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第十話 1937-1937 支那事変

中国での戦争が始まります。





昭和十二年七月



今月の六日から中国に駐屯している陸軍部隊が盧溝橋と呼ばれる橋の東北にある荒れ地で演習をしていたのだが、翌日七日の夜間演習中に中国側から実弾による銃撃があった。

それがきっかけとなり、八日から中国軍と小規模な戦闘になり、双方に死傷者が出た。

その後、一先ず停戦となったようであるが、徹底されず銃撃や戦闘が幾つも発生し、十一日に中国側上層部と停戦の徹底を合意させると陸軍部隊を退去させたらしい。


しかし、この事件をきっかけに排日運動は過激化し、日本軍に対する度重なる攻撃が頻発した。


十三日には北平の大紅門で日本軍のトラックが爆破され兵士四人が殺害され、翌十四日にも警ら中の日本軍の騎兵が惨殺されるという事件が起きた。


更に十八日に偵察中の偵察機が射撃を受け、十九日には中国の首魁の蒋介石が徹底抗戦の覚悟を表明し、それを実行するかのようにその日宛平県で日本軍が砲撃された。


二十日には再度の日本軍への砲撃が行われ、日本軍が報復砲撃をした。


そして二十五日には北平の廊坊駅で日本軍の軍用電線が切断され、それの修復に出動した日本軍部隊と付近駐留の中国軍部隊との間で武力衝突が発生した。


更には翌日にも北平で日本居留民を保護に向かった日本軍部隊が中国軍部隊から攻撃を受け、民間人を含む大勢の日本人が死傷する事件が起きた。


日本は流石に中国の度重なる攻撃に業を煮やし二十八日、北平周辺の中国軍に対して攻撃を開始し二日間の戦闘で中国軍は北平周辺から掃討された。


そして、二十九日通州にて同地の在留日本人が数百名、中国の保安隊に酷く虐殺される事件が発生するに至り、日本世論は激昂した。


つまり、日本が中国で戦争をしていた始まりがこの月のこの一連の事件だったというわけだ。


私は、一日も早く中国から日本は手を引くべきだと思ったが、通州事件の起きた後では暴支膺懲をスローガンに報復論が渦巻いてしまっている。


ここに至ればもはや難しいのだろうな…。





昭和十二年八月



八月九日、上海共同租界越界路のモニュメント路を斎藤一等兵が運転する車で通行中の大山海軍中尉が中国の保安隊に小銃や機銃の射撃を受け蜂の巣にされる事件が起きた。


事態を重く見た日本政府は陸軍に上海派遣軍の編成を指示。

そして、現地に駐留している海軍陸戦隊と中国軍が交戦を開始した。


二度目の上海事変の発生である。


先月末から日本政府は在中邦人の引き上げを訓令し、揚子江沿岸に居た約三万の邦人を九日までに上海への引き上げを完了したそうだ。


そして、上海も今や危険なため、随時帰国してくると報道があった。


やはり、報復論は報復論としてあるが民間人は引き上げさせるのか。



八月十四日、早朝より上海の居留区を中国軍が爆撃をした。

日本側は九十五式水上偵察機を飛ばしていたが、二機しか居らず速度で勝る米製カーチスホークIIを迎撃不能で、専ら高射砲で応戦したが、ほぼ一方的に爆撃されただけだったらしい。


その結果、中国軍は三機の爆撃機を失い、そして三千人もの民間人が死傷し犠牲になったそうだ。





八月十五日、日本政府は国民党への断固制裁を声明し陸軍の上海派遣を閣議決定した。


中華民国も対日交戦総動員令を発令し、全面戦争へ突入したのだ。


私は先の人生で東で何があったかは殆ど知らない。

ソビエトでは当局に都合のいい必要な情報しか報じられなかったからな。


ドイツとどの様な外交があり、祖国に攻め込んできたのか詳しくは知らない。


二度目の人生の日本において、新聞報道は極めて早く中国など近隣での出来事に関してはその日の夕方に号外が出ることすらある。


時系列で刻々と報じられる報道を見るにつけ、大きなうねりが日本と中国を戦争に巻き込んでいるようにも見えるのだ。



そしてこの日、海軍が台湾から南京に対して六機の九六式陸上攻撃機を飛ばし、初の渡洋爆撃を行った。

それに対して中国が迎撃し中国空軍の日本に対する初戦果となった。先の米国の元退役軍人の戦果は外国人のものだったが、今回は中国人による撃墜であり、大戦果として大々的に報じられたそうだ。


攻撃機だけで戦闘機の護衛も付けずに飛ばすなんて、どういう意図でなされたものなのだろうか。貴重なパイロットを死ににいかせたようなものだと思う。



八月十六日、上海北方の江湾上空で今回は出動出来た海軍の正規空母加賀が到着し、同飛行隊の五十嵐大尉率いる九○式艦戦六機が中国軍のヴォートO3UとダグラスO-2MCからなる爆撃部隊を迎撃、それらを圧倒し大半を撃墜する戦果を挙げた。




八月十七日、この日も上海で加賀の豊田飛曹率いる九○式艦戦四機が、中国軍と交戦し敵機を圧倒する戦果を挙げた。

両日の交戦における九○式は被撃墜がゼロで損傷のみに収まった。また敵の機銃を受けても防弾装備のお陰でパイロットが死傷することがなく、無事帰還することが出来たことから、すでに旧式機と見られていた九○式が再評価される事態となった。

まあ、百キロ以上優速な機体を落とすのは不可能に近いから当然の戦果だろう。

これも、エンジンなど機体の更新を前提に余裕を持って機体設計を行い、エンジンの性能向上に併せて性能向上をさせてきた結果だ。


とはいえ、生産数は全部で百五十機に過ぎない。



同じ日、米国政府が上海の居留民保護の為、陸戦隊千二百名を派遣した。

米軍も上海を守るということなのだろうが、日本軍と同じ様に攻撃を受けたら断固反撃すると声明があった。



八月二十日、上海を防衛する海軍の陸戦隊は十倍の中国軍相手に防衛戦闘を行い、大損害を出しながらも租界の死守を続けている。

現地の悲惨な様子が刻々と新聞報道として写真付きで報じられている。


派遣を決定した陸軍部隊はまだ到着しないのだろうか。



八月下旬、陸軍の二個師団が上海沿岸に上陸を敢行。しかし、強固な防衛戦に大損害を出し、陸戦隊が守備する租界まで到達が出来なかった。


非戦闘員がモザイクの様に狭い空間に存在する市街地での戦闘だから航空機による支援は難しいらしく、今の所の戦果は専ら日本艦船を攻撃に来る中国軍機を迎撃した時の物が殆どを占める。


中国軍は多くの軍用機を失ったが、被撃墜はほぼ全て旧式機であり、これだけで済むとはとても思えない。


中国での戦争は混迷を深めている。




時系列で追ってみても日本が如何に強引に巻き込またれかがわかる戦争です。

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