(3-23)和食処きしもと
昼過ぎ、新幹線を降りた忠史は姫路駅の中央改札を抜けてすぐに本橋の姿を見つけた。
「本橋先生……」
忠史が近づくと本橋は軽く手をあげた。
「うん、よく来てくれた」
その声はいつも通り穏やかだった。だが本橋は忠史の顔を見た瞬間に察していた。
目が赤く充血している。昨夜ほとんど眠れていないのは明らかだった。顔色も悪い。無理やり動いている感じがある。けれど、本橋は駅の真ん中でいきなり事情を聞こうとはしなかった。
「ちょっと歩こう」
そう言って本橋はゆっくり歩き出す。
忠史も黙って後に続いた。
駅前の広い大通り。正面には堂々たる姫路城が見えている。
白く巨大な天守閣。晴れた空によく映えて、観光客たちが写真を撮っている。だが、忠史の視界にはまったく入っていなかった。
頭の中がそれどころではない。
本橋はそんな忠史の様子を横目で見ながら、特に急かすこともなく歩いていく。
やがて大通りを外れ少し静かな脇道へ入った。古い商店や住宅が並ぶ通りの、その一角で本橋が立ち止まる。
『和食処きしもと』
木の看板が掛かった小ぢんまりした店だった。
だが入口には準備中の札。
忠史が一瞬きょとんとしていると本橋が言う。
「ここ、友達の店だから。ゆっくりくつろげるんだ」
そう言うなり、本橋は迷いなく引き戸を開けた。ガラガラッと昔ながらの音が鳴る。
「こんちわー」
すると店の奥から威勢のいい声が返ってきた。
「お、たもっちゃんいらっしゃい。どこでもいいよ、好きに座って」
厨房には白い割烹着姿の男性がいた。いかにも人の良さそうな笑顔をしている。
「悪いね、ありがとう。助かるよ」
事前に連絡していたのか、本橋は自然な調子でそう返した。
そして忠史へ向き直る。
「きっしーは高校の同級生なんだ」
“きっしー”
その呼び方に長い付き合いが滲んでいた。
「もちろん、渉くんのお父さん……昭ちゃんのこともよく知ってる。渉くんのこともね」
本橋はさらりと言う。
「だから、何も気にしなくていいからね」
忠史は少し緊張しながら「あ、はい……」とだけ返し、ひとまず岸本へ会釈した。
岸本も軽く手をあげる。
「一階は仕込みしてるから、気になるなら二階使ってもいいよ」
「あぁ、ありがとう。じゃあ上がらせてもらうよ」
本橋はそう言って階段へ向かった。
忠史も後を追う。
階段は少し急で、歩くたびに木がぎしりと鳴った。
二階は座敷になっていた。
障子越しのやわらかい光。
古い木の匂い。
どこか懐かしい空気だった。
低いテーブルを挟み、二人は向かい合って座布団へ腰を下ろす。その瞬間、忠史は少しだけ肩の力が抜けるのを感じた。新幹線の中ではずっと気が張っていた。ここへ来てようやく“話せる場所に着いた”という感覚が生まれていた。
そこへ、岸本が冷えた麦茶を持ってきてくれる。
氷がからんと鳴った。
「食事はあとでいいんだよな?」
「あぁ、ありがとう。後で声かけるよ」
本橋が答える。
岸本は忠史をちらっと見て、
「酒の方がよかったら持ってくるから言ってくれ」
と冗談っぽく笑った。
忠史は思わず苦笑する。
そんな忠史を見て、岸本も少し安心したようだった。
「じゃ、ごゆっくり」
そう言って階段を降りていく。
再び静かになる二階座敷。
外からは、大通りの車の音がかすかに聞こえた。




