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第九話 1937-1937 戦闘機採用

低調気味の主人公ですが…。





昭和十二年一月



年が明け、昭和十二年となった。

正月は恒例の帰省だが、今回から妻同伴での帰省となる。

妻は父の弟の娘になり、祖父母の居るこの地方に同じく住んでいるので一度の帰省で両方の家に行けるのだ。

来年帰省する頃には孫同伴となるのだろうか。


正月行事が終わると、また仕事だ。


一九三〇年代も後半となり、戦争が近づいている。

二度目の戦争まで後二年、日本の参戦はもう少し後だが、日本は一九四〇年以前には既に中国で戦争していた筈だ。


スペインの内戦は依然として続いており、日本にもスペイン内戦の情報が少しずつ入ってくるようになった。


国民戦線軍はドイツとイタリアが強力に支援し、ドイツは主力戦闘機のHe51を送り込みイタリアは同じく主力戦闘機のCR.32を送り込んだ。

CR.32はあの当時の傑作機の一つで、優れた運動性と頑丈な機体、12.7ミリ二門という強力な武装を誇った。

それらの戦闘機が序盤人民戦線軍の主力戦闘機である第一次大戦末期に使われた古い機体達を圧倒し、窮地に陥った人民解放軍にソビエトが大規模な軍事援助を行った。

ここまでは私の知る前世の歴史どおり。

ソビエトが送り込んだ戦闘機は前の人生ではI-15とI-16、私の作った飛行機だった。しかし、二度目の人生でポリカルポフはソビエトに存在しない。

ソビエトが投入してきた戦闘機はスホーイが開発したI-14だった。

I-14は当時としては先進的な戦闘機で、I-16の競合機種だった。

全金属製の機体で、引き込み脚、エンジンにM-25を搭載し最高速は四五〇キロ。

強力なShKAS7.62ミリ機銃を二門、更にShVAK20ミリ機関砲を搭載したモデルもあったはず。


ソビエトがI-14を投入すると、それまで優勢だった独伊の戦闘機を圧倒し、爆撃機はもはや安全に空を飛ぶことができなくなったそうだ。

前世でも、I-15とI-16が圧倒し、そして独伊がBf-109やMC200という最新機種を投入しだしたのだ。

恐らく、今後互角の戦いをする事になるのだろうが、史実通り赤軍は慢心することになるのだろうか。

ちなみに、優れていたI-14が少数生産に留まり、I-16が大量生産されたかについては、運動性がI-16のほうが優れていた点と、コストがI-16の方が安かったからだと聞いている。

恐らく、I-15、16がなければI-14が大量生産された可能性は高いだろう。





昭和十二年二月



長らく審査が続いていたキ12が制式採用になった。

水冷エンジンの川崎のキ28と比較しても別格の性能を発揮し、陸軍が新たに必要とする重戦闘機の要件を満たす機体として採用することになったそうだ。


この機体を作り出した頃、重戦闘機構想なんぞ無かったはずだ。

恐らく本来は異質すぎて不採用だったのだろう。

運動性だけ取れば、97式戦闘機の方が上なのは間違いないのだから。


しかし、新たな重戦闘機などというカテゴライズで採用が決まったということは例の助教が尽力してくれたのかも知れない。


ただ、調達数は97式戦闘機程では無いようだ。


正式名称は96式戦闘機、実際は去年の末に正式採用が決まっていたらしいが、陸軍から通達があったのが今月になってからだった。


今年から調達が始まるらしい。


ちなみに、97式戦闘機は中島だけで昭和十七年までに二千機を生産し、立川飛行機などでも生産する計画になっているらしい。


我が96式戦闘機は今の所97式戦闘機の十分の一程度の調達予定とのことで、後は実戦をみて判断ということなのだろう。



月末頃、設計室の外ではよく逢う糸川が設計室をふらりと訪れる。

そして、既に試作の制作に入っているキ31の設計図を見せてくれというので、見せると翼をもう少し改良すると低空での運動性がよくなるという。

それで、具体的な話を聞くと…。


まあ彼は天才なのだろうな…。

計算上、彼の改良案の方が運動性が良くなるということがわかったので、取り入れることにした。

幸い翼はまだ制作に入っていなかったため、急いで反映させた。


もしかして、あの特徴ある九七式、そして一式の翼は糸川のデザインなのだろうか?





