(3-32)環の決意
数日後――。
大村環は一旦東京へ戻った。久しぶりに戻った自分の部屋は妙に狭く感じられた。
整った家具。
静かなワンルーム。
窓の外には都会のビル群。
ついこの前まではここが自分の世界のすべてだった。会社へ行き、会長の予定を確認し、電話を受け、資料をまとめる。忙しくて慌ただしくて、それでも充実していた日々。
だが今は、その空間がどこか“止まった場所”のように感じられた。
環は静かに部屋を見回し、そして小さく息を吐く。
「……帰ろう」
その言葉は東京を離れる決意だった。
不思議だった。
奥袴狭で過ごした時間などほんの数日でしかない。それなのに、自分の中では既にあの村の方が“帰る場所”になり始めていた。
荷物を整理する。
必要な物。
不要な物。
会社員として生きてきた痕跡が部屋のあちこちに残っていた。
きれいに並べられたスーツ。
革靴。
手帳。
会長秘書として使っていた資料ファイル。
環はそれらをひとつひとつ整理していった。そして、不動産会社へ連絡を入れ部屋の解約手続きを進めた。
驚くほど迷いはなかった。
もちろん、不安がゼロなわけではない。
道もない山奥の村。
世間から隔絶されたような場所。
これからどんな生活になるのかもまだわからない。
それでも心は決まっていた。
その後、芽生にも改めて会った。
喫茶店で向かい合った芽生は、以前よりずいぶん顔色が良くなっていた。
「そうか、本当に行くんだな」
「うん」
「後悔してないか?」
「してない」
環ははっきり答えた。
芽生はしばらく妹の顔を見ていたが、やがてふっと笑った。
「なんか、お前……前よりいい顔してるな」
「そう?」
「ああ。肩の力が抜けたっていうか」
そう言われ、環は少しだけ照れくさくなる。
芽生はコーヒーをひと口飲み、静かに続けた。
「でも、まあ……わかる気はする」
「え?」
「あの人のそばに居たいって気持ち」
環は思わず顔を上げた。
芽生は窓の外を見ながら言う。
「普通じゃないよな、奥村さんって」
「うん……」
「それに、不思議な力があるのに全然怖くないよね。むしろ、近くに居ると“ちゃんと生きなきゃ”って思う」
環は何も言えなかった。
その感覚は自分も同じだったからだ。
「行ってこい」
芽生は笑った。
「お前、自分で決めた顔してる」
「うん」
「だったら大丈夫だ」
その言葉に環は深く頷いた。
自分の人生をこれからどこでどう生きるのか、ようやく自分自身で選んだ気がしていた。
そして何より――。
渉を支えたい。
その想いが以前よりもっと強く、もっと静かに、自分の中へ根を張り始めていた。




