38 神の証明
幼い頃から利憲は他の子どもとは違い、物事をどこか遠くから観察しているような目をしていた。
それなのに、自分を見つけた途端に『伯』と呼び笑顔で駆け寄って来ていた彼が、今は責めるように冷たい目をしている。
彼を裏切った。
信頼はもう戻らないだろう。
神祇伯はほんの少しの感傷と共に、唇に笑みを浮かべた。
「私が柘榴に反魂香を与えたと?」
「内裏の怨霊騒ぎと幻術、そこを繋げられるのはそれを行った者です」
利憲は神祇伯の微笑みにも表情を変えず続ける。
「宋の船は博多津にまず入る。交易品は全て朝廷の管理下にあり、ただの巫の彼女がそれを手に入れるのは難しい。しかし、貴方なら入ってくる品を優先的に手に入れることも可能でしょう。反魂木も、宋の書物も。彼女が陰陽寮の学生に与えた呪符は、呪力の乏しい者でも式神を呼べるよう、道術で使う呪が書かれていました」
「神祇官である私が、道術を?」
「伯は陰陽道の知識にも通じているので、不思議ではありません」
「保光殿が残した書物に書かれてあったのではないかな」
「賀茂の本家にあの呪が書かれた書物は存在しません。保光様が残したとは考えにくい」
彼は陰陽頭として、呪術に関するあらゆる書物を読んできている。賀茂の直系の者である彼が知らぬ呪。
それを柘榴に教えることが出来たのは——。
「はっ」
神祇伯は声をあげて笑った。
「私を疑うのか。明神大社の誰かとは思わないのかい?」
「彼女を筑前の神社へ送ったのは貴方だ。そして伯、貴方は再び彼女を呼び寄せた」
「なるほど。全てが私を指しているのだな」
わざと軽く言ってみせる。すると、僅かに唇が震えるのが見えた。
「貴方は柘榴にわざと父親の最後を教えたのでしょう。彼女がどう動くかをわかっていて。そしてもし仮に止めようとしても、呪を教え彼女が式神にのまれることすら謀っていた」
「君に祓われてしまったがね」
そう言うと、利憲はクッと一瞬息を止めた。
そして、心を鎮めるかのように、深く息を吐く。
「私にはわかりませぬ。伯が何故この祭祀を潰そうとしたのかが」
銀を帯びた瞳が、神祇伯を見つめた。
自分の養女と同じ、神に選ばれし者の持つ色だ。
自嘲するように頬が歪む。
「鬼を見、神を降ろす力を生まれながらに持つ君にはわかるまい」
「何を……」
式神を操る陰陽師をさげずみながらも、神を使う彼等に嫉妬していた。
「神に仕えて数十年。彼等は一度たりとも私に答えてはくれなかった。姿も見えなければ、声すら聞こえぬ。そのような存在に、何の意味がある? 君は知らぬだろうが、私にもかつて妻がいたのだよ。子が出来ぬことを気に病み、常に神に祈っていた」
「その方は」
「死んだ。——病で」
祈りを捧げても、神は応えることはない。
どれだけ真摯に仕えようと、運命という名のもとに生命を奪う。
幾度も祭祀を繰り返す自分に残されたのは『虚無』だ。
「伯……」
「儀式を壊し、神が本当に罰をくだすのか、確かめてみるのも良いと思わないか?」
少副を狂わせ、柘榴を使い、穢れを以て儀式を妨害する。
それは神を否定し、帝の存在をも疑問視する大罪だ。
「私は証明したかったのだよ。大祓などと言いながら、ここに神などいないのだということを」
否、もとより存在しないのだろう。
長年仕えた神は彼には何も語らなかったのだ。
これは、神に縛られてきた人間の反乱だ。
「我らが仕える神は人を救うことはない。まだ呪術で作り出した式神の方が役にたつ。こんな儀式に意味はないのだ」
式神をもって人を救う賀茂一族を、ずっと見てきた。
そして、この目の前の陰陽師は高位の神すら使役する。
自分が仕える神は崇高な存在で、式神など邪霊にすぎない。
そう思いたかったのに——叶わなかった。
自分達は、本当に必要とされているのか?
「君には理解できないだろう。神に見放された人間の足掻きなど」
そう言うと、神祇伯は諦めとともに目を閉じた。
*****
大祓の儀が終わり、利憲が神祇伯を追って姿を消した後、楓は一人で陰陽寮へと歩いていた。一緒にいた名虎は他の陰陽生達と先に行っている。けれど、楓はどうしても利憲が気になって、歩く速度も遅くなっていた。
とぼとぼと歩いていると、前方から来た人影に声をかけられる。
「楓、どうしてこんな所に?」
「中将様」
楓が立ち止まって見上げると、彼は息を切らし肩を上下させていた。
そして、きょろきょろと周りを見ると不審そうに眉をひそめる。
「なんで一人でいるんだ。利憲はどこだい? 私が戻るまで待つよう伝えていたのだけれど」
「神祇伯様の所へ行かれました」
「ええっ、利憲だけで?」
「ついてくるなと言われて……」
そう答えると、斉彬は舌打ちをした。
「まだあいつを信用しているのか! 楓がいれば無茶はしないと思ったのに」
斉彬は楓の手を取ると、『走れ』というように引く。
楓は驚いて彼に尋ねた。
「斉彬様、神祇伯様は利憲様の父君と親しかった方なのでは?」
「楓も利憲も甘い! 彼は自分が育てた柘榴ですら使い捨てた男だぞ。いくら利憲と親しくても何をするかわかるものか」
だから待てと言ったのに、と斉彬は苛立たしげに小さく呟く。
「でも、利憲様なら……」
「術が使えるから? 反魂香なんて変なモノで、少副殿をあんな目に遭わせたのに? 少副殿も神祇伯殿には全幅の信頼を置いていたのだ。油断するな」
それを聞いた楓は青ざめた。
斉彬の、楓の手を握る力が強くなる。
「急ごう」
楓は頷くと、斉彬に遅れまいと走りだした。