昭和十二年三月



今月から名古屋で汎太平洋平和博覧会という催し物が始まった。

妻が行きたがったので月末に休暇を取って行ってきた。

こういう博覧会の類は前世でも行ったことがなく、非常に興味深い。



中島飛行機に正式に97式戦闘機の次の戦闘機の試作発注があった。しかも、今回は競作ではなく中島のみの特命との事。


これにより、既に構想を練っていた小山技師らのチームが本格的に設計に入った。




今月末、海軍依頼の十試艦攻が完成した。

我が国で初の引き込み脚式の単葉攻撃機となり、もちろん全金属製だ。

しかも、翼を折り畳めるようになっているらしい。


これが審査の結果九七式艦攻として海軍に採用される事になった。


この攻撃機はまだ若い技術者達が三十名で開発したそうだ。

この辺りの思い切りの良さに中島を感じるな。


本当に良い会社に入ったものだ。





昭和十二年四月



スペイン内戦でナチがBf109などの新型機を投入し、ゲルニカを空襲した。

民間人をも巻き込んだ無差別爆撃で陣営発表で人数は異なるが大勢が亡くなったことは間違いない。

我が皇国が爆撃にさらされることが無いように決意を新たにした出来事だった。





昭和十二年五月



今月からフランスのパリで万国博覧会が始まったらしい。

行ってみたいが、流石に個人的にフランス旅行をするほどの余裕はないな。

前世では去年の今頃はパリの航空ショーでI-17を展示、今年はミラノで展示と出張が多かった記憶がある。

今思い出せば、あれはわざと毎年のように外に行かされていたのだろうか?

なぜなら、I-17も結局量産されることも無く、開発は途中で打ち切られラボーチキンが引き継ぐことになったからな。





昭和十二年六月



前世では今月、ソビエトでトハチェフスキーが粛清され、翌年まで将校が大量に粛清されるのだ。

ただ、スターリンとボリシェヴィキの保身のためだけに、帝政ロシアやソビエトが国費を投じて養成した祖国の至宝達が罪なき罪で殺されたのだ。



今月、制作が続いていたキ31の試作機が完成した。

ユモ211B-1、1200馬力エンジンを搭載した頑丈な攻撃機が完成した。

ちなみに、20ミリ機関砲は現在検討段階ですぐに搭載できる物がない為、12.7ミリ機銃を搭載している。


現時点で7.7ミリクラスの小銃弾ではエンジン、コクピットを囲う鉄板を抜くことは出来ない。

また、コクピットの風防にもヒシライトというフレキシガラスを7センチの厚みに積層した防弾ガラスを搭載し、こちらも7.7ミリ程度では貫通しない。


早速、テスト飛行した所、安定性は高いがとにかくズブいとの事。

しかし、運動性は低空低速域では比較的高く安定性の高さから横滑りがしやすい機体だとのことだ。

最高速度は四百キロに留まった。


テストパイロット的にはこんなズブい機体はあまり好きではないというのが感想。


それはそうだろう、このクラスでは別格の重さなのだから。


早速、陸軍の審査に出し、地上審査はすぐにパスした。

直ぐに明野に持ち込まれ、陸軍のテストパイロットの審査を受けるが、中島のテストパイロットと同じ感想で、とにかくズブいという事が嫌われた。


しかし、弾を食らってもそう簡単に落ちない攻撃機だという事をしっかり話すると、爆撃機乗りを連れてくる。

ここは飛行機学校が幾つかあり爆撃機乗りの助教も居るらしい。


爆撃機乗りが乗った所、評価が変わる。


元々ズブい機体に乗っていた爆撃機乗りは、特にそこは気にすること無く、四百キロの最高速を持ち、抜群の安定性と低速での運動性を評価。


エンジンとコクピットに機銃弾が殆ど効かないという話をすると、実際に試すと言っていた。


更にはこの機体に試しに付けた、ユンカースが持ってきたReviという光学射爆照準器に興味を示した。


後の世では普通に付いているのだが、まだ日本機には搭載されて無かったのでユンカースの技師に話をすると本国から取り寄せてくれたのだ。


ただ、このReviは今スペインで飛んでる戦闘機に搭載されているものより型が古いらしい。


陸軍の技官はこれを外して日本光学の技術者に見せていいかと言ってきたので、日本で作る場合はライセンス契約をしっかりとってほしいと頼んだ。

後でライセンスで揉めるのは面倒だからな。


今後、実際に機銃や爆弾を搭載し審査を続けるとのことで、中国大陸にも持っていくらしい。

後日、追加で四機の追加発注を受け、初の採用にユンカースの技術陣は喜んだ。


一応、今はJu-52用のエンジンの生産もしているのだが生産数は少なく、工員たちにとっては屈辱的だろうが同じくそこでライセンス生産されているイスパノ・スイザの生産ラインの方が生産数が多いのだ。


とはいえ、中島としてはユモが使い物になるならユモに切り替えたい様だ。


ちなみに、ユモは現在例の先日京都旅行を満喫して帰ってきたフランツが開発中のインタークーラーを搭載するモデルを開発中。

予想では1400馬力を超える見込みだそうだ。



それに合わせて、96式戦闘機のエンジンをユモに載せ替える事を検討。




一気に二機種採用です。しかし、生産数は少ない…。


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