たあの柔らかな物腰の彼は消え、代わりに利憲に向けて冷笑を浮かべている。

 しかし、それは利憲ではなく、自らを嘲笑っているかのようだった。

 

「哀れなものだ。崇高なる大神に祈りを捧げるより、そんな邪術の方が私の心を助けてくれた。保明殿への羨望も、この蝶をつくり出せた時には小さなものになったよ」

 

 神祇伯の袖から取り出された数枚の式符が、瞬く間に黒い胡蝶へと変じた。そして、ヒラヒラと彼の周囲を舞うように飛ぶ。


 楓は目を見開いた。思わず隣を見上げると、斉彬は太刀に手を掛け飛び出す機会をうかがっている。

 彼の視線の先にいる利憲は、神祇伯の語る言葉をただひたすら受け止めているように見えた。

 

「貴方は早く神祇官を去るべきでした」

「ああ、そうだね。だが、私のうじがそれを許さなかった。代わりに、私の友人を解放してあげたよ。陰陽寮から」

 

 利憲の顔色がさっと変わる。

 それを眺めた神祇伯は、ニタリと口元を歪めた。

 

「私が最初に反魂木を使った相手は、実は保明殿だったのだよ。兄君の姿がちらついて眠れぬというのでね。この植物は薬のようなもの。だが量を誤ったり使い続けると、良くないものが見えるようになるようだ。保明殿は眠りにつこうとする度に、鬼神に姿を変えた君が見えていたらしい」

「伯、貴方は……」

 

 ギリ、と利憲が奥歯を噛み締める。


 このやり取りに、楓は思わず自身の胸を押さえた。まるでこれは呪詛ではないか。

 

(なんて、酷いことを)

 

 父に殺されかけた、そう告げた彼の心の傷はどれだけ深いものなのか。過去の境遇を自分と重ねた彼の痛みを、楓は知っている。それを引き起こしたのが祖父とも慕う神祇伯の手だったなどと、今更聞きたくもないだろう。

 斉彬も同じ事を感じているに違いない。太刀を握りしめた彼の手は、白く色を失って震えている。

 

 全てを伝え終えた神祇伯は、飛ぶ胡蝶に囲まれて満足そうな表情をした。

 

「伯と呼ばれるのも、もう終わりだ。最後に本当の召魂で、君を保明殿に逢わせてあげよう」

 

 彼はそう言って手を挙げる。

 無数の蝶がはたはたと微かな羽音とともに広がった。辺りをのみこむような黒い群れが、つむじ風のように円を描きながら渦を巻く。


 そして、蝶が二人を覆い尽くすと、次の瞬間、弾けるように白い煙が噴き出した。

 

 利憲が袖で口元を覆う。

 彼が睨む相手は、煙の中で笑っていた。

 

(反魂香!)

 

 隠れている楓達のところまで、白煙がじわじわと流れ充満してゆく。

 楓はムッとするような香の匂いに思わず顔をしかめた。膝から下が濃い霧に覆われて、まるで川の中にいるかのように見えなくなる。

 

 立ちのぼってくる煙を吸いこんだ楓は、くらりと眩暈を感じた。周囲の景色がぐにゃりとゆがんで見える。

 

 白い霧のような煙の中で、神祇伯は低く呪を唱えた。

 すると神祇伯の姿が溶けるように消え、代わりに壮年の男の姿が浮かび上がる。その人物の顔は、何処か利憲によく似ていた。


「父上——」

 

 掠れた声が聞こえた。

 さすがの彼でも、この濃さの香に包まれては幻にのまれてしまう。


「利憲様」

 

 声をあげる楓の目の前で、幻の男がその口を開いた。

  

『人の中に入れると思うな……、そなたは人間ひとではなく化け物だ』

 

 無言で飛び出した斉彬が、煙に包まれた男に向けて太刀を振るう。

 数枚の斬られた式符が地面にフワリと落ちた。

 

「利憲様、そちら側へ行ってはなりません!」

 

 楓の叫びに呼応するように、ざあっと強い風が辺りを吹き抜ける。

 透き通る葉が辺りに散った。

 光をのせた風が霧を吹き払ってゆく。


 清らかな風は、そして優しいそよ風にかわり、胡蝶も煙の香りも残さず消し去った。


 全てを祓ったその神力は、男の目の前でまだ淡い光となって瞬いている。

 斉彬に太刀を突きつけられ楓を見つめる男は、もう神祇伯の姿に戻っていた。

 

「そなたの中にはナニがいるのだ——?」


 女神の祓を目の当たりにして、彼は喘いだ。


 その問いに、楓は答えるつもりはない。自分の勝手な思いで人を傷つける彼を、楓は許そうとは思わなかった。

 冷たく横を向く楓に、神祇伯はなおも縋りつく。


「頼む、教えてくれ。どんな巫でも、真実の神を降ろす者はいなかった。しかし、そなたの力は違う。神は一体何処にいるのだ?」

 

 楓は必死な様子の彼に、ただ思う答えを教えた。

 

「神は人の中にいます。そして、ともにこの世を見ているのです」

「そなたは神の声が聞けるのか」

「いいえ。感じるだけです」


 神はそこにいる。

 しかし、それに気づくことが出来ないだけだ。

 ようやく答えを得たというふうに、神祇伯は深く息を吐く。

 

「……神が信じられなくなったのは、人を愛することをやめたせいか」

 

 楓の目には、彼は憔悴したただの老人のように見えた。

 斉彬が太刀を抜いたまま、重々しく告げる。

  

「神祇伯殿、今回の件は看過出来ませぬ」

「ああ、わかっているよ」

 

 頷いた彼は、斉彬にうながされて歩きだした。

 

「利憲様、大丈夫ですか!」

 

 彼等と入れ替わるように、楓は膝をつく利憲のそばに急いで走り寄る。

 俯いたまま動けない様子の彼の肩を抱き、顔を覗き込んだ。楓の目の前で、白い頬の上を透明な水滴がひとつ流れ落ちる。

 

「利憲様……」

「大丈夫だ。おまえがいる限り、私は狂いはしない」


 心配いらぬ、と言って利憲は立ち上がった。そして、斉彬に連れられてゆくかつての友人を見送る。


 神祇伯の背中を見るその銀の瞳が、わずかに赤味を帯びているように楓には見えた。

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