(3-30)二十畳の部屋
それはヒサ子の本心だった。そんなヒサ子に、環は何と言ったらいいのかわからなかった。
返事に詰まる。
「い、いえ……私は……」
本当は自分でもうまく説明できていなかった。
なぜここまで渉に惹かれるのか。
なぜ“そばに居たい”と思うのか。
尊敬。
感謝。
憧れ。
どれも本当だ。
だが、それだけでもない気がしていたがうまく言葉にできない。
そんな環を見つめながら、ヒサ子は静かに続けた。
「それでね、これから環さんにお願いしたいことは、渉のそばに居てただ祈っていて欲しいの」
「祈る……?」
環は思わず聞き返した。
祈る。
その言葉は、どこか宗教のようにも聞こえた。だがヒサ子の表情にはそういう怪しさはまったくない。
ただただ真剣だった。
「ええ。まずは渉のところへ行きましょう」
そう言ってヒサ子は隣のふすまを開けた。その先は部屋ではなく、細い渡り廊下のような空間になっていた。木の床が朝の光を受けて淡く光っている。どうやら棟続きで隣の建物へ繋がっているらしい。
環はその後ろを静かについていった。
廊下を抜けると、二十畳ほどもある大きな部屋に出た。
畳敷きの広い空間。
何もない。
ただ、その中央に――渉が正座していた。
背筋を真っ直ぐ伸ばし微動だにせず座っている。
その隣には半畳ほどの板間があり、そこに靴がきちんと揃えて置かれていた。
環はその光景に思わず息を呑む。まるで、そこだけ空気が違っていた。
部屋の隅に座布団が二枚置かれており、ヒサ子はそこへ静かに腰を下ろした。
環も慌てて続く。
「渉を見ててね」
ヒサ子はそれだけ言うと、黙って渉の背中を見つめ始めた。
環も同じように視線を向ける。
時間がゆっくり流れていた。
風の音。
遠くの鳥の声。
畳の匂い。
そして、静かに座る渉。
どれくらい経っただろうか。
不意に、渉が右手を上げた。
その動きは、あまりにも自然だった。
次の瞬間。
――捲る。
渉の身体が靄に包まれ、そのままふっと消えた。
「あっ……!」
環は思わず声を出してしまった。
既に数回は見たものの、やはり驚いてしまう。
「渉はね、ここで多くの人の声を聞いてるの」
「声を……聞いてる?」
「そう」
ヒサ子はゆっくり頷く。
「助けを求める声。苦しんでる人の声。願ってる人の声……そういうものを聞いてるの」
環は言葉を失った。
「それでね、自分が必要だと思ったところへ行くの。いま行かなきゃいけないって思ったところへ」
ヒサ子の声は静かだった。
けれどその言葉の重みを、環は確かに感じていた。




